011 或いはそれは馬車の中(2)
「……と、ここが冒険者ギルドか」
「ええ、そして、明日からリオンの働く場所でもあるわ」
エルザの言葉にリオンは首を縦に振った。
剣と盾が重なる看板が目印となっている空間、それがエルザの勤める場所である冒険者ギルドである。木製の扉はまるでガンマンが中へ入るかのようで、リオンの忘れかけていた男心を擽った。
「近い内に行きますよ」
「……待っているわ」
笑顔で馬車を下りるエルザにリオンは苦笑いをしてしまう。シオンである事は隠せた。だが、その対価として必要以上の代償を払ってしまったのも事実である。
特に雑談で口にした彼女の質問……咄嗟に首を左右に降って考えを消した。嘘の通じない相手、それも右にいる女性も同様なのだ。下手な考えは自身の身を潰す、分かるならば出来る事は一つだけだった。
「久し振り……マリア姉」
「よかった。記憶が無いって聞いたから……てっきり私の事も忘れたのかと思っていたのよ」
「忘れていない、という訳では無いんだけどね」
嘯くマリアにリオンは笑って返した。
事実、顔や名前は覚えていたが、その異様なまでのシオンへの執着や、彼女との記憶は何も残っていないのだ。それを理由に気を許せる等と死んだ身として誰が言えるだろうか。
「それで……この後はシンお父様に会わないといけないんだよね」
「ええ、世間には事情聴取として……まぁ、シオンを殺した暗殺者のいる森で暮らしていた青年なんて、話を聞かない方がおかしな事かしら」
マリアの言葉にリオンは頬をかいた。
無理やりな嘘、真実だとしても多くの者が疑う話であるのだ。事実としてリオンはシオンと酷似しており、それを訝しんでエルザは彼に存在を問うた。
「俺はシオンとして生きる気は無い」
「知っているのよ。だって、エルザに対しても執拗にリオンだと口にしていたから。それに私の騎士を見ても尚、貴方はその考えを曲げなかったね」
リオンは目を逸らし、大っぴらな景色を眺めた。
移り変わる世界……日本にいた時の景色と比べれば幾分も劣る文明である。魔法やスキルといった別種の力はあれども、仮に戦略的爆撃機が現れればどうなるのだろうか……そのような悪しき考えが彼の頭に浮かんできた。
事実、それを出来るだけの力がリオンにはある。知識もあれば、それを上手く扱えるだけの知能だって持ち合わせているのだ。買い込むだけの資金があるとなれば不自由な空間に戻る理由はどれだけあるというのか。
「……それは間違いだよ。未だに揺らいでいる」
目の前の女性……家族への情を思い出したというには曖昧な感情である。だが、ボヤけて見える自身の家族の記憶も、思い出せやしない今の家族の事も重ねてしまっているのは事実であった。
「そう……ううん、そうよね。貴方は誰よりも家族思いだもの」
「やめてくれ。俺は女遊びに耽る穀潰しだよ」
家族思い、その言葉が彼の心を締め付けていく。
置いてきた祖父母、既に体は弱く、年金も少なく、貯蓄すらも残ってはいない。半ばボケが回ってきた二人を残して幸福に浸ろうとする自身を、そのような言葉で括られるのはゴメンであった。
「きっと、知るよ。マリア姉の俺を好きな気持ちも冷めるくらいに、俺はクズだってさ」
「クズじゃない男に魅力は無いのよ。女が見るのは相手が如何に自分を誑かしてくれるかどうかってだけ」
リオンはその言葉から目を背けて俯いた。
嫌な思い出……忘れたくなかった家族との記憶とは別に、今でも鮮明に残っている高校からの地獄の日々。
付き合っていた女性がいた。思いを寄せ合う相手が確かにいたのだ。……だが、そんなものは幻想でしか無かった。高校を中退し、結果的には彼の心へ強い傷を残して消えたのだ。
善し悪し、分かるからこそ、睨み付ける。
その言葉の重さ、男女間での感じ方の違いは彼でも理解出来ない範囲であった。では、その言葉を呑んで大切に思う相手を送り出せるのか。それもまた違った話である。
「俺はそんなに悪い男にはなれそうにないなぁ」
リオンはマリアを抱き締めて頭を軽く撫でた。
マリアの頬が緩む、同時に彼女は感じた。この優しさのどこが悪い男では無いのか、と。素直でありながらも素直になれない少年の姿、笑ってマリアはリオンの頬に口を付ける。
「よく言えた口ね。エルザの顔を見れば分かる事かしら。それに私も、リオンの事が好きよ。シオンとして生きなくとも、ね」
「あ、そ……まぁ、それならそれでいいよ」
左耳裏を掻く素振り、マリアは微笑んだ。
違うと言いながら見せる些細な行動の殆どが愛している実の弟、シオンと何ら変わりないのである。今し方、彼の見せた姿はシオンが恥ずかしい時に見せるそれと変わりない。
「お姉ちゃんが、絶対に守るから」
「……最悪は連れ出すよ」
ボソッと口にした言葉は酷く重い事である。
法治国家、その中でも公爵家の令嬢相手に口にしてはいけない中身であった。同時に法を何よりも重んじ、利用する世界で生きた人間からして並大抵の覚悟で言えるものでも無い。
「一人や二人、その程度で埋まる器じゃないからな。それこそ、俺の求めているのは貴族としての世界では無いし、戦いに身を投じるだけの世界でも無い」
頭を使うだけの世界、彼は確かに失敗した。
腕を使うだけの世界、彼は確かに失敗した。
ならば、と、考えるべきなのは全てを手にした上で有効活用するというだけである。得た知識、得た技術……それらは日本という世界では使い物にならないスキルであった。だが、劣る文明の中では大きく話が変わる。
「幸せに、なりたいんだ」
そう呟いてリオンはマリアから目を離した。
彼女は何かを口にする。それでも彼の耳には届きはしない。求めてはいけない領域なのだ。必要以上のそれは苦い経験を思い出させるだけである。
「お嬢様、リオン……到着しました」
フランの声にリオンは先に出口へと進む。
高鳴る鼓動、それは高揚からでは無い。恐怖と共に迫る命への冒涜感……それでも、口にしてしまったからには逃れられないのだ。
「ありがとう……」
「……ええ、それが役目ですので」
フランの言葉にリオンは首肯する。
目の前に立つ大きな屋敷、公爵家という名がヒシヒシと伝わる程の城とも言えそうな、美しい家なのだ。竦む足、それを動かしたのは背を押すフランであった。
「ありがと!」
「ええ」
「ブルゥ!」
リオンの言葉にフランと竜が返した。
その足は不思議と、一段と軽かった。
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