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第4話「Time regression、取り戻せるか二人の純愛」

挿絵(By みてみん)


視界を埋め尽くしていた白銀の閃光が、津波のように引いていく。

次の瞬間、鼻腔を突いたのは、埃っぽい木材と使い古された油ワックスの、懐かしくも冷たい匂いだった。

人間界・県立高校旧校舎。二階の薄暗い渡り廊下。

のえるの両足は、軋む板張りの床をしっかりと踏みしめていた。

窓の外を見れば、傾きかけた夕日が校舎を茜色に染め始めている。

手元の通信端末に表示されたタイムスタンプを確認する。

事件発生の、ちょうど十五分前。

そしてその横に表示された神力ゲージは――【0%】。

天界の奇跡も、見習い天使の小細工「のえるんパワー!」も一切使えない。

背中の矢筒に残された「ラブリ〜〜〜シュート!♡」は、正真正銘、最後の一発きりだった。


「……ふぅ」


のえるは深呼吸をひとつ吐き出し、頭頂部で束ねた銀髪のポニーテールの結び目を、ぎゅっと力強く締め直した。

銀色の瞳から甘えや迷いは完全に消え失せ、冷徹なまでの光が宿っている。

奇跡が一切使えない生身の状態。頼れるのは、人間の物理法則と、状況の先回り、そしてボクの地頭の回転だけだ。


「あいつが葵を連れ込むまで、あと十分……準備室へ押し込まれる前に、外堀を全部埋めてやるのだ」


のえるはブレザーの袖を勢いよく捲り上げると、廊下の隅にある掃除用具入れの扉を荒々しく引き開けた。

中から引きずり出したのは、頑丈なモップの柄が二本、底の深い大型の金属バケツ、そして「足元注意・清掃中」の黄色い立て看板。

まずは葵が連れ込まれる予定だった空き教室へダッシュし、内側から重い鉄のかんぬきをガチャンと落として物理的に完全施錠。さらに外側の引き戸の取っ手にモップの柄を斜めに突っ込み、力任せに突っ張り棒の要領で固定した。

続いて階段の踊り場へ戻る。

蓮がポケットに手を突っ込み、獲物を品定めしながら上がってくるはずの導線だ。

のえるはバケツに床用の業務用液状ワックスをなみなみと注ぎ、踊り場のリノリウム床へ惜しげもなくぶちまけた。濡れ雑巾で薄く、均一に引き伸ばす。スケートリンク並みの極悪な摩擦ゼロ地帯の完成だ。さらに頭上の非常ベルの保護カバーへ手を伸ばし、いつでも叩き割れるよう拳を固めて物陰に身を潜めた。


トッ、トッ、トッ……。


階段の下から、気だるげな足音が上がってきた。

蓮だ。口笛を吹きながら、余裕たっぷりの足取りで階段を上ってくる。

そして廊下の向こうからは、職員室へ届けるプリントの束を両腕に抱え、伏し目がちに歩いてくる葵の姿。


「よう、葵。一人か?」


蓮がニヤついた笑みを浮かべ、階段を上がりきったところで葵の進路を塞ぐように壁に手をついた。


「ちょっと付き合えよ。奥の部屋、誰もいねえからさ」

「……やめてください。私、これから職員室へ行かなきゃ――」


葵が身を引こうと後退りした瞬間、蓮が舌打ちをして強引にその華奢な手首を掴もうと踏み出した。


「おいおい、減るもんじゃねえだろ――」

「そこまでなのだーーーっ!!」


物陰から飛び出したのえるが、構えていた右の拳を非常用ベルの赤いアクリルカバーへ全力で叩きつけた。


バリンッッッ!!


ジリリリリリリリリリリリリッッッ!!!!


