書く闘
巧はなんとか、歓喜で踊り出しそうになる自分を抑えながら、お助け部に到着した。
いつも通り隣に座る。今は、猫実さんがかわいくてしょうがなかった。誰かに対してこんな気持ちになるのは初めてだった。
「まず、どうしますか」
書くといってもどこからアプローチすればいいのかよくわからない。
「小説のテクニックとかは猫実さんの方が詳しい気もしますし、、、」
何を隠そう、巧の小説をきっちり分析して、感想まで書いてきたのは猫実さん自身だ。
すると、猫実さんは黙って視界から消えた。
足元のバッグの中を探っている。巧の膝の高さに猫実さんのポニーテールがゆさゆさと揺れる。
なかなか、高めのところで結んでいるな。
ここぞとばかりに、巧は観察してしまう。
高めに結ぶと、元気な印象で、低めだと淑やかな感じになる気がする。
巧のどうでもいいポニーテールについての考察をよそに、猫実さんはお目当のものをバッグの中から引っ張りだしてきた。
原稿用紙と、猫のぬいぐるみが机に置かれる。
「猫か」
「あ、はいっ」
元気な返事が返ってきた。
「いや、じゃなくてこのぬいぐるみの、、、」
「あっ、そっちですか。勘違いしました。てっきり私のことを呼んでるのかと」
天然な部分を垣間見てしまったような気がして慌ててフォローする。
「まあ確かに!夜桜先輩は猫実さんことネコっていうけどね、うん」
「はい。巧さんもネコって言ってもいいですよ別に」
「いやいやいやいや、恐れ多いからいいです」あと恥ずかしいからなのだが、素直に言えなかった。恩人とも言える人にそんな馴れ馴れしくするのはどうかと思う。
「そうですか」
なぜかしゅんとされてしまう。
「まあ、それは置いといて」
猫実さんが箱を手元でほい、とどこかに置き直す仕草をした。コミカルだが顔は至って真剣である。
「とにかくこの原稿用紙、ずっと持ってるんです。」
途端に目を伏せる。
その眼差しに、巧は浮ついた気分を醒まされたように感じた。
「ずっと、っていつからですか」
慎重に会話を進める。
「書けなくなってからずっと、です」
ちゃんとした姿勢のままで、猫実さんがうめくように言った。
鋭い眼差しに、巧は言葉に困ってしまう。
可哀想、などは絶対に違う。巧自身が一番、わかっている。できないことは、可哀想なことではない。できないとわかってて、彼女は挑んでいるのだ。
猫実さんが猫のぬいぐるみに手をかけた。背中のファスナーが空いて鉛筆がてできた。
ぬいぐるみだと思ったが、ペンケースだったらしい。
猫実さんが芯が尖った鉛筆を構える。姿勢の良さとも相まって、小学校の頃に見た「正しい机の座り方」の写真みたいだ。
すると本当に写真のように固まってしまった。何も言わずに巧は見守る。何か不用意に言うと、彼女を傷つけてしまうと思ったからだ。
「うう、、」
猫実さんの唇が少し歪んだ瞬間を見た。
「なんて書こう」
眉間にしわを寄せて、何かと闘っているように冷たい容赦の無い目でどこかを見ていた。
美しい姿勢は崩れて、机に肘をついて、額に手を当てて原稿用紙を睨んでいた。
まるで、巧がそこにいることさえ、忘れてしまったかのように。
猫実さんの、怒った姿を思い出した。
崩れて、感情を溢れさせる彼女だ。
いつもは、言葉遣いも丁寧で、礼儀正しい彼女がこんなにも必死に、ただ書こうとしていた。
いきなりこんな光景を見たら、馬鹿らしくおもえてしまうかもしれない。小説なんて、書くだけなら誰だって書ける気もする。
しかし、巧はそう思わなかった。
過去に見てしまったから。彼女の涙を。今は押し殺して、何を考えているのだろう。見えない何かが、体の中で暴れているようだ。
言葉がかけられなかった。
勝手に、自分を重ねていた。
この感情は、知っていると思った。
思いっきり気を使おう。
そう決めた。
彼女が、自分の難聴を気にかけてくれるように巧も、彼女の苦手なことに対して最大の敬意を払おうと決めた。
彼女が、その距離感に寂しさを覚えたとしたら、少しずつ調整していけばいい。
何よりも、傷ついて欲しくない。これ以上。これまでだって、苦しんできたのだろうから。
「猫実さん」
巧の声は震えていた。怖かったし、嬉しかった。誰にもわかることのないと思っていた辛さを分かち合うことができるかもしれないという高揚。やっと彼女のために何か声をかけてあげられるかもしれない。
