010 或いはそれは馬車の中(1)
幾つもの窓に映る景色が流れ始める。
その様子を不思議そうにリオンは見ていた。人が四人、座れるかどうかの大きさ……だが、中に入って見えた景色は別世界であった。
床に敷かれた赤いカーペットは百メートルまで続いており、右側にも五十メートルは道が続いている。窓とは反対の方向には多くの扉があり、確かに人が休めるだけの馬車である事だけは彼でも分かった。
「こっちよ、リオン」
引っ張られた方向は入ってすぐに見えた最奥の部屋だった。どれも豪勢ながらも、一際と美しいそれは目の前に来た瞬間に、よりリオンの感性を強めさせた。
同時に横並びで同じ豪華な扉が九つ、並んでいる事も視界に捉える。客室、というよりは、接客室か……その悪い予感が的中する。
「ここ、貴方の部屋、ですよね」
「そうよ。今回だけ、特別ね」
「言っている意味が分からないのですが……?」
一つのベッドに多くの人形が並ぶ空間、真ん前に置かれた債務室にあるような大きな机と椅子は、彼女が歳に似合わず、多くの仕事を熟している事を伝えてくる。
同時にリオンに冷や汗をかかせる事があった。
それは窓を塞ぐ勢いで壁一面に貼られた写真と人形の顔である。金髪に黒い瞳、それと共に小太りな様子は見た者に「ピザでも食ってろ、デブ」と言わせるレベルだった。
「これって……リオン?」
「いいえ、私の最愛の弟、シオンよ」
「確かに……俺そっくりだな」
シオン・ルール、いいや、リオンの体の持ち主である。エルザの怪訝な目と共にマリアから向けられる視線が確かに強くなった。
どうするか、そのような考えの前に動いたのはマリアである。女性とは思えない程の力でリオンをベッドに押し倒したかと思うと、その顔を近くで眺めていた。
その唇が近付いていく……だが、届かなかった。
「……へ?」
「さすが、ね」
「求めていない行為は男女が違えども、してはいけない事ですよ。冒険者ギルドでの決まりは、法で定まるものですから」
リオンの視界に映ったのはエルザの顔であった。
彼女の両の腕の中、救うためと言うには些か感情を昂らせ過ぎた存在がいたのだ。一触即発、そのような事は目に見えて分かる事である。だからこそ、彼はエルザの腕の中から降りて抱き締めた。
「なら、これで俺も犯罪者だな」
「……私は」
「俺がしたいからするんだ。嫌なら突き放せ」
それは遠回しなマリアへの肯定である。
リオンと嘯いた事への呵責、同時に関わった二人への情愛は確かにあるのだ。エルザがマリアを襲えば貴族への冒涜、かといって、エルザの行動は自身を思っての事である。
「マリアも、俺を殺したくないならやめろ。お前がどう考えようと俺は俺だ。そのシオンとやらに仕立てようとするならば、喜んでエルザと共に離れさせてもらう」
態と目に見えて発動した空間魔法、転移。
その脇に抱える女性を含め、言葉通りに消える事は簡単であった。だが、そうしないのもまた彼なりの優しさである。
「……そ、なら、見なかった事にするわ。でも」
その唇に柔らかい感触が伝わった。
姉の唇、それでもテレビで見ているだけのアイドルが実姉と知らされているような、そんな感情しか彼には湧かない。むしろ、その内面に現れてくるのは情欲であった。
「リオン相手なら、姉なんて立場は不要よね」
「下手に襲わないなら、簡単に両思いになるさ」
「ふーん……うん、今はそれでいいわ!」
遠回しな好意への肯定、それはマリアの顔を余計に笑顔にさせる。それと同時に彼女の動きを活発化させ、その身体をベッドに座らせた。
「で、どうして、二人共、俺の横にいるんですか」
「リオンの香りを楽しむため!」
「マリア様に変な事をさせないためです!」
「楽しむなよ! ってか! しねぇよ!」
ハッと彼は口を塞いで左右の二人を見た。
キョトンとしながらも即座に笑い声を出した姿を見て、咄嗟に出てしまった素も悪くないと密かに笑う。
「早く、本題に入ろう。知りたいのは違うだろ」
「……ええ、私が知りたいのは一つよ」
外から漏れ出した空気が窓を通り、貼られたシオンの写真を飛ばした。パァと照らす日光は彼女の恐怖に満ちた表情を映し出す。
「リオンは、誰なの」
抱き着く力が強くなる、彼女の視線はより強く深くなっていった。下手な事は言えない……腕を掴んだ理由は簡単な事なのだ。逃がすつもりはないという執念の類。
「それを知るのは貴方では」
無理やりな言葉、だが、嘘は付いていない。
エルザとの会話で学んだ事、下手に嘘をつこうとも経験豊富な敵を前にしては無意味である。だからこそ、記憶を失った自身よりもシオンをよく知るマリアへ、そう問いかけたのだ。
「……黙秘権、それ以上は返さないわ」
「そ、なら、俺もリオンとして接するよ」
「ばか……ばーか!」
リオンの頬をマリアは左右に引っ張り笑った。
美しく、美しく……それでいて、真にリオンの心の底を見る目であった。分かっていても口にしないようにと気遣う、幼い女性の心は陽の光よりも美しいのだ。
「じゃあ、次は俺の質問に移ろうかな」
その言葉に、思いに当てられた訳ではない。
それでも、彼には伝えなければいけない事が、隠したくない感情があったのだ。大きな深呼吸、それと同時に光を浴びながらも、それから視線を逸らして口にした。
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