鼓膜を突き破るような大音量の非常警報が、旧校舎の静寂を一瞬で粉砕した。


「なっ、なんだぁっ!?」


けたたましい警鐘に動転した蓮が、咄嗟に振り返ろうと軸足を強く踏み込んだ。

その足が捉えたのは、先ほど念入りに塗りたくられた業務用ワックスの油膜だった。


「うおっ、うわああああああっ!?」


摩擦を失った両足が派手に宙を舞い、蓮は漫画のように背中から踊り場の床へ激突した。

ドッシャァァァン!!と凄まじい音が響き、階段の段差を二、三段転がり落ちて腰をしこたま打ちつける。


「痛ぇぇぇぇぇぇぇっ!? な、なんだこれ、誰だテメエッ!?」

「逃げるのだ、葵!!」


のえるは痛みに悶絶する蓮を一瞥もせず、呆然と立ち尽くす葵の手首を掴み、非常階段の重い鉄扉を蹴破って外へと駆け出した。


「えっ、あ、貴女は……!? どうして、一体何が――」


息を切らしながら引っ張られる葵が、混乱の声を上げる。

非常階段を一段飛ばしで駆け下りながら、のえるは振り返り、葵の目を真っ直ぐに見据えて叫んだ。


「いいから走るのだ! 葵、今この瞬間に、貴女が本当に顔を見たい相手は誰なのだ!? 誰に助けてほしいのか、自分の胸に手を当てて、よーく考えるのだ!!」

「……っ!」


葵の胸に、幼い頃からずっと隣にいた少年の笑顔が、痛いほどの鮮烈さで蘇る。

外へ飛び出すと、西日に染まった校舎の中庭の向こうから、けたたましい警報の音を聞きつけて血相を変えて走ってくる人影が見えた。


「葵……! 葵ーーーーっ!!」


肩で激しく息を乱し、喉を枯らして叫びながら走ってきたのは――翔太だった。


「葵……っ、無事か……っ!?」


翔太は足をもつれさせながら転がるように駆け寄ると、震える両手で葵の両肩をしっかりと掴んだ。

いつもなら気弱で、人の顔色ばかり窺っていたはずの少年が、いまや涙目で、自分の制服の乱れも気にせず、必死の形相で葵の全身を確かめている。


「警報が鳴って……旧校舎に不審者が出たって聞いて……っ! お前がそっちに行ったのを見たから……っ、怪我はないか!? 何もされてないか!?」

「……翔太……」


葵の瞳が大きく見開かれ、そこからボロボロと大粒の涙が零れ落ちた。

張り詰めていた恐怖と緊張が解け、少年の胸板へ額を埋める。


「……バカ。声が、大きすぎるわよ……っ」

「お前が無事なら、なんだっていい……! ずっと、ずっと言えなかったけど……俺、お前がいなくなったら嫌だ! 誰よりも、お前が大事なんだ……!」

「……うん。知ってる……っ! あたしも……あたしもずっと、あんたのことが好きなんだから……っ!!」


二人の重なり合う心から、淡いピンク色の、眩い光のオーラが立ち昇る。

感情値――上限突破、純愛度百パーセント。


(今なのだ……!!)


物陰へ退避していたのえるは、矢筒から最後の一本となった「ラブリ〜〜〜シュート!♡」を引き抜いた。

神力はゼロ。だが、研ぎ澄まされた集中力で弓を極限まで引き絞る。

狙うは、夕暮れの中で固く抱き合おうとする二人の心臓。



「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇっ!! これで決まれなのだーーーーっ!!」



ビシュゥゥゥゥンッッ!!


放たれた光の矢は、茜色に染まる夕暮れの中庭を白銀の航跡で切り裂き、重なり合う二人の胸へと吸い込まれていった。

弾かれることはない。

光は淡い桜色の粒子となって中庭一面に舞い散り、二人を優しく包み込む。

見つめ合う翔太と葵は、ごく自然に、誰の邪魔も入らない純愛の口づけを交わした。


『任務完了:対象二名、完全成約』


端末の無機質なアナウンスを聞き届けた瞬間、のえるの膝から力が抜けた。


「……はは。やった……やったのだ……」


のえるは中庭の芝生の上へ、大の字になって倒れ込んだ。

夕暮れの空を見上げながら、泥だらけの手を天へかざす。

自分のミスで一度は地獄へ落ちかけた運命を、自分の手で、最後の最後でねじ伏せてやったのだ。


◇◆◇


天界・ラブリーカンパニー愛結課フロア。


「……というわけで! こちらが今回の完全解決・業務完了報告書なのだ〜!」


ドヤ顔をこれでもかと浮かべ、ちえる係長のデスクへビシッと書類を差し出すのえる。

ポニーテールをほどき、いつもの姫カットに戻ったのえるは、すっかり調子を取り戻していた。

だが――机の向こうに座るちえるが差し出してきたのは、真っ赤なインクで厳封された、禍々しい一枚の辞令だった。


「……はい、ご苦労様でした。そして、これを受け取りなさい」


【天界査問委員会通達:神力不正前借りおよび無認可設備損壊に関する懲罰処分】


「……へ? な、なんですかこれ……?」


ちえるは切れ長の瞳をスッと細め、いつもの冷徹で完璧なキャリア美女の仮面を張り直して告げた。


「神力を使い果たしたツケの清算、および時間遡行に伴う天界リソース浪費の帳尻合わせです。今期の貴女の有給休暇は全剥奪。明日から三ヶ月間、天界オフィスの全フロアのトイレ掃除と雑用係を兼任していただきますわ」

「ええええええええええ〜〜〜〜っ!? か、かなぴー!! ボク、あんなに頑張ったのに!?」

「当然の報いです。……ですが、まあ」


ちえるは手元の端末をチラリと見た。

そこには、第三課からの正式な転属内定通知と、最愛の彼氏・はえるからの甘いメッセージが届いている。

ちえるの口元が、わずかに、本当にわずかにだけ綻んだ。


「あの子たちの純愛を守り切ったことだけは……少しだけ、評価して差し上げますわ。……コホン! よろしいですか、のえるさん。次の案件は明日早朝五時集合です。また遅刻して私の査定に傷をつけたら、今度こそ天界の外へ叩き落としますからね!」

「ひええぇぇ! もっ、申し訳ありませんちえる係長ぉぉぉ(大汗)!!」


見習い天使のえるの、愛と始末書とトイレ掃除に追われるドタバタな日々は、まだまだ始まったばかりだった。



(第4話「Time regression、取り戻せるか二人の純愛」おわり / 第5話へ続く)

メインヒロインのひとり落ちこぼれ天使のえるが歌う、

「ラブリーエンジェル ~ 幸せを呼びキューピッド ~ 」の前期ED主題歌です


『夕暮れのディストーション 』


架空アニメ 「ラブリーエンジェル ~ 幸せを呼びキューピッド ~ 」前期ED主題歌


歌:のえる


https://suno.com/s/evIaB9x5jwg3NH0A

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