「あの、話を聞いて」
はっと、集中の糸がほどけた彼女がこちらを向く。目が赤く充血していた。息が詰まったように何も言わない。だから、巧は返事を待たずに言葉を続けることにした。
「猫実さんの気持ちわかるような気がします。押し付けがましいかもしれないけど、僕も、、、。」
言うのが少し恥ずかしかった。
「くだらないって笑われそうだけど、あのー英語のリスニングが全然できなくて、、、」
ああ恥ずかしい。わざわざ口に出すと余計に恥ずかしい。
巧は苦笑いして、別に痒いわけでもないのにこめかみの辺りをかいた。
「耳が悪くて、、、つーか日本語のリスニングもできないのにね」
ふふっと、笑う。
巧はウケを狙ったが、猫実さんは笑わなかった。こくりと顎を引いてこちらを見つめている。あえて笑わないでくれたのだ。
「でも、前に進むにはやらなくちゃ駄目なことで」
巧の言葉に猫実さんが反応する。息を呑むのを音ではなく、わずかな動きで、感じた。二人の目が合う。
「必死で、成績を上げるために練習しても上がらなくて、それなのに周りのみんなは、いとも簡単にホイホイ点を取って。」
ほとんど愚痴だった。今まで溜め込んできたものを吐き出していた。
「絶対に、自分の方が頑張ってるってはずなのに全然努力してなさそうな人に負けたりする。
いくら耳を澄ましても、全然聞こえなくて、でもやっぱりやらなくちゃ駄目で」
ウロチョロしてなかなか締まらない。
喋りすぎて口が渇く。猫実さんから視線を逸らし続けるのも疲れた。ずっと見られていると思うと恥ずかしい。
「だから、だからなんて言うのかな、猫実さんの気持ちもわかるよ。すっごく、わかる」
ゴリ押ししすぎかもしれない。と思ったが、猫実さんは潤んだ目でこちらを見つめてくる。
「ああ」
その呻きごえにどれだけのものが込められただろう。
膝の上に置いた手に、猫実さんの手が触れた。
胸が痛む。心臓が、その手に押さえつけられたかのように思った。
猫実さんは前かがみになら格好で、巧の膝の上に手を乗せる。うつむいていて、表情は読めない。
この間、感じた体温がまた戻ってくる。
痛みで、通じあっていた。
ため息が聞こえた。
永遠とも思える時間がすぎて、やっと言葉がそれを切り裂いた。
「人を助けたくて」
喉の奥で擦れた声が巧の心をざらりと爪弾く。
ぐっと手に込められた力が伝わる。
「だから、みなさんが元気になるような小説を私も書きたいと思いました。」
私も、と言った。それだけで巧は嬉しかった。私も、の中に自分が含まれているような気がしたのだ。
「好きで、書くんじゃなくて誰かの為なら書けるような気がして」
「うん」
「でも、書けないんです。でも、、、書きたいんです。
それで、それで、、、っ」
その続きは聞こえなかった。聞き返せるような雰囲気じゃなかった。
必死で、なんと言ったか予想するが日本語にならない。耳が悪い自分を恨んだ。
肝心な時に、役に立たない。大切な言葉ほど、心の底から絞り出された言葉ほど、声が低くなる。
気がつけば、手がしびれるほど握り締められていた。今だってこう、痛いほど自分の弱さを感じている。
他の誰かが言ったように思ったが、自分だった。
「猫実さん」
掴まれていない方の、手を彼女の手に乗せ、やんわりとどかそうとした。
「はっ、ごめんなさい」
と言って猫実さんが手をほどく。
いえ、と返事をして立ち上がった。
「書きましょう」
椅子が床をこする音。
書きたいってところまでは聞いた。だから、せめてもの答えだ。
巧は、回り込んで、猫実さんが座っている机の正面に立った。
「ゲームをしましょう」
「ゲームって、、なんですか」
猫実さんが怪訝そうに首をかしげる。顔はまだ赤らんだままだ。
フッと、鼻で笑って(イメージは夜桜先輩だ)ニヤリとする。
「人物描写ゲームだ」巧はカッコつけた。
「人物描写ゲーム?それって
《ただいま、6時30分になりました、校内に残っている生徒は速やかに、下校しましょう》
虚しく校内放送が響いた。
『繰り返します。ただいま、6時30分になりました、、、》
「あ、、終わった、」
上手くいかない。でも頑張るしかない。
苦笑いして、猫実さんを見た。
苦笑いで返された。




