雑談、待ってる間の。
腕時計を見る。
最近買った、振動式の目覚まし時計だ。なにが特別なのかと言うと、振動式のアラームが付いているのである。
ブルブル震えるので聞き逃す心配がない。最近、障害者支援用品のサイトを見つけて購入したのだ。
小説で「難聴」を描くようになってから、自分の耳の悪さを以前よりも強く意識するようになった。
時計を買ったのもそのせいだ。
自分の障害を理解してもらう、特に文章だけで読む人にわかってもらう、そのために自分のある限りの言葉を使う。難しいと感じる時もあるし、その「縛り」が文章力を高めてくれるのも感じる。
あながち、悪いことばかりでもでもない。
きっと、聴覚障害の中でも軽い方の自分はそう思うぐらいじゃないと。
聞こえる声もあるのだから。
そんなことを考える。待ち合わせ場所の学校が見える。時計のおかげで早く起きすぎてしまった。待ち合わせの時間までまだ30分もある。張り切りすぎだろうか。まあ、小説のこととか考えておけばいいし、文庫を読んで映画のストーリーのおさらいをしてもいいし、、、
都会の街並みをしばらく歩く。
見えてきた校門の前に、人影がある。
姿勢良くたたずむ小柄な少女。
私服姿は見慣れないが、その髪形が何よりも雄弁に象徴していた。
「は?、ねこざねさん?!はやっ」
急ぐ必要はないのに駆け出す。
すると猫実さんの方も巧に気がついて手を振る。
その何気無い光景だけで、嬉しくなる。
「おはようございます」
猫実さんの挨拶を聞くと、どうしてこんなに爽やかにできるのだろうと不思議に思ってしまう。
「おはようございます」
いつもより少し、声量をあげて返す。
「はい」
「早いですね」
「はい?」
「早いですねっ」
「ああ、はい、猫実さんも、、、うん」
それきり、何を言ったらいいかわからなくなった。一回で聞き取れなかった事も何か恥ずかしいと思ってしまう。
部室でいつもそうしているように雑談するとしても何から話せばいいのか。
私服姿についてコメントするか、無難に「映画楽しみですね」とかいうか。いやでも、せっかく女性がおしゃれしてきてるのに何も突っ込まずに話を進めていいのか?
というか、彼女は「何」を着ているんだ?
巧は、自分の知識の無さに戦慄する。
ヒラヒラとした白い爽やかな半袖の服を着ている。それがとてもいいなぁと思うのだが、女性の服の名前がわからない。半袖だからってさすがにTシャツではないだろう。
褒め方がわからない、、、。
「ううん」
巧は答えがでず、意味もなく唸って、空を見上げる。
晴れた青空が、音もなく広がっている。
言葉がない時間。様々なものが混ざり合って、それらを全てつかみとりたいのに言葉は、無力だ。たった少しのことしか、表せない。たった数秒しか、残らない。ましてや、自分は、、、。
『早いですね』
さっきのやり取りを何度も頭の中で繰り返す。その度に頭に恥ずかしさが登ってくる。
「あの」
巧がやっと声をかけるとすぐに、猫実さんがこちらをみる。
「映画楽しみですねっ」
迷った末、結局言った。
好ましくない気持ちを打ち消すように。
「はい」猫実さんがにっこりと笑う。巧は続ける。
「いい小説を書く勉強になればいいなあと思います」
言った矢先に、書くのが苦手な猫実さんへの嫌味になってしまったかと青くなった。
しかし、猫実さんはそんなことは気にせずに「私もただで帰るつもりはないですよ」と挑戦的に笑う。
「それよりも、大丈夫ですか。あの、、」
猫実さんは、それが触れがたいもののように、口ごもったので、巧はその意図を、汲み取る。
「あー、耳のことなら大丈夫です。」
あまり、深刻に考えすぎて欲しくなくて、手を振る。「小説で話の筋はわかったので、ついていけないということはないです」
家で2回、繰り返して読んだ。ノベライズ本が先に出てて本当に助かったと思う。
「そっか」
そう、呟かれたような気がした。かすれた音だけが風のように耳の中で転がって消える。
それでも、真面目に考えてくれただけで嬉しい気持ちになる。何か大切なものを愛おしむような甘く、しょうがない気持ちだ。
それが猫実さんに向けられたものなのか、心配をかけられた自分に向けられたものなのかはわからない。
呼応するように巧は、口にしていた。
「猫実さんは、小説を、」
ここまで続けたところで、どう言ったらいいのかわからない。傷つけずに、心配してることを伝えるにはどうしたらいいのか。
そこで、さっきの猫実さんも、こんな気持ちで自分に耳の事を尋ねたのだと気がつく。
「大丈夫です」
キッパリと返されて巧は、少し戸惑う。
「いつか絶対、書きますから」
そう断言すると、もう動かないような頑固さがある。断言する事で自分に言い聞かせているような。口だけで背伸びしているような気がする。
「あの多分、」
前を向いていた猫実さんが振り向く。
「無理しなくてもいいと思います」
目を見て言う。
猫実さんが、危ういほど一途に思える。
「書きたくなった時に自然に書けると思います。僕がそうだったから」
始めて、小説を書き始めた気持ちを思い返す。恥ずかしさをごまかすために一人で笑いたくなってしまう。最初は遊び半分で暇つぶしのつもりだった。
「なるほど、、、、」
そう、猫実さんが、相槌を打った後に何かを言った。巧は、聞き取れなくてなんとなく「うん」とだけ、返す。完璧な会話は出来ない。それでも、続いていく。
「読んでくれます?」
不安な気持ちが痛いほどわかった。
「もちろんです!」
だから、ここは強く頷く。もし、読むとなったらまず絶対褒める。何があっても面白かったって言うだろう。
巧は、できてもいない小説を読むことを瞬時に計算する。
でも、、そんなことしなくても。
「猫実さんの小説なら絶対面白い。」
いい人の書く小説は、いい小説だろう。
巧も書く側に回ってからは人間性を磨こうとなんとなく努力しようとしてなくもない。
「あ、はい。だといいんですけど」
胸に拳をあてて、どぎまぎする猫実さん。
少しプレッシャーをかけてしまったかもしれない。発言を悔やむ。俺は後悔しながらじゃないと会話できないのかと、どうしょうもない現実に笑ってしまいたくなる。
また、空を見る。さっきなかった雲がもくもくと呑気に浮かんでいる。
最近、その時々の空が美しいと感じるようになった。空を見上げる猫実さんの癖がうつってしまった。




