005 或いはそれは森の中(2)
「物音とは、何の事でしょうか」
「……すごく、大きな音よ。酷く鈍い、鉄の音がしたから来たの。魔法では無いなら何が理由かなんて、これを見たら分かるでしょ」
搔き上げた髪からはフワと良い香りが漏れる。
美しい顔、肩までかかる程度の青髪が風に靡いた姿は確かに彼の心を揺さぶった。どうしよう、なんと返そう……それ以前に今の状況を正しく切り抜ける手が無かった。
「……ごめんなさい。無知なので分かりません」
「そう……ううん、こちらこそ、ごめんなさい。貴方は少しも嘘をついていないわ。きっと、何かがあって今の音を立てたのよね」
咄嗟に出た言い訳、それに少女は笑って頭を下げた。軽く値踏みしたような視線、そしてホルダー内の拳銃に一瞬だけ目が止まった事だけは、彼にもよく分かる事であった。だからこそ、態とらしく聞く。
「もしも、仮に……俺が立てたとするなら理由はあります」
「……それの事?」
彼は静かにホルダーから拳銃を抜いて見せた。
それにサッと構える少女ではあったが、渡そうとしてくる姿に剣を下ろして受け取る。数十秒程度、眺めた後に返して視線を向けた。
「はい。とはいっても、誰かから譲り受けたという事以外は分かりません。どうにも、一年程前に近くで目を覚ましたばかりですから」
嘘はついたが、嘘はついていない。
どちらもある、それは交渉の中では当たり前の話し方である。一年程前という事は嘘であっても、他の重要な事に対しては少しも嘘を漏らしてはいないのだ。
「記憶……無いの……?」
「……無いのか、それとも元からなのかは俺にも分かりません。名前は知っていますが……それもきっと本当の名前では無いのでしょう」
「いいわ。……教えてくれる?」
そう返され、彼は確かに困った表情を見せた。
わざと、そうであったなら彼女から今のような視線を向けられる事も無かっただろう。口にするべきなのか、それとも本当の事を口にするか、出来ないならば───
「リオン、だと、思います」
「……そう、そういう事にしておくわ」
嘘、それは明確に彼女へバレている事だった。
放置をすれば疑われるまで、ならば、その嘘が本当であるかのように振る舞わなければいけない。フル回転させたリオンの脳みそが叩き出した正解は彼女の手を掴む事だった。
「もしかして! 俺の事が分かるのですか!?」
「……分からない。でも、その名前が本物ではない事は分かるわ。きっと、貴方の記憶が混濁しているのかもしれない」
だからこそ、無自覚な嘘であると錯覚させた。
自身はリオンであるという自負、それを成り立たせるためには本当の自分を探しているかのように振る舞う必要があるのだ。
強さ、それはゴブリンを八つ裂きにした先程の姿からして嫌という程に分かる事であった。なればこそ、数少ない可能性すらも汲んだ上で動かなければいけないのだ。
「私はエルザ、一応……ルール領の冒険者ギルド受付業務をしているわ」
冒険者ギルドの受付業務と聞いて少し安堵する。
想定していたのはルール家の兵士、もしくは殺しに来た暗殺者だったのだ。その役職に嘘が無い事は真っ向から握手をして、視線を向けてくる様子から分かる事だった。とはいえ、それとは別にリオンには疑問が浮かぶ。
「受付で、その力ですか」
「ええ、元冒険者なの。とはいえ、長らく戦っていないせいで衰えたけどね。それで貴方……」
その時にギラリと視線が変わってしまう。
判断を誤ったか、そう考えたが既に遅い話であった。グイと顔を近付けられて眼前に眼を向けられてしまえば拒否できる道理も残ってはいない。
「気が付いていないようだけど、ルールと聞いて表情が変わったわね。もしかして、抜けている記憶の中に関わる事がある、とか」
フッと笑うエルザの手は暖かかった。
ブラフや殺すための言動ではない、それが分かるからこそ、ズキリと彼の胸へ針が指す。素直に言えるような状況ならばどれ程に楽だろうか、笑って握られた手を強く掴み返した。
「……ルールは知っています。だって、そこを目指していましたから」
「そう、いいわ。貴方……一人だと大変な事もあるでしょうし……私に着いてくる。ここは他の街に近いから出てくる魔物は弱いけど、ルールへ行くのなら魔の森を超える事になるわ」
指差した先、同時にリオンは畏怖を覚えた。
そこは奇しくもシオンが暗殺者に襲われた場所なのだ。魔の森、それ以前に暗殺者が居る可能性の高い空間なのである。それに構えない方がおかしな話だろう。
「エルザさん、俺は何も返せませんが、力を貸してくれませんか。そこへ行けば失った何かを思い出せる気がするんです」
「……本音っぽいね。いいよ、幼い子供を捨て置く程の惨めさは持ち合わせてはいないもの。それでも貴方は私に返す必要があるわ」
ギュウと抱き締められたエルザの体は酷く柔らかく感じられた。良くも悪くもリオンが本能的に暖かさに身を任せたいと思える程には、美しく、それでいて気高い心があるのだ。だからこそ、その胸元を少しだけ濡らしてしまった。
「冒険者になってね。ゴブリンを無傷で倒せるのなら力はあるはずだから……有能な戦士は幾らいても困らないわ」
「任せてください。きっと、お力になれますよ」
「そ、なら、いいわ」
手を抜く、それは誰にでも出来る事である。
対して、その力を示すのには覚悟がいるのだ。持つ者は持たない者をどうとでも出来る力を手にする必要がある等とは歴史が伝える事である。
「とりあえず……近場の街に戻るとしても十日はかかるから。村へ向かう事にするわ。リオンの分の食料は無いけど」
「問題無いですよ。俺には、この目がありますから」
グイと突き出したのは変哲も無いキノコだった。
近くから取った中で唯一の食用とされるそれ。同時にエルザには分かるのだろう。視線を向けて確かに聞いた。
「それ……鑑定眼?」
エルザの声にリオンはこれ見よがしに笑みを返してみせる。スキルという分野に対しては少しの知識も無い彼からすれば、必要そうな名前は手にして損が無いのだ。
無いのならば、買えばいい。それだけである。
だから、満面の笑みでエルザに返した。
「内緒、だと駄目かな」
「そう……それならそれでいいわ」
彼の笑みに対して、エルザも確かに心の底から笑って彼の頭を撫でて見せた。
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