拾われ子③ ー捨て駒ー
屋敷に三人が戻った気配……思っていたよりも早かったな。
読みかけの書をそっと閉じ、棚に仕舞う。
「若、只今戻りました」
頭を下げ、静かに書庫の戸を開けた青年。
「お帰り、胡桃」
心無しか……美しい顔がいつもよりも、さらに柔らかい。
何か良い事でもあったのだろうか?
「……玄さんに会って来ました」
「そう……彼は元気そうだったかい?」
野暮用なんて言うから、何かと思えば……蘇芳丸達を引き会わせたかったのだな。なるほど。
「えぇ、彼の方は相変わらずでしたね。仕事もお忙しそうで……そうそう、若に言伝です。『貴方様のお陰で今日という日を生きています』……と」
そう言って、にこりと微笑む……町娘が見たら、気絶しそうな神々しさ……光って見えるぞ?
胡桃がそっと、懐から書状と小さな竹包みを取り出した。
『玄武屋』も情報源の一つだ。
宿に泊まり、国を往来する武士達の動向は無視できない。
定期的に里からも使いを出し、やり取りを交わしているのだ。
玄は、父上の顔を立て、表向きは抜け忍という形となってはいるが、今でも里にとって大切な任務を担ってもらっている……そう、私から願い出た。
実際、重要な役割だ。
受け取った書状を開き、中身に視線を走らせ……私は深い溜息を吐き出した。
「如何されました?」
「……どうやら、私も……動かねばならんようだ」
胡桃の片眉がぴくりと動く。
「所詮、我らは拾われた……捨て駒です。若の如何様にもお使い下さい」
「胡桃……前にも言ったが、その言い様は好ましくないよ。……だとしたら、その命を私の為にも……末永く大切にして欲しい」
胡桃に真っ直ぐ視線を向け、伝える。
里長……父上は、昔から戦帰りに孤児を拾ってきた。
それは、けして情なんかではなく、ただ利用する為に……。
『元々は道端に捨てられていたような命だ、どう取り扱おうと、拾い主の勝手』
そう、出会いという縁のあった者を軽々しく弄ぶ。
私が産まれてからは、幾分ましになったかとは思うが、今度は、私への土産物の玩具として連れ帰ってきた……。
父上にとって、私の命以外は全て軽いのだ、自身のも含めて……。
私はそれが……その考えが……酷く嫌いだ。
「では、若の仰せのままに……生きましょう」
胡桃がふわりと頭を下げた。
「さて、ではこちらは……」
話を切り替えようと、もうひとつの土産の竹包みを開く……中からは美しい櫛が……。
「あぁ、あと半年で若も元服ですからね。その為の贈り物でしょうね」
「そうだな」
まだ半年ある……いや、あと半年しか無い……。
「若……いえ、和迦様。何なりとご命令を」
胡桃が珍しく、私の名前を呼んだ。
◇◇◇◇
胡桃に雑務を任せ、私は木賊の家……幹兵衛の所へ足を運んだ。
庭には見慣れない草……薬になるのだろう、育てて、掛け合わせて……研究熱心だ。
それでも、彼の身体はいまだ元の通りにはなっていない……それが何を意味するか。
「幹兵衛、話す時間は少し取れるかい?」
「今、大丈夫、だよ」
眼鏡の奥は無表情……だが私には微笑みに見える。
庭を眺めながら、幹兵衛のお気に入りの蓬茶を頂く。
彼の隣は、なんだか心地が良い。
私と幹兵衛、蘇芳丸は乳飲み兄弟だ。
母のいない私達に、幹兵衛の母上、芹殿が乳を与えてくれたのだ。
「……お前の考えを聞きたくてな」
「 うん」
ぼんやりとした視線を私に向けてくる。
辰ノ組で最も博識で技術も高い男……毒さえなければ……あの時……本当は、私だったのに……。
時は戻せないのに、つい、考えてしまう悔恨。
私のせい……。
◇◇◇◇
四つの時、私と幹兵衛が遊び誤って、里から抜け出てしまったことがある。
陽が落ちた頃ーー
誰かが我らのいないことに気づき、探しに来てくれるまでここでじっと待とう……そう隠れていたところ……荒魂川に毒を流そうとする隠者と遭遇した。
阻止を図った際に、幹兵衛が私を庇い、毒薬を頭から被った。
皮膚は爛れずとも、神経毒。
飛び散った滴が目と口から体内に侵入し、毒は幹兵衛を殺しかけたのだった。
じわじわと、侵食していく……それは今も……。
里に来て初めて、胡桃が術を展開したのは、その時だったな……。
「あの時、胡桃。お陰で、僕、命拾い」
「そうであったな……」
