レット35 条件
フェイレを産んですぐに亡くなった女性が真視の乙女だったとは思いもよらなかった。
王太后が後宮を廃止し、真視の乙女たちがニール村へ戻ったあとのことである以上、王の近くに真視の乙女がいるとは考えていなかったのだ。
けれど今、フェイレの傍には乙女の能力を失っているとはいえミアが居るし、レットはイルナと共に行動している。
なんらかの理由で、フェイレの母親が王宮に残った可能性は充分に考えられるのだ。
「真視の乙女の血を引く者、か……」
サメディが呟く。
「新しい王は、真視の乙女を解放すると言っております。代を重ね、乙女たちの体がただの人間に近づいている今、聖女の能力は真視の乙女たちにとって重すぎる物となっているのです。かつては真視に回数の制限はなく、視力と引き換えにするという犠牲も払わなくてよかったのだと聞き及んでおりますが、それも遥か昔の話……」
「真視のことは、私も知識として知っている。妹がそちらに嫁いだ後、ちらりとな。そのような能力を持つ娘がエウラルトに存在している、ということだけだが」
「エウラルト王国で聖女信仰が廃れたのは、ひとえに王家がその能力を占有しようとしたがためなのです。真視の乙女は後宮に囲われ人々の前から姿を消し、その存在は民人たちから忘れ去られていきました」
「なるほど、な。うちには教会も多く、祝祭日ももちろん存在している。トリヴァース帝国にしても、三百三十三年前の戦争でその領土の多くを失ったわけだが、トリヴァース大陸は戦火を逃れた地が多く、歴史のある教会が現存しており、聖女信仰も盛んだ。だがエウラルトだけは違った。聖地とも言われる聖女の地をその領土に有しながら不思議なことだと思っていたが、真視の乙女を手に入れたことにその理由があったのか」
「はい。ですが新王は王位についた暁には聖女の地ランフェル山を開放するつもりです。聖女を信仰する者全てが、その地を訪れることができるのです」
「聖女の地は三百三十三年前の大戦で消滅したことになっていたはずだが、そんな事実はないと?」
「聖女の地には今も真視の乙女たちが住んでおります」
「なるほど。そこまで聞いてしまったら、なにもしないわけにはゆかないか。最初からそのつもりで話したのか、トーリオ」
「この機に、サメディさまにも真実を知っていただきたかっただけでございますよ」
そう言って、トーリオは笑ったようだった。
レットはトーリオとサメディの会話から、様々なことを知る。
トーリオについて他国を訪れる機会は少なくはなかったが、信仰、情報などがその場所によって異なることを、すっかり忘れていた。
エウラルトでは当然のことが、他国においてもそうであるとは限らないのだ。
まさか他国では、ニール村が消滅したことになっていたとは、思ってもみなかった。
そして、他国では船乗りの間だけでなく、一般的にも聖女信仰が盛んだということも。
「ほう。では、そこの者たちを連れてきたことにも、理由はないと?」
「おや、ご挨拶が遅れて失礼いたしました。こっちが息子のレット、そちらは息子の友人のイルナ嬢でございます」
トーリオに紹介され、レットは慌てて頭を下げた。
「息子がいるとは聞いていたが、もうこんなに大きくなっていたとはな。レットよ、そなた幾つになった」
「十七歳になりました」
「ほお。それでは、成人したらトーリオの跡を継ぐのか?」
「いずれは。今しばらく、修行をいたしたく思っております」
「いい心がけだな。それに、トーリオと比べれば真っ直ぐで微笑ましいことだ」
「商人としてはまだまだですな」
トーリオの厳しい一言。けれど事実だ。
「さて、それでそちらのイルナとやらだが……面を上げてみろ」
「は、はいっ」
イルナが弾かれたように顔を上げる。つられるように、ティルシャも正面を向く。イルナは薄布を被っていないので、その素顔が露になる。
「赤紫の瞳、か。髪は色を変えているようだが……もとは黒だな?」
「……はい」
躊躇うように、イルナが答える。
「トーリオ」
「なんでしょうか」
「ここに真視の乙女を連れて来た理由を、当ててやろうか」
「事情がありまして、エウラルトに置いておけなかったので連れてきたのですが」
「城にまで連れて来ずとも、宿で待たせる手もあるだろう」
「ニイエル城に入れる機会などめったにございませんから、いい経験になると思いまして」
「わかったわかった。もういい」
サメディがうんざりしたように、手を振った。
けれどその目は、まっすぐイルナへ向けられている。
場に沈黙が落ちた。サメディが何事かを思考しているのは間違いなかった。嫌な予感がした。
しばらくの後、サメディが口を開いた。
「よかろう。ニイエル公国はフェイレが即位した暁には、彼の王を支持しよう。ただし条件がある」
「なんでございましょうか」
トーリオが平淡な声で問う。既にその内容を予測しているのだと、レットには思われた。
その答えを、レットは聞きたくない、と直感的に思った。
だが、サメディは容赦なく告げたのだった。
「真視の乙女にニイエル公国の未来を視させよ。フェイレに肩入れしたあとの我が国も現在と同じかまたそれ以上に栄えることが保障されなければ、私は動かん」




