初めの一歩
そう言った瞬間に巧は、自分から目を背けた。
だった形容詞一つで、自分が全て説明できるわけがない。それこそ、原稿用紙何枚ぶんになるだろうか。
難聴であることを言わないままで、通すことはできるかも知れない。聞こえない会話を、聞こえるふりをしていることもできる。そうすれば恥ずかしいとか、申し訳ないとか思わずに済むだろう。
だけど、そうしてしまえば、何も変わらないままだ。これ以上わかり合うことはできない。わからないことを、はっきりと言わなければ、聞こえていると信じている相手を裏切り続けることになる。
関わっている限りずっと。
キュウちゃんは、猫実さんと夜桜先輩の大切な友達だ。これからも、関わっていくだろう。だから、今、言う。それが最善だ。時間が解決してれる問題ではない。
障害を隠していくことは、人知れず嘘をつき続けることなのかも知れない。
障害を、隠さないのはある種の賭けかも知れない。受け入れてくれるか、くれないか。少しでもわかりやすいように説明の仕方を工夫して、計算して、、、、。
それでも言わなきゃいけない瞬間は突然に来る。
「外からは見えないんですけど」
巧は空気が凍りつくのを感じる。
温度差だ。
熱が全て自分に吸い込まれていくように、他の人たち全員の視線が向けられているように感じた。
しかし、それは好都合でもあった。
みんなが聞いてくれているのであれば、思う存分、好きなことを言えばいい。
「一対一で、話すことはできるんですけど、こうやってみんなで集まって話すのは苦手で、なかなか会話に入れないんです」
なんとなく、手を動かしてジェスチャーを加える。そのぶん言葉が稚拙になる。
キュウちゃんは、黙っている。
「とにかく、僕は耳が悪いって言うことですから、気にしないでください」
そんな空気に耐えられなくて、無理やり結論をつけた。また、罰が悪くて目を背けた。
やっと終わった。
そう思った。少しは、安心した。
「そうか」
キュウちゃんは、曖昧に頷く。
「どうしたらいい、、、。」
ちらりと、夜桜先輩の方を見る。
「お、おいどうすれば良いんだ、夜桜?」
なんかうろたえてる。巧の方にも、よく伝わってないのかと戸惑いが伝播してきた。
「うーん」
先輩が、すらりとした腕を顎にあてて考える。
「キュウと仲良くしたいのではないかと」
結局は、そうなのかも知れない。
他人の意見ながら、巧は納得する。
「そ、そうか、あ、アタシは成田 究ですっ!よろしくおねがいしますっ!」
キュウちゃんがぎこちなく手を差し出して来るので、巧も戸惑いながら応じる。しっとりとした冷たい手だった。
「僕は、あ、浅野 巧です!よろしくおねがいしますっ!」
なんだこの特殊な状況は、、、?
内心苦笑いだが、楽しいかも知れない。
「君、いくつかなっ!」
手を握ったまま、キュウちゃんが尋ねる。
なんだか大きい声で話してくれてるみたいだ。
「16歳です」
「、、、ん16?」
キュウちゃんが、一瞬考え込む。16歳だからなんだと言うのか。
「16かあ、ネコと同じ?」
「あ、ハイ、そうです」急に話を振られた猫実さんが自分に指差して答える。
「それがどうしました?」
手を掴まれたまま、巧が尋ねる。生暖かい感触が背中をざわつかせる。
「16歳?」
「あ、はい」
「かわええのう、、、」
怖い怖い怖い!
声にならない悲鳴をあげて巧が手を振りほどこうとする。だが、相対的に貧弱な力では無理な話であった。
握力強すぎだろこの人!?
「そっかあ、今度ご飯でも一緒にいこうか?
行く?」
「うう、、、」
蛇の毒牙にかかったようにうめく。苦手だこういうのは、、、。
「おいキュウ、その誘い方アウトだ、何やってんだバカ!」
夜桜先輩が髪を振り乱しながら仲裁に入ってくれて、手がほどかれる。猫実さんも近寄ってきて抵抗するキュウちゃんを抑える。
巧は呆然として、目の前に繰り広げられる大活劇をただ見ていた。
「これだから、あいつは、、、。」
前髪をかき上げながら、夜桜先輩が「大丈夫?」と心配してくれる。優しすぎるぐらいだ。
「あ、いやまあ面白かったし、大丈夫です。」
巧は息をつく。
もしかしたら、場を盛り上げるためにわざとああやったのかも知れない。そう考えたら、本気になりすぎた自分が恥ずかしいぐらいだ。
「そうか、それならよかった」
そう言って夜桜先輩がわずかに口角を上げる。
どうしたら、こんなにかっこよく言葉を放てるのだろうと不思議になる。その言い方からも背後にある「よかった」の価値が自分にとって特別なものだと、考慮されてるのがわかる。
「はい、よかったです」
そう言えるのが何よりも、大切なことだと巧はわかる。
きっと先輩も猫実さんも、キュウちゃんもわかっていたのだろう。おそらく自分よりも前に。
長らく、障害のせいで人と関わるのを避けてきた。
やっと今、初めの一歩を踏み出せたような気がする。
すごくよろついてたけど、フォローされまくりだったけど、案外自分らしくて良いかも知れない。
猫実さんに叱られているキュウちゃんを遠目に見てる。もちろん、なんて言ってるかは聞こえない。それでも巧は笑う。声を出さずに。




