第97話「雑用と違和感」
訓練が始まる頃には、ユウヤはすでに雑用で汗だくになっていた。
水汲み三往復。
武具庫の掃除。
木剣運び。
洗濯物の仕分け。
まだ配属された初日だというのに、見習いというより、ほぼ奴隷だった。
「おい新入り! それ終わったら次は装備一式持ってこい!」
「おい! さっさとしろ!」
「返事!」
「……はい!」
眠い。
だるい。
腹も減っている。
なのに、休む暇はまるでない。
しかも第五騎士団の連中は、揃いも揃って荒くれ者みたいな連中だった。
「遅えぞ!」
「足が止まってんぞ!」
「試験でちょっと目立ったからって調子乗んなよ!」
「調子乗ってねえよ……」
思わず小さく漏れた本音に、近くの騎士がぴくりと眉を動かす。
「何か言ったか?」
ユウヤはすぐに表情を消した。
「いえ……失礼しました」
「次はねえからな?」
腹は立つ。
だが今は、耐えるしかない。
潜入初日で真正面から揉めるわけにはいかなかった。
訓練が始まると、見習いはひたすらに走らされた。
剣すらも持たせてもらえない。
「遅えぞ!」
「もっと脚上げろ!」
「止まるな!」
「……はい!」
ただでさえ雑用で身体は重い。
そこへ訓練まで重なる。
配属されたばかりの見習いを鍛えているというより、潰れるかどうか見ているような空気だった。
訓練が終わり、食堂へ回されてからも地獄は続いた。
「そっち置け!」
「皿足りねえぞ!」
「新入り、動け!」
「……はい!」
とにかく忙しい。
しかも第五の連中は、手伝っているのか邪魔しているのか分からないくらい、好き勝手に喋りかけてくる。
「おい新入り、お前ほんとにあの試験官ぶっ飛ばしたのか?」
「寝ぼけてたらしいなぁ」
「変な格好になったんだろ? やってみろよ」
もう完全に噂になっていた。
(クソ……)
静かに潜るも何もない。
初日から目をつけられてる。
その時、隅の方で細身の見習いが重い鍋を持たされているのが見えた。
朝、小突かれていた奴だ。
腕が震えている。
今にも落としそうだった。
「おいおい、落とすなよ」
「落としたら中身ごと舐めて拾え」
周りが笑う。
鍋が大きく揺れた。
その瞬間、ユウヤは反射的に動いていた。
「貸せ」
鍋を受け取る。
見習いが目を丸くする。
「え……」
「お前、そのままじゃ落としちまうだろ」
低い声が飛んだ。
「おい! 余計なことすんな、新入り」
ガルドだった。
ユウヤは鍋を抱えたままそちらを見る。
「落として掃除が増えるよりマシだと思っただけです」
数秒、沈黙が落ちる。
ガルドは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「だったら最後まで運べ。ついでに裏の薪もだ」
仕事を増やされた。
睨みつけたいのをグッと我慢する。
ただ、細身の見習いだけが小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「礼はいい。さっさと行くぞ」
ユウヤはそれだけ言って歩き出す。
ストレスは減るどころか、きれいに積み上がっていった。
夕方になっても雑用は終わらなかった。
「新入り! 次は洗濯物だ!」
「終わったら薪運び!」
「そのあと食堂戻れ!」
「……はい!」
返事をするたびに、喉の奥がひりつく。
眠気は少し引いた。
その代わり、苛立ちがきれいに残った。
第五の連中は理不尽だ。
口も悪い。
雑だし、荒い。
パシる。
怒鳴る。
笑う。
ユウヤにとって、この環境はただただクソだった。
一方その頃。
第三騎士団では、クラウスに案内されてレオルドも訓練場へ出ていた。
昼前の基礎訓練。
見習いも一緒に走り、剣を振り、形を覚える。
「帝国騎士たるもの、規律を重んじ、強さを追い求めることに妥協は許されない」
歩きながら、クラウスが言う。
「だからこそ、出来ない者は目立つ。覚えておけ」
「なるほど……ですが、強さには自信があります!」
「……お前は強さではなく事務能力に問題がありそうだがな」
「そんなにですか?」
「お前の筆記は、今回の見習いの中で最下位だ」
クラウスは淡々としていた。
だが、それ以上責めるような言い方ではない。
事実をそのまま口にしているだけだった。
