012 或いはそれは覚悟の中(1)
「お帰りなさいませ。シオン様」
「……はぁ」
入ってすぐのフロント、その最奥までは馬車と比べれば狭いものの、二階に続く階段の長さや左右に広がる廊下の長さ、天井までの高さすらも普通の屋敷とは言えないものである。
その左右の道を塞ぐ程の執事と侍女の数々、その中でも彼へ挨拶をした者だけが五十は取っているであろう老父だった。
とはいえ、その見た目は美しく、着用しているスーツすらも熟し、寧ろ、価値を怪しませる程の凛々しさである。右目に着けた黒のモノクルと背後に流した白髪は一目見て、彼が執事長である事を彼に察しさせた。
だが、そのリオンの簡単とは裏腹に執事長、共に横に並ぶ者達の顔色が極端と悪くなる。伺うような視線ではあるが、それを聞ける者は誰一人としていないのだ。
「な、何か……お気に障る事でも……」
重々しそうに執事長は彼に聞いた。
そこでようやく彼も思い出す。シオンという少年は気に食わなければ容易に首を切るような忌み嫌われるべき存在であった、と。
反応の仕方一つ、それだけで多くの者が恐怖を覚えるのである。彼等の求める反応をしたいというのは本心だった。だが、その気持ちを表に出す事は出来ない。
「いや、気にしないでください。色々と理由があるだけです。特に、そう……シオンと呼ばれてもよいのか分からないので」
「で、ですが……」
縋るように一歩前へ出た老父に彼は一瞬だけ冷たい視線を送った。貴族としての不自由さ、シオンとして生きる事の意味……ならば、一層の事───
「ジェームズ、今は彼の言う通りにしなさい」
「マリア、お嬢様……」
彼の後ろからした少女の声、冷たいものである。
彼を相手にしている時のような優しさはない。どこか怒りの籠った声であったのは執事長、ジェームズが珍しく判断を誤ったからに他ならなかった。
「お……私は貴方達が思っている方なのかは分からない存在です。ジェームズさん達に何かをするつもりは無いです。ですから、今だけは私の姿を見なかった事にしてください」
「その割には……いえ、そうさせていただきます」
異様な光景、少なくとも場にいた全員が確かに彼をシオンだとは思えなかった。礼儀正しく、それでいて何かを憂うような表情……彼の腰に差した剣と銃は武人としての力を示している。
「マリア様……後々、おやつを渡しに参りたいと思います。どのような物を御所望でしょうか」
「紅茶とクッキー、二人分でもあれば十分かしら。とはいえ、先に食事の時間となりそうだから、早くても明日の朝食後になりそうね」
「承知致しました」
パンとジェームズが手を叩いた瞬間、周囲にいた執事と侍女の全員が場を離れた。一糸乱れぬ美しい動きは紛れもなく公爵家の配下であり、彼が異世界に来たという事実を深く心に刻んだ。
「ままならないね」
「事情を知らない者からすれば当たり前よ」
ドライな返答、だが、それが彼にはとても温かい言葉に感じられた。下手な優しさも、強過ぎる言葉も傷付ける理由となってしまう今、掴まれた手の柔らかさだけが彼を彼として残してくれる。
「貴方の部屋に案内するわ。私も……シオンが帰ってきたって伝えないといけないから」
「……大丈夫だよ。顔と名前を覚えている家族にまで隠す気は無いからさ。でも……」
そこから先は、彼には続ける事が出来なかった。
シオンとして生きる事、それは彼が残した罪を受け入れる必要があるのだ。今し方、受けたような身勝手とも取れる仕打ちすらも、受け入れた上で許さなくてはいけない。
嫌な考えだけが頭を過ぎる。払った頭、それでも消えてはくれないのだ。その虚ろな視線をマリアは捉えたが静かに手を引くだけであった。
大切な存在、その事実はあれども、彼のしてきた事を近くで見てきた彼女には、それを共に背負うと言うには小さ過ぎる体なのだ。
「本当に……広いね。迷っちゃいそうだ」
「迷ったら私が迎えに行くわ。……今までだってそうだったから」
「そっか……うん、そうだよね」
リオンは微笑んでマリアの手を払った。
悲しげな視線、それは互いに感じるものである。先に逸らしたのはマリアであり、進む背中をリオンは着いて行った。三分程度かかって一つの部屋へと通される。
「うーん……?」
「……一応、シオンのセンスよ」
「そう、なんだ」
屋敷自体は白を基調としており、大きく煌々と輝くシャンデリラも天井に埋まったライトも、豪華絢爛さを大人しくさせるための手工だったのだ。貴族の家と聞いていたからこそ、金をかけただけのものと括っていた彼は確かに脱帽した。
対して、通されたシオンの部屋は、一面ピンク色の壁を基調としており、透明な壁で覆われた風呂に四人は寝られそうな大きなベットが一つだけ置かれている状態だった。
幾つかの魔道具……冷蔵庫やショーケースはあるものの、半開きとなっているクローゼットから見える衣類はネグリジェ等の楽しむための衣類しか見えない。
「まぁ、寝られるから大丈夫だよ」
ベットに腰かけようと前に進んだリオンの体が止められる。背後から抱き締めてくる少女は少しばかり震えており、彼も静かに困惑した。
言葉を返せば楽だろうか……それでも、リオンは回された腕を軽く触るだけで何をするでもなく受け入れた。深呼吸、その後に耳元で囁く。
「私は、何があっても貴方の味方だから」
「……ありがと。すごく頼もしいよ」
震える声と体、彼は抱き締めて止めた。
可憐さも、強靭さも……年齢に幼い彼女には重過ぎる代償である。だからこそ、自身に見せた弱さは甘えたいという欲望そのものでしかないのだ。
「マリアに、任せるよ。俺も……覚悟は決めたから」
「うん……絶対に、守るから」
少女は笑って部屋を後にする。
仄かな甘い香りだけが部屋に残っていた。
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