第98話「ストレスMAX」
翌朝。
ユウヤは最悪の目覚めを迎えた。
第五騎士団の兵舎は夜遅くまでうるさかったくせに、朝は朝で容赦がない。
「起きろ新入りども!! いつまで寝てやがる!!」
遠くから飛んできた怒鳴り声に、ユウヤは布団を頭まで被りたくなった。
だが、そんなことが許される空気ではない。
右腕はまだ痛むし、昨日一日だけで足も肩もだるい。
「……クソ……」
小さく毒づきながら身体を起こす。
少し離れた寝台では、細身の見習い――エルンも慌てて起き上がっていた。
顔色は悪く、目の下にも薄く隈ができている。
ユウヤは靴を履きながら、そいつに声をかけた。
「おい」
「は、はいっ」
「頑張るぞ」
エルンは一瞬きょとんとしてから、慌てて何度も頷いた。
「は、はい……!」
朝から地獄だった。
井戸へ走って水を汲み、戻ったら食堂で食事を用意して皿を運ぶ。
それが終われば洗濯物を担がされ、武具庫へ行けと言われたと思ったら、今度は木剣を並べろと怒鳴られる。
「新入り! 装備一式持ってこい!」
「おい! それ裏だ、裏!」
「返事!!」
「……はい!」
寝不足で身体はだるいし、腹も減っているのに、まだ朝の仕事すら終わらない。
訓練が始まってからも、見習いに与えられるのは走り込みと基礎体力作りだけだった。
剣すら持たせてもらえず、走って、伏せて、起きて、また走らされる。
「止まるな!」
「そこ、遅れてるぞ!」
「もうへばったのか新入り!」
「……はい!」
ただでさえ雑用で身体は重い。
そこへ訓練まで重なり、配属されたばかりの見習いがどこまで耐えられるのか試されているようだった。
エルンも必死についてきていたが、どう見ても体力が足りていない。
顔は真っ青で、呼吸も荒い。
「ノロいぞ!」
「その程度でへばるなら帰れ!」
横を走る騎士が笑いながら蹴りを入れる。
エルンは何も言わず、ただ歯を食いしばって走っていた。
それを見ていると、ユウヤは無性に腹が立った。
だが、本番は訓練の後だった。
「おい新入り」
呼ばれて振り向くと、床にどかっと座った騎士が脚を投げ出していた。
「脚、揉め」
「……は?」
思わず素で聞き返してしまう。
周囲から笑い声が上がった。
「聞こえなかったか? 脚だよ。走り込みの後で張ってんだ」
「第五の新入りはそこまでやって一人前だ。ありがたく思えよ」
ありがたいわけがない。
ユウヤは数秒だけ黙ったあと、しゃがみ込んだ。
「……承知しました」
「顔が死んでるぞ新入り。手ぇ抜いたら分かるからな?」
一人で終わりではなかった。
「次、肩」
「おいこっちもだ」
「背中も押せ」
「新入り、力弱ぇぞ」
汗と鎧の蒸れた臭いがきついうえに、訓練後の身体で何人も相手にさせられるせいで、使える方の腕まで痛くなってくる。
「おい、止まるな」
「……ッ、はい」
「もっと強く」
「……はい」
ユウヤは黙って手を動かしながら、内心で毒づいた。
(臭えし、何人もやるから腕が痛え……ただでさえ訓練の後で疲れてんのに……何なんだよこのクソみてえな騎士団……)
その間にも、エルンは水を運ばされ、皿を下げさせられ、また別の騎士に怒鳴られていた。
「ノロいんだよ!」
「す、すみません……」
「謝る前に手ぇ動かせ!!」
エルンは何度も頭を下げるばかりで、言い返すこともできない。
昼を過ぎても、食堂の片付けや薪運び、洗濯物の仕分けに訓練場の木剣回収と、仕事は次々に回ってきた。
