蘇芳丸③ ー三貫ー
前回と重なる若視点のお話です。
最近、蘇芳丸とはあまり話が出来ていないな……。
里長代理になった睦月から何やら慌しく、いつの間に暦が卯月へと変わっていた。
今年は土手の桜並木をまだ見に行けてはいない。
ふぅっと溜息を吐き、室内を見回す。
屋敷の書物庫の整理はやっと半分程終わったか?
「若、少し休みましょう」
「うん、そうだね。兄者」
胡桃と二人きりの時は、まだ今まで通りの口調を許してもらった。
主従関係となっても、自分にとって胡桃はいつまでも兄なのだ。
さぁぁぁっ……
春の風が部屋の中に桜の花弁をふわりと運び込む。
その風に乗り、帰還した仲間達の気配も室内へと届いた。
「おや、そろそろ帰って来……たらない?」
ばたばたばたばたっ!
急ぎ玄関土間を出た瞬間、侍姿の男が吹き飛び、戸横の土壁に強く叩きつけられる!
壁にもたれ動かない者、地面にうずくまる者の横には衝撃で壊れた木桶と飛ばされた刀が転がっていた。
「はぁはぁ……化け物めっ!」
かろうじて片膝立ちの者、千鳥が声を漏らす。
「こんなもんすか?」
汗ひとつかいていない涼しい横顔で蘇芳丸が木刀を肩にかけて立っていた。
自分の顔から、さぁっと血の気が引くのを感じた。
「たわけっ!」
ぱしんっ!
駆け寄り、激しく蘇芳丸に平手打ちをする!
彼の頬がじわりと赤く染まった。
……蘇芳丸を叩いたのは、生まれて初めてだ。
蘇芳丸も驚いたのか一瞬惚けていたが、すぐさま、頭を下げた。
「す、すみませんでした!」
先輩達にそう言って、謝罪した。
何を考えていたかは分からぬが、元服後初の任を終えた先輩に対してあまりに無礼……労うどころか、土を付けたのだ。
しかし彼らは誰一人、何も言わなかった……。
「こちらへ」
胡桃に促され、よろよろと力無く立ち上がると、四人は静かに屋敷の中へと入っていく。
残された蘇芳丸は呆然と、彼等の背中を見つめていた……。
◇◇◇◇
囲炉裏前に自分と胡桃と丑ノ組の四人が座る。
昼間に忍び装束は却って目立つので、侍姿に変装するのが常だ。
まだ昼刻なのに、雲が増えてきたのか部屋の中が翳ってきた。
囲炉裏に火を灯す。
「すまぬ。待たせたな……では、報告を」
「はっ! ご報告致します。草松原城主の命により、相模国が次に攻め狙う城が武蔵国南方のどこが有力か探るべく、書状の送還を担い、任を果たしました!」
任務は遂行した。
「……その代償は?」
尋ねると全員の顔が苦痛で歪む。
揺らめく囲炉裏の火のせいか、疲労の色も滲んで見える。
「し、書状を受け取り、秩父の山中を駆け戻る際、正体不明な……恐らく敵国の忍びに見つかり、妨害を受けました。大樹が足止め役となり、我ら四人は何とか逃げ仰せました……」
「……そうであったか」
丑ノ組は胡桃と同い歳。
今年元服した千鳥、常吉、元、時人、大樹の五人で組ませた忍衆だ。
皆、なかなか優秀であり、その中で最も身体能力に優れたのが大樹だった。
大樹は面倒見が良く、豪快で……どこか少し蘇芳丸と似た所があった。
それを危ぶんでいたが……。
ここに居ないとは……そういうことである。
「此度の報酬です」
紐で纏められた銭束を千鳥が懐からすっと取り出す。
「下がって良い。ご苦労であった……今日はゆっくり休んでくれ」
「はっ!」
四人はこれから大樹の屋敷に酷なことを伝えに行く。
あの家には大樹の母と姉がいる。
くのいちである彼女らだから相応の覚悟はあるだろう……それでも身内の死は受け入れ難い。
骸は戦場に残されたまま、形見の品もなく、ただ気持ちだけが取り残される。
ゆっくりと手元の銭束に目を落とす。
「たった三貫……銭貨三千文の命か……」
ははっと自嘲ぎみな笑いが溢れ、思わず、銭束を床に叩きつけた。
がしゃん! じゃらっ……
「大樹……」
綻んでいた紐から銭がばらばらと散らばり、その上に大粒の涙がぽとりぽとりと落ちていく……。
胡桃は、何も言わず、ただ側にいてくれた。
◇◇◇◇
「だいたい若は甘すぎますよっ!」
気づけば昼餉の時間近くなり、鍋を囲炉裏にかけながら、胡桃が嘆く。
