5-2「出立前夜」
王都オベールロワイヤルの夜は、静かだった。
城壁の上には等間隔に灯りが揺れ、
巡回の兵士の足音だけが石畳に響いている。
昼間の会議で、灰色教団の追撃は正式に決まった。
王国。
魔導院。
そして管理者。
三つの力が、初めて同じ方向へ動く。
その中心にいるのが――
クレージュだった。
王城の一角、宿舎の部屋。
机の上には、すでに旅支度が整えられている。
剣。
外套。
そして最低限の荷物。
クレージュは剣を手に取り、静かに鞘へ収めた。
遠征は、明日の朝出発。
王都の外へ出るのは久しぶりだ。
だが今回の旅は、以前とは違う。
敵は明確だ。
灰色教団。
そして――
自分。
(触媒……か)
あの黒衣の男の言葉が頭に残る。
六彩。
器。
まだ知らないことが多すぎる。
だが一つだけ確かなことがある。
自分を狙う者がいる。
ならば。
逃げる理由はない。
その時、扉が軽く叩かれた。
「クレージュ」
聞き慣れた声だった。
扉を開けると、そこにはフレイが立っていた。
腕を組み、壁にもたれている。
「荷造りは終わったか」
「だいたいは」
クレージュが答えると、フレイは部屋を見回す。
「相変わらず荷物が少ないな」
「長旅じゃないと思ってるので」
フレイは小さく笑う。
「そう思ってるのはお前だけだ」
部屋の椅子に腰を下ろす。
「灰色教団ってやつ、ただの盗賊じゃない」
「分かってるだろ」
「はい」
クレージュは頷いた。
「だから行くんです」
フレイは少しだけ黙った。
それから言う。
「止めるつもりはない」
「どうせ言っても止まらない顔だ」
クレージュは苦笑した。
フレイは立ち上がる。
「ただ一つだけ覚えとけ」
「遠征は、街の戦いとは違う」
「守るだけじゃ済まない」
扉の前で振り返る。
「帰ってくることも、戦いだ」
そう言って、フレイは部屋を出ていった。
扉が閉まる。
再び静寂。
クレージュは窓を開けた。
夜風が部屋に入る。
遠くに見える王城の庭園。
その灯りの中に、一つ白い影が見えた。
リシェルだった。
クレージュは少し考えてから、部屋を出た。
王城の庭園は夜になると静かだ。
昼間は貴族や騎士が行き交う場所だが、今は人影も少ない。
白い噴水の横に、リシェルは立っていた。
月明かりが彼女の髪を照らしている。
クレージュが近づくと、リシェルは振り向いた。
「来てくれたのね」
「窓から見えました」
二人は並んで歩き出す。
しばらく、言葉はなかった。
風が庭園の木々を揺らす。
遠くで鐘が鳴った。
リシェルが先に口を開く。
「明日、出発ね」
「はい」
短い返事。
リシェルは噴水の縁に手を置いた。
「本当は」
少し言葉を探す。
「止めたい」
クレージュは驚かなかった。
「でも」
リシェルは続ける。
「止めたら、あなたは行くでしょう?」
クレージュは少しだけ笑う。
「たぶん」
リシェルも小さく笑った。
「そう思った」
夜風が吹く。
王都の灯りが遠くに広がっている。
リシェルはクレージュを見る。
「あなたは」
「誰かに命じられて戦う人じゃない」
「自分で決めて、戦う人」
クレージュは何も言わない。
リシェルは続ける。
「だから」
「私は止めない」
彼女は小さな袋を取り出した。
「これ」
クレージュは受け取る。
中には、小さな護符が入っていた。
白い石。
光の魔力が込められている。
「守護符?」
「簡単なものだけど」
リシェルは言う。
「光魔法の結界」
「危険な時、少しだけ守ってくれる」
クレージュはしばらくそれを見ていた。
それから静かに言う。
「ありがとうございます」
リシェルは首を振る。
「お礼じゃない」
「お願い」
クレージュが顔を上げる。
リシェルはまっすぐ見ていた。
「帰ってきて」
それだけだった。
王女でもない。
政治でもない。
ただの言葉。
クレージュはゆっくり頷く。
「帰ってきます」
夜風が二人の間を通り過ぎた。
遠くで城門の鐘が鳴る。
明日になれば、
王都を出る。
灰色教団。
そしてまだ見ぬ敵。
そのすべてが、王都の外で待っている。
クレージュは護符を握りしめた。
守るものは、もう一つだけではない。
王国。
仲間。
そして――
この場所。
夜の王都は静かだった。
だがその静けさの先に、
長い戦いが続いていることを、
クレージュは確かに感じていた。
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