7-57「手を離さない理由」
「クレージュ!!」
現実が、戻ってくる。
歪んでいた視界が、一気に引き戻された。
森の匂い。
湿った土の感触。
荒い息。
全部が、重く、確かにそこにある。
そして——
「何やってんだよ、お前……!」
フレイの声が、すぐ目の前で響いた。
肩を掴まれる。
強引に、引き寄せられる。
「勝手に一人で突っ込んでんじゃねえよ!」
「……フレイ……」
焦点が、ゆっくりと合っていく。
その向こうで、マリアがリシェルの傷を抑えながら必死に治癒魔法を流し込んでいるのが見えた。
エイドは周囲を睨みつけ、いつでも動けるように構えている。
ユーゴは——珍しく、何も言わずにクレージュを見ていた。
その目だけで、十分だった。
“戻ってこい”と、そう言っている。
「……悪い」
短く、そう答える。
だが——
その瞬間。
空気が、変わった。
ぞわり、と全員の背筋に同時に走る違和感。
さっきまでとは、明らかに質が違う。
“見られている”なんて生易しいものじゃない。
もっと直接的で、もっと深い。
「……来るぞ」
クレージュが、低く言う。
自分でも驚くほど、はっきりと分かる。
さっき“触れられた”せいだ。
あれは一方通行じゃない。
向こうも、こちらを“認識した”。
しかも——
“個として”。
『対象:クレージュ』
頭の奥に、直接響く。
もう外からじゃない。
内側に、入り込んでいる。
『優先解析対象、固定』
「……っ、マズいな……」
クレージュの額に汗が滲む。
これは、さっきまでとは違う。
範囲攻撃じゃない。
無差別でもない。
“狙われている”。
完全に。
「どういう意味だよ……」
フレイが低く問う。
答えは、すぐに来た。
言葉じゃなく——現象として。
クレージュの周囲だけ、空間が“沈んだ”。
「——離れろッ!!」
叫ぶより早く、足元が消える。
地面が抜け落ちるんじゃない。
そこにあった“空間ごと”、削られる。
だが——
誰も離れなかった。
「はあ!?」
クレージュが思わず声を上げる。
フレイは肩を掴んだまま、離さない。
「誰が離れるかよバカ!!」
「狙われてんの俺だぞ!?」
「だからだろ!!」
即答だった。
その声には、迷いが一切ない。
「一人にしてどうすんだよ!!」
その瞬間。
削れたはずの空間の“縁”に、炎が叩きつけられた。
フレイの魔法だ。
無茶苦茶な使い方だが、わずかに“ズレ”が生まれる。
「今だ、踏め!!」
エイドの声。
クレージュは反射的に足を踏み込む。
——乗った。
本来なら存在しないはずの“空間の縁”に。
「マジかよ……」
フレイが笑う。
「ほらな、いけるじゃねえか」
「……お前ら……」
胸の奥が、じわりと熱くなる。
限界のはずだった。
一人なら、とっくに折れていた。
だが今は違う。
支えられている。
無理やりでも、引き戻されている。
『非合理的行動』
声が、わずかに揺らぐ。
初めてだった。
あの無機質な存在が、“理解できないもの”に対して明確に反応したのは。
『複数対象、干渉強度上昇』
空間が、さらに軋む。
今度は本気だ。
だが——
クレージュは、笑った。
「……いいじゃん」
息を吐く。
震えは、まだある。
だが、立てている。
「やれること、増えた」
線が、見える。
歪みが、読める。
そして——
仲間がいる。
「次も来るぞ」
視線を上げる。
今度は、逃げない。
「全員で、踏み潰す」
その言葉に、誰も否定しなかった。
むしろ——
全員が、同じ顔をしていた。
戦う顔だ。
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