7-53 「解析対象:クレージュ」
さっきまでの喧騒が、嘘みたいに遠のいた。
耳鳴りのような静寂の中で、クレージュは一人、立っていた。
いや、正確には――“立たされている”。
「……なんだ、これ……」
視界が歪む。景色が、仲間の姿が、まるで水の中に沈んだみたいにぼやけていく。フレイの叫び声も、リシェルの詠唱も、フランソワの指示も、すべてが遠くに押しやられていく。
届かない。
何一つ。
「クレージュ!!」
エイドの声だけが、かろうじて引っかかる。
だが、その瞬間だった。
空間そのものが、音もなく“閉じた”。
世界が、切り替わる。
そこはどこでもない場所だった。
色がない。温度もない。風も、重さもない。ただ、無機質な“何か”だけが満ちている。
その中心に、クレージュはいた。
そして――“それ”は、確かにこちらを見ていた。
『――個体認識、完了』
声ではない。
なのに、頭の内側に直接、意味だけが流れ込んでくる。
拒絶しようとしてもできない。遮断しようとしても、もう遅い。
『対象:クレージュ
異常因子検出
既存パターンと不一致』
「……は……?」
思わず、笑いそうになる。
なんだそれは。
まるで、自分が“何かのサンプル”みたいじゃないか。
「ふざけんなよ……」
拳を握る。
だが、指先の感覚が薄い。力が入らない。
自分の身体の輪郭が、曖昧になっている。
『記録照合開始』
次の瞬間、クレージュの視界に――“自分ではない記憶”が流れ込んできた。
燃え落ちる街。
倒れる人影。
誰かの叫び。
そして、その中心に立つ“何か”。
黒い。巨大な。形の定まらない影。
「……っ、やめろ……!」
知らないはずの光景。
なのに、知っている気がする。
胸の奥が、ざわつく。
『過去干渉痕、確認』
「違う……これは……」
否定しようとした瞬間。
今度は、“自分の記憶”が引きずり出される。
幼い頃。
剣を初めて握った日。
仲間と出会った瞬間。
フレイの笑い声。
リシェルの呆れた顔。
フランソワの静かな眼差し。
エイドのぶっきらぼうな優しさ。
アルジェリアの鋭い言葉。
そして――
「……俺は……」
それらすべてが、無遠慮に“解析”されていく。
『感情波形、特異
行動原理、非効率
にもかかわらず、生存率上昇』
「うるせぇよ……」
歯を食いしばる。
こいつは、理解していない。
いや、理解する気がない。
ただ、分類しているだけだ。
『結論:不確定要素
排除、または――』
その一瞬。
言葉が、ほんのわずかに“揺れた”。
『――観測対象として保持』
空間が、わずかに軋む。
初めて、“それ”に迷いが生じた。
クレージュは、その違和感を見逃さなかった。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
「なるほどな……」
ゆっくりと、顔を上げる。
見えないはずの“それ”を、まっすぐ睨みつける。
「お前、分かってねぇんだろ」
拳に、少しずつ感覚が戻ってくる。
輪郭が、再び形を取り始める。
「俺たちのこと」
ドクン、と。
心臓が強く打つ。
その音が、この無機質な空間に、やけに大きく響いた。
『……』
初めて、“沈黙”が生まれる。
「効率とか、確率とか……そんなもんで全部決めてるから、分かんねぇんだよ」
一歩、踏み出す。
足場なんてないはずなのに、確かに“進めた”。
「無駄でも、非効率でも――」
さらに一歩。
『警告:干渉強度上昇』
「それでも、選ぶんだよ」
クレージュの目が、はっきりと光を宿す。
「守りたいって、そう思った瞬間にな」
その言葉と同時に――
世界に、“ヒビ”が入った。
ピシッ、と乾いた音。
無色だった空間に、細い亀裂が走る。
『……異常』
「それが、俺だ」
次の瞬間、クレージュは拳を振り抜いた。
砕ける。
空間が、音を立てて崩壊する。
光が、一気に流れ込んできた。
「クレージュ!!」
現実の声が、戻ってくる。
フレイが駆け寄り、リシェルが息を呑み、エイドが舌打ちする。
フランソワは静かに目を細め、アルジェリアは険しい顔で状況を見ていた。
「……戻った、か」
クレージュは膝をつきながら、息を吐く。
だが、その表情は――どこか変わっていた。
ただの消耗じゃない。
“見られた”という感覚。
そして――“こちらも見た”という確信。
空の奥。
まだそこに、“それ”はいる。
今までとは違う距離で。
確実に、“こちらを認識した状態で”。
クレージュはゆっくりと立ち上がる。
「……来るぞ」
その一言に、全員の空気が張り詰める。
今までは、“遭遇”だった。
だが、これからは違う。
――“狙われる”。
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