「おい新入り! そこ拭け!」
「次は武具庫だ!」
「エルン! 何ぼさっとしてやがる!」
「ひっ、はい!」
エルンが慌てて走る。
だが、途中で足をもつれさせ、抱えていた木箱を落としかけた。
「あっ……!」
寸前で持ち直したものの、近くにいた騎士が舌打ちした。
「チッ……何やってんだ無能が」
「す、すみません……」
「すみませんで済むかよ」
騎士が苛立ったようにエルンの腹を蹴る。
「がっ……!」
エルンの身体がくの字に折れ、そのまま床へ転がった。
周囲から笑い声が漏れる。
「ほんと使えねえな」
「さっさと辞めちまえよ」
「第五に無能はいらねえんだよ」
ユウヤは抱えていた洗濯籠を床へ置いた。
そのまま一歩前へ出る。
エルンを蹴った騎士が、怪訝そうに眉をひそめた。
「あ?」
その顔を見たら、もう我慢できなかった。
ユウヤの拳が騎士の顔面に入る。
鈍い音が響いた。
「がっ……!?」
騎士の身体が横へ吹き飛び、机にぶつかって派手な音を立てて床へ転がった。
兵舎が静まり返る。
ユウヤは拳を握ったまま、低く息を吐いた。
「……ちっとはスッキリしたけど、まだ足んねえな……」
周囲の騎士たちの顔が引きつる。
「は……?」
「おい新入り、お前……」
「何してやがる……!」
ユウヤはうずくまるエルンを一瞥してから、周りを見回した。
「……来いよ、ボンクラ騎士団」
数秒遅れて、怒号が飛び交った。
「てめえ……!!」
「新入りが調子乗ってんじゃねえぞ!!」
「ぶっ殺す!!」
何人もの騎士が椅子を蹴って立ち上がる。
ユウヤのベルトから機械音声が鳴った。
『観測されました』
ユウヤは薄く目を細める。
「変身」
黒い光が走った。
コートが翻り、漆黒のグローブとブーツが現れる。
眼帯に包帯、ズボンのチェーンがジャラジャラと音を立てた。
ユウヤがゆっくりと顔を上げる。
「愚かなる下郎どもが……我が静寂を穢し、挙句、我が視界を不快で満たすとは」
騎士たちが一歩たじろぐ。
「なっ……!?」
「何だその格好は……!」
「服が変わった……!?」
「黙れ」
低い声が兵舎の奥まで響く。
「貴様らのような木偶が、我を見下すこと自体が許されない。塵芥は塵芥らしく、床に這いつくばっていればよい」
飛び込んできた騎士の腹へ、黒いコートを翻して蹴りを叩き込む。
「がっ!?」
横から殴りかかってきた男の拳をいなし、そのまま顔面へ裏拳を入れた。
「ぐぶっ!?」
さらに背後から掴みかかってきた騎士の腕を捻り上げ、そのまま床へ叩きつける。
「遅い」
ユウヤは吐き捨てる。
「その程度の鈍足で、我が影すら捉えられると思ったか」
「て、てめえ……!!」
「囲め!! 一斉に――」
「遅いと言っている」
ユウヤは目の前の机を蹴り飛ばした。
机が突っ込んできた騎士たちにぶつかり、まとめてなぎ倒す。
兵舎には悲鳴や怒号、皿の割れる音が響き渡った。
「くく……少しはマシな断末魔を上げるかと思ったが。所詮はこの程度か。期待外れにも程があるな」
騎士たちが次々に床へ沈んでいく。
まだ立っている者もいたが、さっきまでの勢いはもうなかった。
エルンだけが床に座り込んだまま、呆然とその光景を見上げている。
ユウヤは兵舎の中央に立ち、残った騎士たちへ左手を向けた。
「次は誰だ」
眼帯の奥の光が揺れる。
「我を退屈させるなよ……雑兵ども」
誰もすぐには動かなかった。




