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いちご†盗人  作者: 斉河
<第二部>
42/42

#An extra entertainment. Ⅲ(d)

 

 突如名指しされ、桂木さんは鳩が豆鉄砲をくらったような顔で起立する。


「は、はいッ?」


 手にはフォークとナイフをかまえたままだ。そのフォークの先には、伊勢エビの身が刺さっている。

 それも、呼ばれるのが数秒あとだったら、彼女の頬を限界まで膨らませていただろう、というボリュームの。


『わかった。そこを動くなよ』


 董胡はマイクを片手に客席を突っ切る。堂々としすぎていて、なんだか大物司会者みたいだ。

 なにやってんのよ兄貴、と美鈴さんが舌打ちしたのが聞こえた。


『間に合わせで悪いが受け取ってくれ』


 桂木さんに向かって、不躾なくらい唐突に、突き出される董胡の右手。

 その指先で、何かが小さく光っている。

 注視して、俺はほくそ笑んだ。


――指輪だ。ラッピングも何も施されていない、剥き出しのままの。


 紫色っぽく見えるから、ダイヤではなさそうだけど。……アメジストかな。

 そういえば董胡、昔からあんな色が好きだったっけ。


「え、な、何ッスか、いきなり」

『いいから手ェ出せ』

「は? あの、董胡さ……うわ!」


 強引に引っ張られた左手から、エビ付きフォークが真下に落下する。

 それがお皿の上でカランと音を立てたとき、


『結婚しよう』


 董胡は彼女の薬指に、指輪を滑り込ませていた。

 ざわついていた会場内が、水を打ったようになる。


『……ずっと、おまえを幸せにできないのは俺のせいじゃない、環境のせいなんだって責任転嫁をして逃げてた。ごめんな』

「ど、ドッキリ、ッスか」

『違ェよ。俺は本気だ。本気で、人生の伴侶はおまえしかいないと思ってる』

「酔ってる……んですよね?」

『だからそうじゃねェっつってんだろうが』


 半分呆れたような顔で、桂木さんを抱き寄せる董胡は正直、新郎である俺を食ってしまうほど男らしかった。


『苦労、させないとは言えない。だが、不幸にだけはさせない。絶対だ。絶対に俺が護ってやる。盾になってやる。だから嫁に来い』

「……うそ、だぁ……」

『嘘じゃねえ。ここにいる全員が証人だ』


 桂木さんの目から涙が一筋こぼれていく。と同時に、セリが俺のタキシードをぎゅっと握った。

 見ればセリの顔は涙に濡れ、桂木さんの何倍もぐしゃぐしゃになっている。

 友達思いで、本当にいい子だと思う反面、こんなときはちょっと考えてしまう。

 桂木さんが男でなくて良かったと。だとしたら、俺に勝ち目はないだろうし。


『俺には未知じゃなきゃ駄目なんだよ。早く返事を聞かせてくれよ』

「う、……ぅう……っだって、信じられなくて……っ」

『泣くなって。それとナイフ退けろ、顔に当たりそうでヒヤヒヤする』

「だって、だって、え、……エビがぁ」


 すっかり動揺しきった彼女のエビ発言に、客席がしばし揺れる。嘲笑ではなくて、温かい笑いで。


『そんなの、これから俺が毎日でも食わせてやる。だから早く“うん”とか言え』

「だってぇえ……ふええぇええ」

『頼むから一緒になってくれよ。俺も、くたばるときにはそこの新郎みてえに幸せボケした顔で死にてェんだよ』

「は、早死にしちゃ、ヤダ……! たばこ、やめて。お酒も……っ」

『わかったから、ほら、言え』

「うぅううううん……っ」

『どっちだそれ』


 思わぬ余興のおかげで、その後の披露宴が大いに盛り上がったことは言うまでもない。

 そのせいで、セリのために計画したサプライズライブが若干霞んでしまったのは誤算だったけど。


 ***


「じゃあこのビデオ、編集が終わったら連絡するからよ」

「ありがとう監督。こんなときまで撮影、お願いしちゃってごめん。これ、お礼なんだけど」

「よせよ。礼ならほら、またラーメンでも食いに来てくれりゃいいからさ」

「そんなこと言って、慈善事業ばっかりじゃ奥さんに叱られるよ?」

「違ェねえ。なら、貰っておくか。ま、明日にゃ馬券に化けるだろうけどよ」


 宴を終え、ゲストをあらかた送り終えると、 


「パパーっ」


 小さな天使が駆けて来て、俺の左足にがしっとしがみついた。


「未生」


 タキシードを汚さぬよう、靴を脱がせてから抱き上げる。最近、ちょっと重くなった……というのはやっぱり禁句だろうか。

 小さくても女の子だしなあ。


「今日はありがとう、おりこうにしていてくれて。本当に助かったよ」

「うん、未生おりこうにして泣かなかったよ」

「偉い偉い。未生ならきっとできるって信じてたよ」

「うんっ。あのね、あのね、ママ、すっごくきれいだった!」


