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頼みごと

「どうしてこんなに一生懸命なんですか」

 巧が問う。

 すると、穏やかな顔になって彼女が言った。

「どうしてって、」

 少し考え込むように間が空いた。答えを待った。廊下の窓から差し込む夕日が眩しいのか、目を細めた。

「やっぱり、人の幸せイコール自分の幸せですから」

 掬い上げられた言葉は、美しさが滴るような声で届いた。真っ直ぐに、胸をたたいた。

 強烈なオレンジの光から逃れるように、巧は廊下の硬い床を見た。太陽の残像がじんわりと目に焼き付いて離れない。

「そうか」

 巧は頷くので精一杯だった。彼女のように振る舞うのに足りてないものが多すぎると思った。だからこそ、こうやって憧れる。

 誰かが、自分のしたことで喜んでくれる。その幸せを巧は知らないわけじゃない。

 できれば、自分だって、と言いたかった。

 俺だって、誰かを喜ばせたくて、小説を書こうと頑張ってる。右も左も分からない芸術と才能の世界に踏み出そうとしている。

 しかし、それでもまだ誰一人救えてない。「まあまあ」しか、もらえてない。唯一の取り柄だと思っている「書く」という能力さえも、未熟なのだ。

 それに比べて、猫実さんは書けないとは言いながら、それ以外のことで、とてつもなく頑張ってると思う。

 嫌味ではなく、心から言わされてしまう。

「猫実さんはやっぱりすごいよ。」

「いやいやいやいや、そんな事ないです」

 ニコニコしながら胸のまえで手を何度もパタパタさせて、謙遜する。

「なんか、他に仕事ないですか?僕ももっと働きたい」

 何かしたいと心が暴れ出した。もっと誰かに必要とされたいと思った。いや、猫実さんだけでもいいから、必要とされたいと思った。

「えっと、今日はお客さんをまた待つぐらいですね。うん」

「そうですか」

 なら、お助け部で、小説を書いて待とう、と思った。何かしていないと気が済まない。猫実さんに歩調を合わせて、お助け部に向かう。

 夕日の美しさに、巧は見とれていた。そして、猫実さんもきっと綺麗だと感じているだろうと、想像した。空を見るのが好きな猫実さんなら、そのことを分かち合えるだろうと思った。

 それからは、静かな時間が流れた。

 会話が生まれる前に消えてしまう。お互いがなにかを言おうとして距離を図っているような空気が、張り詰めていた。それはとても柔らかく、巧は嫌にならなかった。

 沈黙といっても、どちらかが一言発すればすぐに楽しい会話が始まるような雰囲気だった。

 なんて言おう。そうだ、今度の試写会のことでも、話そうか。

「「あの」」声が重なった。

 目が合う。

「あ、猫実さんどうぞ」

 なんか恥ずかしくなって、もじもじしてしまう。巧は低姿勢な態度をとって心を落ち着けようとした。

「いえいえ、巧さんから話してください。」猫実さんも負けじと譲っくる。

「え、ええーっと」気が動転してうまく話せない。あんなタイミングで重なるなんて、思ってもみなかった。

「あ、今度の試写会なんですけど、日にちとかわかります?」

 目をそらすとわざとらしい気がして、頑張ってそうしたいのを我慢した。悟られないようにするために、顔を硬直させる。

「確か、来週の日曜日です。」立て板に水を流したように、そのあと何か説明がされたが、早口だったため聞き取れなかった。

「はい?」

「学校で、早めに待ち合わせらしいですよ」

「ああ」やっと話を理解する。

「キュウちゃんが、うちの学校をちょっと見たいんですって。新校舎のデザインをじっくり研究するらしいです。スパイみたいですね。」

「なるほど、うん、なるほど」

 そのキュウちゃんって本当に何者なんだよ。

 そう突っ込もうとしたが、猫実さんの尊敬する先輩とだけあってはばかられた。

 次の言葉が見つからなくて会話が途切れる。また二人は並んで歩く。

「そういえば、猫実さんは、なんて言おうとしてたんですか?」

 巧は声が重なったことを思い出した。

「あ、私ですか。え、えっと」

 すると、今度は猫実さんの方がもじもじし始めた。それを見て巧は身構える。そんなに 聞きづらいことを聞こうとしてたのか?

「えーとですね」

 人差し指を付き合わせている。誰が見ても恥ずかしがってる人だと、わかる。

「えーと、、、。」

 何か、言いづらいことなのか。だとしたらどんなことだろう。

 巧は待つ。こちらも恥ずかしくなってきたと思ってしまう。なんだろう。無駄に一人ずつ恥ずかしい思いをしなきゃいけない時間なのか?

「えっと」

「干支?」

「いや、干支じゃなくてですね」

 きっぱりと訂正される。

 もしかしたら、干支って言いたいのかと思ったらやっぱり違った。

「あの、巧さん暇そうですね」

「え、そうですか」

 やっと、変だけど文が出来上がった。

「いや、さっき暇そうにしてたじゃないですか。『働きたいっ!』て言ってたでしょう?」

「まあ、言いましたね。」

 そんなにハイテンションではなかったと思うが。

「で、でしたら、、、。」

 猫実さんも年頃の少女である。なよなよしてる部分がさっきとズバズバと仕事をこなす姿と対比されて急に、色めかしく見えてしまうのであった。

「お客さんを待ってる間、私に小説を教えてくれないかと、、、」

 消え入りそうな声、それでも巧を気遣って聞こえるように声を振り絞ったのだろう。

 衝撃からか、耳元で金属を引き千切ったような耳鳴りがした。

 嬉しさと、愛おしさが、巧の耳をぶっ壊した。

 急激に驚いた時は、こうなる。不自然なほど間が空いてしまい、急いで言葉を継ぐ。

「もちろんいいですよ猫実さん!」

「ほんとですかっ」

 目を赤くして、猫実さんががばっとこちらを向いた。

 巧はうんうんと、首が外れるほど強く頷く。

 そんなことでいいなら、それで済むならなんだって、してあげたかった。




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