三人の娘のお休み1
母娘四人の中で一番最初に起床するのはスヴィトラーナだ。
まだ早朝の靄がかかったような薄暗い中で彼女はパチリと蒼の瞳を開いた。ガバッと寝起きにしては機敏な動きで身体を起こす。
パリパリの新しいシーツにふかふかの布団。
そうだ、引越しをしたのだったな。
少しだけ黄ばんだ白い壁と濃い茶をした木の柱と骨組みはその年代を感じさせるように所々に落ちない汚れや細かい傷ざ分かる。その部屋の殆どを埋めるように作られた天蓋付きのベッドで一緒に眠っていた二人の姉妹は一人は布団を頭から被り芋虫のように丸まり、もう一人は腹を出してぐーすかイビキをかいている。
母親は隣の部屋で、まだこの時間ならば寝ているだろう。
昨日、母の部屋を見たら既に手遅れ、否、最高な出来栄えだった。
紫に塗られた壁に黒のベッドとドレッサー。
大きなベルベットに金と宝石が彩られたクローゼットにはドレスと装飾品がこれでもかと敷き詰められていた。何処で買ったのだか縁の細工が豪華な大きな姿見がベッドに腰掛けるマザーの全身の姿を写す。
流石だ、と姉妹三人で頷き合ってしまった。
音を立てないようにベッドの上を移動して窓を開け、空気を吸い込んだ。
緑と水の匂いが鼻を通り抜けた。
やはり前の住まいに比べて自然が多い、そう思いながらぐぐっと両腕を上へと伸ばし息を吐く、部屋着にと用意された白の肌着から覗いた四肢はその年代の娘のものにしては筋肉が発達していた。
男の腕や足のように太く筋が入り、力を込めるとその箇所が存在感を示すように隆起する。
しばらくは鍛錬が不満足な所為で何だか身体が重く感じてならない。スヴィトラーナは不満そうな顔を浮かべ、ベッドの直ぐ横にある自分専用のクローゼットから薄茶けた半袖のトップスと脛くらいまでの長さのズボンを出して着替えた。部屋着は全員共有の洗濯用のカゴに放り込み、起こさないように鈴玉の腹を隠し、布団を掛けてやる。
音を立てないように動く事は苦ではないが、下手に隠れる事を意識すると意識した事にこの姉妹たちは気付くのだ。
新しい住まいに今だ若干の居心地の悪さを覚えながら階段を下りた。
外へ出て、家の前の細い道を抜けた大通りに向かうと、チラホラと市場へ向かう荷馬車が見え、近所の早起きなご老体たちがのんびりと道端の花壇を椅子にして話している。スヴィトラーナはこちらに気付き手を振った彼らに一礼をしてから身体を解し始めた。
大きな通りの真ん中には細い水路がさあさあと音を立てながら流れる。
彼女は関節を柔らかくするように振ったり折ったりしながら、スクワットのような動きをし、その場で二度三度と軽く跳ねた。
「よし」
そう呟くと、その高い背と白銀の髪と灰の瞳に似合わないような軽やかな足取りで走り出した。
「・・・元気ねぇ」
白銀の長い髪が揺れる様を三階の自室の窓から見ながら光沢のある紫の絹で出来たローブに身を包んだマザーはゆるりと笑みを漏らした。
さあ、今日着るドレスを選んでメイクをして。
帰って来る頃にはお腹が空いているだろう娘の為に朝ご飯を腕によりをかけて作ってあげよう、と思いながら。
「はっ、はっ、はっ」
ちらりと昨日マザーから貰った紙を見る。
息を吐きながら走り、時折ある坂や階段を滑り抜けたり飛び越えながら進み、スヴィトラーナは垣根のある建物の前で止まった。
金属音は?人の声は?
研ぎ澄ました感覚の思うままに建物の周囲を走り、覗き見れる場所を見つける。
ブンッと空気を切る音をさせながら庭のような場所で壮年の男性が汗をかきながら木製の剣を振るっている。
剣筋と身体の形をしばらく眺め、スヴィトラーナはそっと紙に目を落とすと再び走り出した。
「はっ、はっ、あそこも狭いっ、はっ」
自分の背と同じくらいの階段を飛び下り、再び大通りへと抜ける。クールダウンするように少し歩きながら額に浮かんだ汗をシャツで拭った。
「困ったな・・・あの女と違って刃物に興味などないし・・・鍛錬さえ出来れば良いのだが・・・」
かといって母に金を払わせてまで借りたくもない。
紙に書いてあった全ての場所を見たが、正直良いと思った場所がなかった。
武芸を教える道場というのは無く、殆んどが剣技であった。延長として近接戦のいろはも教えるのかもしれないがアンジェラと違い彼女は剣に興味は無い。
ううむ、と歩いていると大通りの端で大きな背負い荷物と共に座っている老婆の姿にその足を止める。
母にはご老人には親切にしろと言われているのだ。
「もし、どうかされたのか。お婆さん」
村から王都までを定期便の乗り合い馬車で来て、行商に市場に向かうのにひと休憩していたのだと、ほのぼのと言うその老婆を背負う。大きな背負い荷物を軽々と片手に持った。
ひいひい言いながらそれを背負っていた老婆は驚きながらも綺麗な白銀髪の娘の言う通りに背負われる。
そして、中央の市場に向けてしばらく歩くと汗をかきながら荷車を引いた老人を見つけ声を掛けた。
「ああ、牛乳屋の」
「ああ、行商のばーさんか」
スヴィトラーナは荷物と行商のばーさんを下ろして、牛乳屋の荷車を見て、ポンと握った右手で左の手平を叩いた。
「牛乳屋の爺様よ、それを貸してくれ」
荷車に持っていた背負い荷物と行商の婆と牛乳屋の爺をひょいひょいと荷車に乗せるとスヴィトラーナは荷車を引き始める。
これもまた軽々と。
牛乳の入った大きな瓶が荷車の八割を占め、追加で行商の荷物と老人二人。部分的に鉄が使われた荷車は頑丈に出来ている。重量としては大人の男が何人かで運ぶようなものだ。
それを彼女は平然とした顔でゆっくりと引いていく。
「お、お嬢さん、大丈夫なのかい?」
「ん?もちろんだ。引っ越したばかりだが市場までの道ならちゃんと紙に書いてあるぞ。それにしてもこれは中々鍛えられそうだな、毎朝こんな感じなのか?」
そっちじゃない、と思いながらも何も言えなくなり驚きに開いた口をそのままに二度頷く。
「では、明日から見かけたら声を掛けさせて貰おうかな」
市場に着くまでにその老人たちと打ち解け、これを朝に飲めと牛乳屋の爺から大きめの牛乳の入った瓶を渡される。行商の婆も何かを持たせようとするがスヴィトラーナはそれを片手で制止した。
「後ほど妹と一緒に来る予定だ。その時に色々と頼んでも良いだろうか?何分新参者だ、ご教授願いたい」
荷車に積んだ行商の荷を降ろしながら言う彼女に婆は、もちろんだともと快く返事をした。
「では、また後程」
「朝とはいえ気をつけて帰るんだよ、スヴィちゃん」
若い娘を狙った人攫いが多いという話しは流石に耳しているのか行商の婆は心配そうに瓶を抱えて走り去って行く彼女を心配そうに眺めるが、昔は狩人をしていた牛乳屋の爺は多分心配しても大丈夫だろ、と思いながら出店の準備に取りかかった。