 未生は目を輝かせ、興奮しきった顔でいう。


「おひめさまみたいだったよ」

「だろ。パパにとっては世界一かわいいお姫さまだからね」

「せかいいち?」

「うん。だから未生は二番目だ」


 俺は振り返り、義母と歓談しているセリの背をぼんやり眺めた。

 一時期ぎくしゃくしていた家族との関係、もう大丈夫そうだな。


「にばんめー。にばんめでも、おひめさま、未生もなれる?」

「なれるよ。まだ今は、なってもらっちゃ困るけど」

「あのね、きょうね、董胡が未知おねーちゃんにぎゅってしてすっごくかっこよかった。おうじさまみたいだった」

「そうだね、パパもそう思う」

「未知おねーちゃんもおひめさまになるの?」

「うん。今度は未知お姉ちゃんがママみたいに綺麗なドレスを着るだろうね」


 言って肩車をする。と、未生は俺の耳元で声をひそめた。


「あのね、未生ね、おとなになったらね」

「……うん?」

「なったらね、あのね、パパと同じ、おうた歌う」


 え。

 思わず喉の奥まで出かかった声を呑んだ。

 未生が歌を? 俺と同じ? ロックってことか。なんだって急に。


「や、ヤバンだから駄目なんじゃなかったの」

「でもパパのうた、かっこよかったんだもん。叶よりかっこよかったんだもん。ぐらびてぃ、未生いちばん好き!」


 叶より、か。

 もしかして、サプライズライブが効いたんだろうか。だとしたらわざわざ機材を運び込んだ甲斐もあったというものだ。


「未生もね、おおきくなったらロックバンドやるー」

「そうか。じゃあ、まずはメンバーをさがそうね」


 いいながら、目頭がじんと熱くなるのを感じた。泣くところじゃないのにな、なんでだろう。

 でも、思い出してしまう。

 ここに至るまで、仲間と共に音楽に捧げてきた、長い年月のことを。

 若かった俺は、その半分以上、誰かを妬み恨みながら歌っていた気がする。

 愚かだったと思う。悔いてもいるし、恥じてもいる。

 俺は、セリに教えてもらうまで目の前の単純な真実すら見落とすような人間で――。

 素直さの欠片もなかった。反発することだけを、馬鹿の一つ覚えみたいにしていた。

 それで自分が保てていると信じて疑わなかった。逆に言えば、そうやって溜めた力しか推進力にはならないと思っていた。


……本当はもっと、簡単な力で俺は動けたのに。


 小さな両足を、顔の横でぎゅっと握る。そう、たとえば、こんな。

 これっぽっちの力でも、大切なものは掴めるし前にだって進もうと思えたはずなのに。


***


 着替えをすませて更衣室から出ると、時刻は二十一時を回っていた。

 限界だったのか、未生はソファーの真ん中でウサギのぬいぐるみを抱き熟睡している。セリそっくりの、平和そのものの寝顔に和む。

 奏汰くんが運びましょうかと申し出てくれたけれど、やんわり断った。この重みを直に感じるのも、幸せな特権だと思うから。

 で、さて車に運ぼうかと抱きかかえたところで、廊下の先を柳が横切った。


「あ、柳……」


 明日の収録についてなんだけど。マネージャーから言づてが。

 呼び止めようと発しかけた声を、ぐっと飲み込む。未生を起こしたら可哀想だ。

 致し方なく小さな体をそうっとソファーに戻し、柳を追った。廊下の角を曲がり、――直後。

 俺は少々後悔しつつ、再び身を翻した。


 柳が、立ったまま静かに目を閉じていたからだ。

 祈りを捧げるかのように、真っ白な長手袋を口元に寄せて。


 それは本日セリが教会式のときに身に付けて、先程衣装係の女性が引き上げていったものに違いなかった。

 落として行ったのだろう。

 それを拾い上げた彼の気持ちを、俺は汲んでやることが出来ない。

 最近、お見合いの話が持ち上がっていたと董胡から聞いた。会うこともなくあっさり断ったという話も。


――“私には一生を捧げようと決めた女性がおりますので”


 誰のことを言っているのかなんて、尋ねるまでもない。そんなの、もうとっくの昔に気付いていた。

 柳然り初穂然り――。

 一途すぎる点が不憫だと思う反面、相手があの子なら理解出来ないこともない、とも思うから厄介なのだ。

 セリは対峙した人間の全てを包み込んで“海容”する。あれは無意識なんだろうけど、だからこそ器の大きさは計り知れない。

 惹かれないわけがないんだ。

 それは、わかる。わかるからといって、誰にも譲ってやる気はないから。


(ごめんね、柳)


 仕方なく、携帯電話を引っ張り出してメールで用件を送っておいた。


 ***


 未生をかついで会場をあとにする。セリとは、車で落ち合う予定だ。

 すっかり暗くなった駐車場の隅を、オレンジ色の照明を頼りに歩いた。もう、ゲスト達の車は身内を除きほとんど無い。


(いい日だったな)


