蘇芳丸④ ー桜と蓬ー
蘇芳丸視点のお話です。
俺が里に来てから初めて、その日は鍛錬に行かなかった。
ただひたすら土手沿いを何往復も駆けて駆けて駆け抜け、身体が千切れそうな程に虐め、倒れ込み、斜面を転げ落ちた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
汗なのかそうじゃないものか顔が濡れていて、吹き飛んできた桜の花弁が幾重にも張り付いていた。
三つ上の大樹とは鍛錬で何度も手合わせした。
胡桃と同い年のはずが、大柄な体躯がそれより年上に見せていた。
そう……丑ノ組だったんだよな、大樹。
胡桃が厳しい兄貴分なら、大樹は面倒見の良い兄貴分だった。
腕っぷしが強いが優しい男。
自分が手加減せずに組める数少ない相手だ。
千鳥達には本当に申し訳ないことをした……。
謝っても許されない、自分がその立場なら許し難い愚行だ。
「傷口に塩どころか毒でも塗り込むようなもんだ」
じわじわと己の無力さを呪い悔いていくように……。
「たわけだ……」
さあっと風が吹き、桜吹雪が舞う。
「あれ、珍しい。人間、落ちてる」
「⁉︎」
突然、頭上から声がして、慌てて上体を起こす。
気づかなかった。
いつの間にこんな近くに居たんだ⁉︎
「なんだ、蘇芳丸、か」
背中に籠を背負った幹兵衛が、眼鏡の奥からぼんやりとした視線をこちらに向けてくる。
「幹兵衛、鍛錬は?」
「今日、こっち、優先」
幼少期に誤って毒を飲み、顔面の神経が麻痺、視力もかなり弱いと聞いている。
……言葉もどこか辿々しい。
「蓬、摘み、来た」
しゃがみ込み、ものすごい勢いで蓬を摘んでいく。
「お茶、煎じたら、里長屋敷、持ってく」
相変わらず無表情だな……感情が全く読み取れねぇや。
「蓬良いよ、万能、なんでも効く。焙烙玉、できるし」
なんでも効くは言い過ぎだと思うが、万能なんてものがあれば、思い悩むことも無くなるのかな……。
「そっか……ありがとな」
二人でただ黙々と、籠いっぱいに蓬を摘んだ。
◇◇◇◇
気づけばもうすぐ日が暮れる。
夕焼けの中、二人で並び帰りながら、幹兵衛がぽつりとこぼす。
「蘇芳丸、心配」
「ん?何がだ?」
足を止めて、俺に向き合う。
「蘇芳、桜。僕、蓬」
そして自分と俺を交互に指差した。
言いたいことは皆と同じ、か。
……なのに不思議と腹は立たなかった。
「ま、蓬になれるように精進するさ」
年が同じ者同士……三年後の元服で俺らは忍衆辰ノ組として背中を……命を預け合う者となる。
それまでに、この色白無表情眼鏡の顔色が、容易く読めるようになりたいものだな。
そう心の中で呟き、茜空を見上げた。
◇◇◇◇
今日は大樹の弔儀の日。
……憎らしい程に青く澄み渡った空だ。
里の人間は任務時と弔儀の際に忍び装束を纏う。
左の手首に結んだ黒紐が喪に伏していることを意味している。
母親が喪主、次いで姉、里長代理の若が続き、大樹の育った屋敷から皆が眠る石碑まで行列を成して歩いていく。
石碑前で並び黙祷し、線香を焚き、花を供えた。
誰も泣かない。
戦国の世、人前での涙を恥と捉えるきらいがある。
まして忍びが泣くなど嘲笑われてしまう。
二年前、疫病流行した時は、毎日死体が生まれ、弔儀をきちんと執り行えたのは、最初の犠牲者が出て半年後だった。
大樹はそれ以来の悲報……寧ろ、良く皆懸命に生きている。
弔儀を終え、皆ぞろぞろと解散。
この後は元の農民姿になり、日常へと戻っていく。
俺は千鳥の背中を見つけ、呼び止めた。
「……っ! ち、千鳥っ‼︎」
「なんだ、蘇芳?」
丑ノ組が帰還した日とは違い、いつもの凛々しい青年の顔つきに戻っている。
片膝を着かせてしまったことが、今は心苦しい。
「あ……」
呼び止めたはいいが……次の言葉が出てこない。
「……この前のことなら、もう謝らんでいい。お前はいつも通り、何心無くしてただけだ」
ぽんっと俺の頭に優しく手を置く。
「大樹を連れ帰ってやれなくて、本当にすまなかったな……」
「っ!」
抑えてた何かが内から迫り上がってくる。
「強くなりたいな……何も失わない為にも……」
寂しく笑う千鳥は踵を返し、静かに立ち去った。
俺はひらひらと揺れ離れていく千鳥の黒紐をただぼんやりと眺めていた。
焙烙玉:手榴弾のこと
何心無く:無邪気に




