7-56「掴み返したもの」
視界が、歪んでいる。
さっきまで見えていた線が、ところどころ途切れているのが分かる。細く、頼りなく、まるで切れかけた糸みたいに揺れていた。
息を吸う。
うまく入らない。
胸が詰まる。喉の奥が焼けるように熱い。吐き出した空気が、自分のものじゃないみたいに軽い。
「……っ、は……」
足がふらつく。
踏みとどまろうとした瞬間、膝が一瞬だけ折れた。地面に手をつきそうになるのを、なんとか堪える。
指先が震えているのが、自分でもはっきり分かった。
——やりすぎた。
頭では分かっている。
さっきの“踏み返し”。あれは明らかに、今の自分の器を超えていた。
線に触れた。干渉した。
向こうの“視線”に対して、初めて明確に弾き返した。
その代わりに、何かを削った。
どこを削ったのかまでは分からない。ただ、確実に“減っている”。
「クレージュ!」
フレイの声が、すぐ横で弾けた。
振り向こうとしたが、首が思うように動かない。視界の端で、彼女がこちらに駆け寄ってくるのが見える。
「無理すんな、今の……顔色、最悪だぞ」
「……平気、って顔してないか?」
「してない」
即答だった。
少しだけ、笑いそうになる。
でもその余裕も、長くは続かなかった。
頭の奥に、微かな“ノイズ”が残っている。
さっきまで直接ぶつかっていた“あれ”の残滓。
完全に消えていない。
むしろ、薄くなって、広がって——自分の内側に貼り付いているような感覚があった。
「……まだ、見てるな」
思わず口に出す。
その言葉に、周囲の空気がわずかに張り詰めた。
「は? まだって……」
エイドが眉を寄せる。
その視線の先で、クレージュはゆっくりと顔を上げた。
何もない空間。
敵の姿はない。さっきまであった“圧”も、表面上は消えている。
それでも分かる。
“いない”んじゃない。
“引いた”だけだ。
「完全には切れてない……向こう、まだこっちを追ってる」
「冗談きついな……」
アルシェリアが小さく息を吐く。
その声にも、わずかな緊張が混じっていた。
誰もが理解している。
今のは“勝利”じゃない。
ただ一度、押し返しただけだ。
それも、ギリギリで。
「でもよ……」
リシェルが低く言う。
「押し返したんだろ?」
その言葉に、クレージュは少しだけ目を細めた。
事実だ。
確かに、届いた。
そして、通じた。
それは大きい。
とてつもなく大きい。
「……ああ」
短く、答える。
「一回は、な」
その“たった一回”が、どれだけ重いかは、自分が一番分かっている。
同じことを、もう一度できる保証はない。
むしろ、次は通じない可能性の方が高い。
向こうは、学習する。
観測して、分析して、最適化してくる。
さっきの一撃も、もう“既知”だ。
「じゃあ、どうする」
フランソワが静かに問う。
焦りはない。ただ、次を見据えている目だった。
クレージュは少しだけ考える。
息を整えながら、頭の中でさっきの感覚をなぞる。
線の流れ。
重なり。
ずれ。
——隙間。
「……もう一回、同じことはしない」
ゆっくりと言う。
「次は、違う形でいく」
「違う形?」
マリアが首を傾げる。
「ああ」
クレージュは小さく息を吐いた。
「“押し返す”んじゃない。“引っかける”」
「……は?」
ティロが間の抜けた声を出す。
だが、その顔はすぐに引き締まった。
理解しようとしている。
ちゃんと、ついてきている。
「向こうは、こっちを見てる。解析してる。だったら、その“見方”を逆に使う」
言葉にしながら、自分でもまだ粗いと分かる。
でも、方向は見えている。
「見させる情報を、こっちで選ぶ」
静かに続ける。
「全部見せるんじゃない。一部だけ、わざと強く流す」
「囮、ってことか?」
「近いけど、もう少し悪質だな」
フレイが口元を歪める。
その言い方に、少しだけ救われる。
「向こうに“誤解させる”」
クレージュははっきりと言った。
「こっちの構造を、間違って理解させる」
その瞬間、空気が変わった。
全員が、同じ方向を見た。
“勝ち筋”じゃない。
でも、“戦い方”は見えた。
「……やれるのか、それ」
エイドの声は低い。
試すようでもあり、信じるようでもある。
クレージュは少しだけ黙ったあと、肩を回した。
まだ痛む。
まだ重い。
でも——動く。
「やるしかないだろ」
視線を上げる。
何もない空間の、その先。
まだ見ている“何か”に向けて。
「向こうが見てるなら——こっちも、見せてやる」
その言葉は、挑発に近かった。
静かな、でも確かな意思。
逃げる気はない。
隠れる気もない。
見られているなら、その上で勝つ。
それだけだ。
遠くで、風が動いた。
さっきまで止まっていたはずの空気が、ゆっくりと流れ始める。
戦いは、終わっていない。
むしろ——ここからだ。
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次回もお楽しみに。




