004 或いはそれは森の中(1)
晴れ渡る空、澄んだ空気……日光浴などとはよく言ったもので、確かに洞窟を出た彼は当たり前のように深呼吸をしてしまった。
肺の中に留まっていた暗い空気。
自身の死ぬ時の死肉の香り、転生してから思い出した兵士達の無惨な死骸の後々……鼻に籠っていた全ての悪の華を宙に咲かせてみせた。
「ルール領まで……余裕で一月はかかりそうだな」
マップで得た知識、本来は絶望的な状況だろう。
それでも、見せた表情は只管に笑顔なままだった。先に何が待っているのか、その興奮と共に確かに感じるのだ。捨て去ってしまったつもりでいた童心が、生への執着という形で彼の目前に迫って来ていた。
「ゴブリン、か……」
悩む彼のマップにいたのは、ゴブリンという魔物だった。名前だけ、それでも、知らない訳のない名前である。興味が無くとも流れるアニメによく現れる最弱の敵、それが点々と存在しているのだ。
その事実はシオンの知識と変わりはしない。
ステータスで表すならば平均して五十程度、確かに今のシオンと比べれば圧倒的な差だろう。とはいえ、それは武器や防具に頼らなかった場合に限っての話だった。
下着、シャツ、ズボン、靴下、それと上着のどれを取っても防御力に百が加算される状況。五百の防御力へ、五十の攻撃力が来たとしてダメージがあるのか否か……それは経験則としてシオンが知っていた。
「とりあえず、練習と行こうか」
与えられた異次元流通は皮肉だろう。
そう考える彼には、もう一つのマップは真逆の力としか感じられなかった。
固有スキル【マップ】、それは知識のある空間であれば地図として脳内に浮かび上がらせる能力である。同時に選んだ範囲内にいる魔物の名前と性別を文字で、強さを弱い者から順に緑→黄→赤で伝えていた。
その中でゴブリンは淡い黄色、つまり、相手次第で勝てるという状況である。それらの知識を手に入れられたからこそ、疑問に感じてしまう。
「……俺を、どうしたいんだろうな」
前者が安定して金を稼げるようになった彼を助けるためのスキルならば、後者は確実にそれに繋げるための、生き残らせるための力だろう。
家族の死に目、その時に神へ願ったのだ。
友が消えた時、その時に神へ願ったのだ。
自身の大切なものを奪わないでくれ、などと。
だが、叶わなかったからこそ、今更、生き残れるだけの力を与えられようと、その腐った精神が、身勝手な神様へ忠誠や愛などを捧げられる訳もなかった。
だからこそ、静かに目指す方向へ静かに進む。
ホルダーから拳銃を抜き、音を立てずにゆっくりと歩んだ先にいたのは一体の緑色の小さな醜い小鬼、ゴブリンがいた。体躯は百三十も無いだろうか、もしも、これが童謡の赤鬼と同じならば少しも人気は出なかったであろう汚い容姿である。
運良く、いや、案の定、彼を捉えてはいない。
構えた拳銃は震えていた。だからこそ、左手で支えてみたが変化は無い。生物を殺す事への忌避感ではない。ただ純粋に───超えては行けない境界線を押し付けられている気がしたのだ。
「スゥ───!」
大きな新呼吸音、それにゴブリンが気が付く。
安定させるための行動、同時に逃げられない状況を作るための好機であった。迫る音、命を懸ける声が盛大なアニメのオープニングテーマにすら感じられてしまう。
ただ、引鉄を引くだけ、されど、それまで。
分かっている、分かっていた……だが、それは過去の自分と同じままに生きようとしているだけである。咄嗟に過ぎった感情は、ただただ暗く澱んでいながらも輝いていた。
「一撃とは……さすがは最弱だな」
撃ち込んだ銃弾がゴブリンの額を貫いた。
一拍置いて息絶え、地面に落ち、周囲に汚い血肉の跡を残していく。臭い、只管に据えた匂いが充満していった。もとから漂っていた臭い、そう思えたなら幾分かマシだっただろう。
「……しゃあ、ないよな」
足を踏み入れたのは紛うこと無き、戦場である。
生き残るためには、その生を全うするためには確かに覚悟が必要なのだ。奪う事ではない、全てを喰らえるだけの自負が無ければ、どうと出来る訳も無い。
「ギ……ギィ……!」
「弱いものは何とやら……か」
銃声を聞き付けたのは四体のゴブリンだった。
放心していた訳ではない。だが、本人が気が付かない内に幾許かの時間が過ぎていたのだ。残酷、癒え切っていない心には酷な状況だろう。それでも右手に剣を、左手に拳銃を構えて笑ってみせる。
咄嗟に撃った二弾、それは確かに敵に届いた。
だが、外した左右の二体は明確な殺気を表に出しながら彼へと向かう。強さ、弱さ……それに興味等は持ち合わせてはいない。いいや、その余裕すら無いと言うべきか。
右側のゴブリンから来た棍棒を剣で受け止める。
同時に迫る左のゴブリンへは鉄の弾を食らわせて見せた。少し先ならば外す余地もあるだろう。だが、その頭へ付けられてしまえば道理などはどこにも無い。
「最後は、お前だな」
カチャと音がした拳銃をホルダーへ戻す。
そのまま、剣を構えた先……ハッと表情を変えた。その隙をついてゴブリンが迫るが、彼の表情には別の恐怖が見え隠れする。何故ならば───
「……さっきの物音は、貴方が出したの」
一人の女性が高速で迫って来ていたのだから。
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