私と同様、幹兵衛もあの時のことを考えていたか。
「僕らの、軽い、命」
「そう……言っては、欲しく無いな……私にとっては、大切な友の命だ」
あの時、里を狙ったのは父上への刺客……父上の生まれ故郷からやってきた忍び……既に壊滅したと音に聞いた、忍び里からの亡霊だ。
◇◇◇◇
幹兵衛はあの毒の一件で知ることになったのだ……里の秘密の一つを……。
浅緋の里の始まりはそう古くない。
順当に継げば、私が五代目……の片割れだ。
血統は代々、女児が継ぎ、婿が表向きは里長となる。
若かりし頃に母、茉莉は父、汎をどこかかから拾ってきたそうだ。
……元拾われ者は、彼女の為だけに生きると、心に決めた。
二人は結ばれ、やがて私を産み……そして母上は亡くなった……。
浅緋の直属の血筋……子を孕み、産み落とすと、同時に、命も落とす……女児しか産まれない……まるで呪いだ。
……父上は知らなかったのだ、母上が教えなかったから。
もし教えていれば……きっと、子は成さなかっただろう。
だが、母上は愛する父上との子を、どうしても産みたかったそうだ……。
絶望と共に産まれた、希望。
私を育てることが父上の生きる糧となったと聞いた。
幼い頃、母上は身体の弱い御人だったと聞かされていたのだが……里長代理となり、書物から里の真実を色々と知ることとなった。
そして、時は流れ……。
父上は私に、『女』ではなく、『男』としての元服を願っている。
馬鹿げているとしか言いようがない、荒唐無稽な話……だが、本人は至って大真面目なのだから厄介。
有力な城主の姫に婿入りさせ、末永く豊かに暮らせるようにと……。
そうすれば、子を成して死ぬこともなく、食うにも困らぬ、と。
色々と暗躍しているのは知っていたが、まさか、現実に叶えようとしているとは……頭が痛い。
浅緋の里の忍び達は、私が婿入りする際のただの付属品……そのように考えている。
使えなければ、殺せばいい。
代用はまた拾えば良いと……。
辰ノ組をさっさと元服させ、危険な任務に従事させたいと考えているのだろう。
付属品の価値を上げる為に……。
そう、父にとっては私以外、どうでもいいのである。
……そんなこと、私は望んではおらぬのに。
「和迦、どうした?」
「あっ、いや、何でもない」
幹兵衛の声ではっと我に帰る。
胡桃の操術で認識の歪みを起こさせてはいるが、察しの良い者は気づくし、鈍い者はそもそも疑いもしない。
それで良い……里の皆の中に、態々、大声で私のことを吹聴するような輩も居ない。
……そんなことをすれば、父上に存在を消されかねないからな。
辰ノ組で唯一私が女だと知るのは、幹兵衛のみ。気を許した時のみ名前で呼んでくる。
だが、彼も他言無用。
鉢ノ助と鋼太郎は薄々、勘づいているかもな……蘇芳丸と梅丸の二人は……ありゃ気づかんだろう。
「幹兵衛は……辰ノ組は元服できると思うかい?」
少し意地の悪い問いかけ……以前から、幹兵衛に聞いてみたかった。
此度のかくれんぼで、皆の能力の可能性を垣間見ることができたのは収穫だった。
伸び代は、まだまだ未知数。
得手、不得手があるのは当然で、人間である以上、完璧などは不可能。
どこまで、補いきれるか。
……私とて、迷いはある。
全員の望む道を歩ませてやりたい。
だが出来れば、生き残る可能性の高い道を各々に薦めてやりたい。
『正しい』とは、一体何なのだろう……?
「出来る、いや、する。僕ら」
「そうか……はっきりと言い切るなぁ」
「うん。和迦、僕ら、のこと、大事、だから」
「ふっ、そうだな……お前は……私のことをよく分かってるなぁ。……まぁ、最後は蘇芳と……梅、次第かな」
ははっと、なんだか素直に笑えた。
腹の内を話せるというのは、何とも気分が良い。
「以前、鉢ノ助に言われたなぁ。『若は隠し事が趣味だ。……と梅が言ってた。だけど、なんかあれば言って欲しい!』と」
「鉢……正直、過ぎる」
無表情眼鏡の奥で呆れ顔になる幹兵衛。
「……時がきたら、話せることを話すさ。だから、幹兵衛も無理はしないでくれよ」
「うん。ありがと。若も、ね」
「ご馳走様、またな」
礼を言って、木賊の家を後にした。
……毒に侵された彼の身体は、あとどれくらい持つのだろうか?
やらなければならないことは、まだまだ山積みだ。