他の里では、一日の食事が朝餉と夕餉の二回だと聞いたことがあるが、浅緋の里は朝餉と昼餉だ。
腹が空いた者は、勝手に何か獲物を捕まえて食べている。
夕方になると、どこからともなく獣の焼ける匂いが里に漂った。
「代理とはいえ、若に対して蘇芳のあの態度……礼儀作法は今から叩き直しておかないと後々、本人が苦労するばかりか仲間に火の粉がかかりますよ!」
「……蘇芳は父上に憧れているからな」
「汎様と若を比べること自体が大間違いなのですよ!」
汎は里長で自分の実の父親だ。
まだそれほど長くない浅緋一族の歴史だが、その中で並ぶ者がいない最強の忍びである。
暗殺の腕前もさることながら、空間に溶け込むように気配を消す霞消の術、素早く気配を探知する顕霞の術は、見事としか言いようがない。
任務は必ず遂行。
あまりに強すぎる為、依頼が後を立たない。
城主に取り立てられた忍軍ならいざ知らず、流しの忍者の名が知れるなど皮肉以外の何物でも無い。
「父上には奥州の戦地での依頼遂行願いまする」
里長代理を任され、初めての命令は父上に申し上げた。
「嫌だーー‼︎」
父上は子供のように駄々を捏ねた。
……もう一度言おう、この男、最強の忍びである。
「我儘言わないで下さい!」
「奥州遠すぎる! すぐには帰って来れないじゃないか! 武蔵国内か、せめて下総国にしてくれ‼︎」
「仕事選ばないで下さいよ。……だいたい父上が有名になりすぎてしまったから近隣での任務が難しくなっているのですよ」
弱ければ虫螻のように虐げられ、強すぎれば嫉妬から引き摺り下ろされる。
浅緋の一族、皆が皆、強いわけでは無い。
父上が飛び抜けて強くとも、そもそも忍びの人数が圧倒的に他の里に比べて足りない。
疫病で手練れ連中は死に絶え、生き残った若い世代の多くは実践経験に乏しい。
下手に目をつけられ攻め入られては、浅緋の里は滅亡する。
父上にはしばし武蔵国を離れてもらい、出稼ぎを任せることにしたのだ。
「危険は伴いますが報酬の高い案件を山程見繕ってありますので、どうぞ宜しくお願い致します」
「ううっ……うちの子……可愛いのに、鬼だ……」
「文は定期的に寄越して下さいね。返しませんけど」
「ううっ……」
凍える大寒の日、泣きながら父上は奥州へと旅立っていった。
◇◇◇◇
「そろそろ皆で食べましょうか」
粥も良い具合に膨らんだ頃合いで、じいとばあ、蘇芳丸と梅丸も囲炉裏前に集まってきた。
「頂きます」
囲炉裏を囲んで、六人で食事を摂る。
言葉を交わすこと無く、ただ黙々と皆で雑穀粥を食らった。
……悲しくとも腹は減るのだ。
◇
鍋は綺麗に空になった。
食べたらほんの少し、活力が湧いてきたような気がする。
「片付けたら蘇芳と梅は鍛錬行くよ」
「わかったよ、ばあちゃん」
「違わい。じじいだよ」
鍋を片付けながら、じいが溜息を吐く。
………………
蘇芳丸は本当に二人の区別がつかないんだな。
気配が全く違うのに……。
「蘇芳……」
ばあが悲壮な顔で蘇芳丸を見つめている。
蘇芳丸がちらりと梅丸に視線を向ける。
「梅……お前はわかるか?」
「えっ? むしろ全然似てないよ? 何で間違うのかな?」
きょとんとした顔で可愛く首を傾げる。
「う、嘘だろ……?」
まだ屋敷に来て半年にも満たない梅丸に負けているのがよほど衝撃だったのか、よろめきながら、顔が面白い程に青ざめている。
「……」
蘇芳丸は胡桃をそろぉっと見遣るが、冷ややかな軽蔑の眼差しを、じとっと返された。
………………
あぁ、そろそろ、切り出さねばな……。
気が重い。
沈黙を終わらせるように、静かに声を掛けた。
「蘇芳に話がある」
その一言で、じいとばあ、梅丸は頭を下げ、そっと退室する。
胡桃も三人と同時に席を立とうとしたが、引き留めた。
今はどうか一緒にいて欲しい。
蘇芳丸と向かい合い腰を下ろす。
説教されると思ってるな、視線が泳いでいる。
………………
長い沈黙の後、私は静かに口を開いた。
「大樹が死んだ」
「えっ……?」
「別日に弔いをする……話は以上だ」
胡桃が囲炉裏の火を消し、私と共に立ち去った。
蘇芳丸だけを暗い部屋に残して……。
睦月:1月
卯月:4月




