レット28 別れ
「フェイレ~、王国軍がやって来るわよぉ」
教会の扉が開き、キャノアの緊張感に欠ける声がもう時間の残されていないことを知らせる。
「裏へ出てそのまま林の中をまっすぐ進め。馬が用意してある。それでタルーナへ向かえ。船でニイエル公国へ行くのが安全だろう」
タルーナには、レットの家がある。フェイレはそれを知っているのだ。
フェイレが淡々と説明しながら、腰に下げていた剣をレットへ差し出した。
「え?」
「持って行け」
「でもっ」
「守らなければならない人がいるんだろう」
フェイレの強い口調に、レットはそれ以上躊躇することはできなかった。
自分だけじゃない。イルナの命も、自分にかかっているんだ。
レットも覚悟を決めた。
長剣を受け取る。ずしりと重いその剣を、しっかりと握り直す。
これで、守る。自分の命も、イルナの命も。
「ミア、気をつけてね」
「イルナも、元気で」
短い別れの挨拶を交わし、レットたちは裏の通路へと続く扉へと向かう。
扉を細く開け、人気のないことを確認してから大きく押し開けた。
周囲が騒がしくなってきている。
リナたちは上手く敵を教会へとおびき寄せてられているだろうか。
振り返ると、祭壇の前によりそうように立ってこちらを見ているフェイレとミアの姿が目に入った。
なにか言おうとして、でも咄嗟に何を言うべきか思い浮かばず、わずかの間立ち止まる。
「躊躇うな。夢を叶える前から不安に負けるな。迷っていては夢は叶わない」
「え? それってどういう……」
突如フェイレから投げかけられた言葉に戸惑う。
「世界の広さは個々によって違う。おまえの世界は、きっともっと広いはずだ。不安に打ち勝て。おまえの世界へ漕ぎ出せ」
「……っっ!!」
レットは驚きに目を瞠った。
同じ言葉を、過去に聞いたことがあった。
レットが自分の夢を語った時、微笑みながら聞いていてくれた人――。
「来るぞっ!」
レットがひとつの確信を抱いた時、リナシェイクが教会の扉を蹴破らんばかりの勢いで開け、後退してきた。
王国軍兵士たちの荒々しい足音、怒号がそのあとに続く。
「レット、行こう」
イルナがレットの袖を引く。
「早く逃げないと、フェイレたちの心遣いが無駄になる!」
イルナに急かされ、レットは思いを断ち切る。今は逃げるしかない。
レットはうなずくと、イルナの手を引き、素早く居住区画へと滑り込んだ。
そのまま一気に廊下を駆け抜け、教会の裏庭へと出る。フェイレの言ったとおり、そこには林が広がっていた。
日の出間近な空の下を、まっすぐ林の中へ。
フェイレの指示通り林へ駆け込んだ時、背後で大きな音が響いた。
驚いて思わず足を止め教会へと目を向ける。
ヒュムが仕掛けた火薬が爆発したんだろう。爆音が何度も聞こえる。表の方で砂煙が巻き上がっているのが見えた。
それに続いて、ゆっくりと教会が傾き始める。
「崩れるっ」
「急ごう」
少し入ったところに、確かに馬はいた。爆発に興奮している馬を落ち着かせ、なんとか駆け出す。
「みんな大丈夫だよね?」
「もちろん」
無事であってほしいという願いを込めて、うなずく。
太陽がラフル山脈の向こうからゆっくりと昇ってくるのが、左手に見えた。
風海に浮いている三つの大陸は風流によって移動する。だから日の出の方角は、その日大陸のある位置によって毎日変わる。
馬を走らせながらランフェル山を見上げ、レットは太陽の眩しさに目を細めた。
ほんの一週間ほど前、あそこに行った時から、自分の運命は間違いなく大きく変わり始めた。
この運命が自分をどこへ導こうとしているのかはわからない。
けれどレットは進まなければならない。自らの選んだ道を、自らの責任で。
腰では、フェイレから渡された長剣が揺れている。
レットはその重みを改めて感じながら、一直線にタルーナを目指すのだった。




