レット34 大公サメディ
三人がニイエル公国の首都エラルッティに到着したのは、パルドに着いた翌朝のことだった。
夜は宿を借りず野宿して、空が白み始めると同時に出発した。
四つある門のうち一番目立たない門を選んで市壁を通過した。街道に面した門には行列ができていたけれど、こちらはほとんど人がおらず、すぐに通ることができた。
この辺は、仕事で何度もエラルッティを訪れているトーリオが詳しかった。
直ちに城へ向かい、大公に目通りを願う。
レットには未だにトーリオの目的が何なのかわかってはいなかったけれど、入城を許され、トーリオと一緒に大公に謁見できることになった。
それほど商人としてのトーリオは信頼されているらしい。そんなトーリオに、レットは尊敬の念を覚える。自分もいつかそんな商人になりたい、と思う。
しばらく待たされた後、三人はいよいよ大公の待つ部屋へ向かう。
トーリオは実に堂々としており、城内にあっても少しも動じていないようだった。
それにしても、城内の装飾品はさすがにすごい。
レットは城内の絨毯ひとつ、絵画のひとつひとつに感嘆しながら歩いていた。窓ガラスは透明度が高く、外の景色が驚くほどはっきりと見える。
価格にしたらいくらくらいになるのか、などと考えてしまうのは、これはもう仕方のないことだと思う。
トーリオを先頭に、その後ろをレットは歩いている。隣を歩くイルナが抱いているティルシャも、きょろきょろと周囲に視線を巡らせている。
やがて、身長の何倍もありそうな大きな扉の前に着いた。案内していた者がトーリオの到着を知らせる。扉が、ゆっくりと開かれた。
奥へと続く絨毯の更に向こう、高い場所に据えられた椅子の上に、まだ若いと思われる男性が座っていた。
年齢は三十に届くかどうかというくらいで、髪はさっぱりと整えられ、眼鏡をかけている。身にまとう衣類も高級品ではあるけれど華美ではなく、レットは好感をもった。
「よく来たな、トーリオ」
笑顔を浮かべて、男性がトーリオを迎えた。
「お久しぶりでございます。カティ王子のことは、まことに残念でございました。心よりお悔やみ申し上げます」
先日病死したカティ王子の母――現王妃はニイエル公国から輿入れした。大公の妹にあたる人物である。つまり、カティ王子は大公の甥にあたる。
「ああ。まあ、もともと病弱ではあったのだ。手を尽くした上での結果なのだそうだから、なんともな……」
大公の顔に陰が差す。王子の死からまだ間もない今、それは仕方のないことだろう。
「それに、これでもまあ、色々と大変でな。カティのことばかり気にしているわけにもいかん」
大公サメディがうんざりといった表情で溜息をこぼす。
「それでは、面白いものをお見せいたしましょう」
トーリオがにこにこと笑みを浮かべながら、両手に抱えていた木箱を軽く持ち上げた。
「ぜひ頼もう」
ゆっくりと箱の蓋が開けられる。その様子を、レットは斜め後ろから窺う。
中には柔らかい布が敷かれており、その上に丸っぽい形をしたなにかが並べられている。
「お、それはなんだ?」
興味津々で椅子から身を乗り出したサメディがトーリオに訊く。
「これは水海で採れる貝という生き物の殻でございます」
「貝、とな?」
「はい。しかしそれだけではございません。これは水海に浮かぶ島に住む者たちが遊興に使ったと伝えられている品でございます」
「こちらへ。もっと近くで見せてくれ」
手が届くほどの距離まで進んだトーリオがそっと箱を差し出すと、サメディが箱の中のひとつを手に取った。
「これが生きていたのか」
「どうやらそのようです」
「これで、どうやって遊ぶんだ?」
「それぞれ柄が違いますでしょう。大量の貝の中から、同じ物を見つけて遊ぶのだとか。ふたつが合えば自分のものとなり、多く貝を取った者が勝ち、と聞きました」
「ほお。しかしここには十程しかないようだが」
「ええ。これは今より遥か昔、三百三十年以上前の品でございます。当時はまだ風海と水海それぞれの海の行き来が可能であったようで、その際に我らの大陸に持ち込まれた物なので、現存するものはあまり多くないのです」
「三百三十年以上前の品か。これが、水海の……」
レットは貝という物を初めて見た。水海には生き物が棲んでいるということに驚く。
風海に生き物は棲んでいない。たまに鳥が飛んでいることもあるけれど、それは移動しているだけであって、巣は風海、水海どちらかの大陸上にあるはずだ。
いずれにせよ現代においては、風海から水海へ行き、また戻って来る術は存在していない。
水海にたどり着けるとしたら、それは風海で溺れ沈んでしまった時であり、その際には落下の衝撃により水海に着くや否や死んでしまうという話だ。
三百三十年以上前の人々がどうやって水海と行き来していたのか、レットは知らない。
けれどこうして水海の物がこちらの世界にもある以上、行けないということはないはずだとレットは信じていた。
いつか自分の船で水海に行く。それはレットの夢でもある。
「お気に召されませんでしたか?」
「いや。こんな珍しいものを見せてくれて感謝している。だが、それと同時におまえがこれを持って来た意図を考えていた」
「意図、ですか」
なにを言っているのかわからない、という風に首を傾げるトーリオに向かって、サメディが「芝居は要らん」と苦笑しながら告げる。
「ははは。これは参りました。そうですな、それではひとつ、話を聞いていただけますでしょうか」
ぽりぽりと頭を掻くトーリオに、サメディが「話せ」と促す。
「今、我が国が少々どたばたしていることを、サメディさまはご存知かと思いますが……」
「いきなりその話か」
サメディが一気に嫌そうな顔になる。三つしかない大陸のうち二つが戦争をしたら、ニイエル公国にも火の粉が飛んでくることになる。それが喜ばしいことのわけがなかった。
「残念ながら。ですが、戦争をやめさせる方法があると言ったら、いかがでしょうか」
「いかがもなにも、そんな方法があるのならとっとと実行に移せと言うわ」
「確かに。では、現在それに向けて行動中であると言ったら、サメディさまは協力して下さいますでしょうか?」
サメディは厳しい表情で両目を閉じると、しばらくしてから面倒そうに片目だけを開けた。
「簡単にはできんな。こっちにとばっちりがくるのはかなわん」
「ニイエル公国に不利益を与えなければよい、と?」
「急くな。簡単には決められんと言ったはずだ」
「我が国はもう間もなく王が変わります。その新しい王は戦争など望んではいない」
「きな臭い話だな。我が甥が病で死んだばかりだぞ」
「ええ。カティ王子の死を悼むだけの時間も心も、今の王宮にはないのです」
「だから新王をたてると?」
「然様です。その者は、王と真視の乙女の間に生まれた、紛れもない王子です。名を、フェイレ・オル・エウラルトと申します」
トーリオが発した言葉に、レットは息を呑んだ。