 ふと見上げた空には、幾粒かの貧相な星空が今日という日に幕を引いている。

 そんなものにも胸を打たれる感じがするのは、それだけ今日が特別だった証拠かな。

 後部座席に未生を乗せ、静かに扉を閉めた。

 エンジンをかけておこうと、運転席のドアノブに手をかけた――ところで、背中が突然あたたかくなる。

 次いで、腰のあたりに柔らかな圧迫感。そして。


「……夏肖」


 呼ぶ声に、俺はホッとして頬を緩める。珍しいな、セリの方から抱きついてくるなんて。


「一日お疲れさま、花嫁さん」

「夏肖こそ。お疲れさま、あと……ありがと。本当にありがと」

「うん、ライブのことかな」

「それもだけど、それだけじゃなくて。あれ、夏肖が何かしてくれたんでしょ」

「あれって」

「私が、……言ったからなんでしょ」


 セリはぼそぼそ言って腕に力を込める。何のことだろう。振り返って抱き返したいのに、させてもらえない。

 わざと焦らしてるのかな、これ。だとしたら効果は絶大だよ。


「セリ? 聞こえないよ」


 苦笑しながら細い手首を掴むと、「未知のことだよ」


「ねえ、董胡を動かしたの、夏肖でしょ。あれ、私がどうにかしたいって言ったから、叶えてくれたんでしょ……?」


 肯定しようか否定しようか、迷ってしまった。前歯を人質にとった件は秘密にしておきたいし。

 セリは俺のことになるといちいち勘が鋭い気がする。自惚れすぎかな。


「だとしたらどうするの」

「……どう、したらいい……?」


 ゆっくり腕を引き剥がして振り返ると、セリは涙ぐんで俯いていた。


「それは嬉しい涙?」

「わ、かんない涙……」

「うん?」

「どうしたらいいのか、わかんないの。夏肖、優しすぎるんだもん。いつも、いつも、私、……してもらうばっかりで……返す方法、わかんないんだもん」

「セリ」

「夏肖は私に甘すぎだよ。そんなに甘くしたって、損するばっかりだよ? 私には、家事くらいしかできないのに。なのに、どうして……」


 俺は彼女の手を引っ張って、小柄な体を胸で受け止める。


「君は何もわかってないね」


 そんなの、わかりきったことなのに。

 狭い背中に両手を回し、おでことおでこをくっつける。そうしてさりげなく目線を上げさせた。


「ねえ、俺は君をちゃんと守れてる?」

「そ、――それは、もちろんだよ」

「なら、完璧だ。その言葉以上のものなんて俺はいらない」


 え? とセリは涙ぐんだままの瞳をインコみたいに丸くする。どうしてこんなに可愛いのかなあ。


「ぜ、ぜんぜん完璧じゃないよ。意味がわからないし」

「完璧だよ。男の願望なんてそんなものなんだよ」

「なにそれ」


 彼女が不本意そうに尖らせた唇を、ちょんとついばむ。逃げられるかと思いきや、逆にキスをひとつ、返された。

 俺の頬をたよりない両手が包み込む。母親らしい匂いがする、気がする。


「夏肖、私……」

「珍しいね、セリのほうからキス――、っ、」

「もう、夏肖は喋っちゃ駄目」


 いつか教えた断続的な口づけを寄越して、セリは数年前より大人びた顔で、きれいに微笑む。


「私ね、あのね、」


――幸せ。


 小さく囁かれたその言葉が、俺にとってどれだけ多くの意味を持つのか、君は知っているだろうか。

 ときどき、現状を俯瞰して『ナツと結婚しちゃったんだよねえ』他人事のように君は奇跡を口にするけれど。

 それを言いたいのは俺のほう。

 大勢の人々とすれ違う雑踏の中、たったひとり、君だけが俺の本心を暴いてくれたこと。

 強引に奪ったのに、酷いことをしたのに、全てを許して想いに応えてくれたこと。

 その結果、未生というかけがえのない存在に出会えたこと。


 こんな奇跡はないと、歳を食うたびに実感してる。


 なんて、あまり大袈裟な言葉で語ると君は恥ずかしがって嫌な顔をするに違いないね。

 とりあえず今は黙っておくけど……でも、死ぬまでに一度は言っておきたいかな。


 それまで、いや、それからも。

 毎日こうして誓おうか。



「――あ。俺、ひとつだけセリにお願いしたいこと、思い出した」

「なに?」

「そろそろ、未生をお姉ちゃんにしてあげたいな」

「……」

「君の沈黙はOKを意味するんだよねえ。じゃ、急いで帰ろうか」

「え、きょ、今日っ!?」

「駄目なの? 挙式までは、って俺結構、我慢してたんだけど」

「……」

「ふふ、本当に可愛いねセリは」



――君に、永遠を。



<Fin.>

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