訓練場へ出ると、第三の騎士たちはすでに準備を整えていた。
木剣を持つ者。
槍を構える者。
甲冑の調子を確認する者。
見習いを整列させる者。
どこを見ても無駄がない。
「すごいですね……」
レオルドが思わず呟く。
「これが帝国騎士のあるべき姿だ」
クラウスは短く答えた。
その直後、訓練開始の号令が響いた。
その瞬間だった。
レオルドの背筋に、ぞわりとしたものが走る。
「……?」
訓練前には感じなかった。
だが、騎士たちが一斉に動き出した途端、訓練場の空気が変わった。
闘気とは違う。
魔力とも違う。
もっとざらついた、嫌な何か。
それが、第三騎士団の一部の騎士から立ち上っていた。
強く感じる者もいれば、薄い者もいる。
だが、確かに同じ系統の力だった。
目の前では、細くてひょろりとした騎士が、大柄な武闘派と正面から打ち合っていた。
普通なら押し負けるはずの体格差だ。
さらに大柄な騎士の方が闘気も高い。
それなのに、互角。
いや、一瞬だけ押し返してすらいる。
「……この感じは……」
レオルドは目を細めた。
脳裏に浮かんだのは、王国で見た魔人の力だった。
もちろん、同じではない。
皮膚は変色していない。
目も濁っていない。
理性もある。
だが、それでもそういう力を感じる。
見習いたちからは一切感じない。
感じるのは、第三の騎士たちだけだ。
「どうした」
横からクラウスの声が飛んだ。
「いえ……少し、空気が変だなと」
「訓練中に余所見をするな」
「はい」
レオルドは素直に頷く。
だが、視線は止めない。
あの細身の騎士。
その隣の槍使い。
奥で大剣を振っている男。
強弱はある。
だが、皆どこか似ている。
何かがおかしい。
まだ正体は分からない。
けれど、嫌な予感だけは確かだった。
午後、訓練が終わると、第三では帳簿整理まで回された。
「この印は備品補充。こっちは修繕依頼。間違えれば騎士団全体に迷惑がかかる」
クラウスの説明は端的だった。
「はい……」
レオルドは頷きながらも、意識の半分はまだ訓練場に残っていた。
訓練前には何も感じない。
始まると、第三の一部の騎士たちからだけ妙な圧が立つ。
見習いたちからは感じない。
しかも、ただ強いだけではない。
どこか嫌な質感を持っている。
「……」
レオルドは帳簿を揃えながら、小さく眉をひそめた。
早めにユウヤへ伝えたい。
だが、まだ説明できるほど掴めていない。
「どうした」
クラウスが顔を上げる。
「いえ。少し考え事を」
「集中しろ。でなければミスが出るぞ」
「はい」
第三は厳しい。
だが、不思議と息苦しさはなかった。
だからこそ、余計に気味が悪かった。
夜。
第三の兵舎は静かだった。
灯りも落ち着いていて、廊下を歩く足音すら整っている。
レオルドは寝台へ腰を下ろし、小さく息を吐いた。
「……やっぱり、変です」
訓練前には感じない。
始まると、第三の騎士たちの一部から妙な力を感じる。
魔人の力に少し似ている。
だが、同じではない。
他の見習いたちからは感じない。
「何なんでしょうか……」
まだ分からない。
けれど、嫌な予感だけはあった。
早めにユウヤへ伝えたい。
そう思ったが、今から第五の兵舎へ行くのは難しい。
「……明日、ですね」
小さく呟いて、レオルドは寝台へ身体を横たえた。
一方、第五の兵舎はまだうるさかった。
笑い声。
馬鹿話。
賭けの文句。
木剣で軽く叩き合う音。
ユウヤは寝台へ倒れ込むように腰を下ろす。
「……クソみてえな場所だな」
誰に言うでもなく呟く。
腕は痛い。
足もだるい。
ストレスだけはしっかり溜まっている。
少し離れた寝台では、あの細身の見習いが小さくなって飯を食っていた。
周りの顔色ばかりうかがっている。
それが余計に腹立たしい。
ユウヤは寝返りを打つ。
「……あいつ、ちゃんとやれてんのかな……」
第三騎士団に配属されたレオルドのことが、少しだけ気になった。
どうせあっちも、新人はろくな目に遭っていないだろう。
あいつは妙なところで図太いから、何とかやっている気もするが。
そう思ったところで、もう頭が回らなかった。
ユウヤはそのまま、重たい意識を手放した。
それぞれの兵舎で、二人の最初の夜が更けていった。




