第93話「火種」
「帝国側でも、火種が動いてるからだ」
アルヴェルトのその一言に、ユウヤは眉をひそめた。
「どういう意味だ」
「帝国が、レグナに戦を仕掛ける可能性がある」
レオルドが息を止める。
「……戦争?」
「断定はまだできないけどね」
アルヴェルトはそう前置きしてから続けた。
「でも、少なくとも大規模な軍事行動を想定した動きがある」
小部屋の中は静かだった。
表の店内からは、樽を動かす音と皿の触れ合う音がかすかに聞こえてくる。
アルヴェルトは机の端に腰を預ける。
「帝国は、外から見ればかなり綺麗な国だ。街道も整ってるし、治安もいい。レグナみたいにハンターが前に出る国でもない。この国は騎士団が強い。魔物討伐も、治安維持も、基本は全部そっちが担ってる」
ユウヤが腕を組む。
「なるほどな。どうりでハンターを見かけねえわけだ」
「うん。そして、問題はその騎士たちの間に妙な薬が流れてることなんだ」
レオルドが顔を上げた。
「薬……?」
「ああ」
アルヴェルトは頷いた。
「一時的に力が上がる、疲れが飛ぶ。最初はそんな触れ込みの薬だったらしい。でも、最近は噂の質が変わってきた」
ユウヤが低く言う。
「どう変わった」
「“闘気でも魔力でもない力が使える”って話が出てる」
小部屋に沈黙が落ちる。
ユウヤがすぐに吐き捨てた。
「胡散くせえな」
「僕もそう思った」
アルヴェルトは苦く笑った。
「でも、これが一人の酔っ払いの妄言で終わってないんだ。商人の話、護衛の愚痴、騎士崩れの自慢……断片は全部別なのに、指してるものは妙に似てる」
レオルドが真顔になる。
「それが騎士たちに広がっている、と」
「少なくとも一部には回ってる」
アルヴェルトはそう言って、少しだけ声を落とした。
「しかも、かなり儲かるらしい。酒場で聞いた商人たちは、皆こぞってその流れに一枚噛みたがってた」
ユウヤが目を細める。
「噛みたがってたか……」
「そう」
アルヴェルトは頷いた。
「皆、薬で莫大な金が動いてるのは分かってる。なのに、その元締めらしいヴァンデル商会には誰も食い込めない」
「ヴァンデル商会……どんな商会なんだ?」
「表向きは香辛料と薬草を扱う中堅商会さ。でも、ここ半年くらいで急に羽振りが良くなった。それだけなら運が良かったで済む。でもおかしいのはその先だ」
「何がだ」
「誰も直接の取引に辿り着けない」
ユウヤの眉がぴくりと動く。
「商会なのに、か」
「商人たちも馬鹿じゃない。金の匂いがすれば、どうにかして顔を繋ごうとする。でも、ヴァンデル商会は国にしか窓口を開いていない。顔役もあまり表に出ないし、どこから仕入れてどこへ流してるのかも綺麗に隠れてる」
レオルドが小さく呟く。
「謎が多い商会、ということですね」
「そういうこと」
アルヴェルトは頷いた。
「しかも、最近は騎士団向けの荷がよく入る倉庫まで持ってるって話だ。直接証拠じゃないけど、明らかに普通の商会じゃない」
ユウヤは舌打ちした。
「気持ち悪ぃな」
「だろ?」
アルヴェルトは苦く笑う。
「しかも、それだけじゃない。最近、帝国が武器と食糧をかなりの量で買い取ってる」
レオルドが顔を上げる。
「やはり……」
「剣、槍、矢、鉄材、干し肉、穀物、塩、馬具。買い方が普通じゃない。商人たちも最初は浮かれてた。でも、量と時期が露骨すぎるせいで、今じゃ誰もが分かってる」
ユウヤが低く問う。
「何をだ」
アルヴェルトは即答した。
「戦争が起こるってことを」
小部屋に再び沈黙が落ちる。
アルヴェルトは静かに続けた。
「商人たちは数字で見る。流れで見る。誰が見ても、あれは備蓄の買い方じゃない。戦のための集め方だ。しかも、その裏で騎士の強化薬なんて気味の悪い物まで広がってる」
ユウヤは壁にもたれたまま、短く吐き捨てた。
「で、それがレグナに向くかもしれねえってわけか」
「可能性は高いと思ってる」
「何でだ」
「今のレグナは、外から見れば一番揺れてる国だからだよ」
アルヴェルトの声は静かだった。
「王はまだ生きてる。でも、病で伏せることが増えている。その間に第二王子が前に出てきて、国内の空気も不安定になってる。しかも帝国に隣接している」
ユウヤの顔から、ふっと色が消える。
アルヴェルトの言う通りだ。
今のレグナは、内側だけで十分危うい。
そこへ外から押されたら、持つはずがない。
レオルドが唇を噛む。
「ですが……だからといって、今戻らないのは……」
「分かってる」
アルヴェルトはその言葉を遮らなかった。
むしろ、正面から受け止めた。
「僕だって今すぐ帰りたい。ルークもリアも心配だ。父上のことだって放っておけない……でも、何も掴まないまま帰ったら、帝国が来た時に滅びるだけだ」
ユウヤが低く言う。
「だったら、なおさら急いで帰って備えた方がいいだろ」
「間に合えばね」
アルヴェルトの返しは早かった。
「でも、もし帝国側が本当に戦支度を進めてるなら、レグナが備え始めた時にはもう遅い。それに、こっちの火元を把握できれば、少なくとも何に備えるべきか分かる」
ユウヤは黙る。
反論はできる。
できるが、間違っているとも言い切れない。
レグナへ戻る。
ルークとリアを助ける。
それは当然だ。
だが、外から戦を仕掛けられたら終わる。
それもまた、目を背けられない。
アルヴェルトは続けた。
「僕が潜伏を続けていたのは、逃げるためじゃない。帰った時、レグナを守る材料を持ち帰るためだ」
その言葉には、さっきまでの軽さがまるでなかった。
レオルドが俯いたまま言う。
「アルヴェルト殿下は……ずっとそのために、ここで……?」
「そうなるね」
アルヴェルトは苦笑した。
「帰らないんじゃなくて、帰れない。少なくとも、何も掴まずに帰るわけにはいかなかった」
ユウヤはしばらく黙っていた。
アルヴェルトの言ってることが分からないわけじゃないから。
「……で、何か当たりはあるのか」
アルヴェルトが少しだけ口元を上げる。
「ある。でも、ヴァンデル商会は無理だ」
ユウヤが眉をひそめる。
「無理?」
「ああ。あそこは外からじゃどうにもならない」
アルヴェルトは即答した。
「商人たちですら食い込めない場所だ。今の僕が“アル”として近づいても、せいぜい追い返されるだけだろうね」
レオルドが小さく頷く。
「確かに……」
「だから、商会を直接追うんじゃない」
アルヴェルトは二人を見た。
「薬が流れている先を追う。つまり、騎士団の方だ」
ユウヤが目を細める。
「騎士団?」
「近々、騎士団の入団試験がある」
小部屋の空気が少しだけ変わる。
アルヴェルトは続けた。
「最近の帝国は、やたら戦闘員を増やしてる。平民にも門戸を広げて、実力があれば入れる形にしてる。筆記と実技。両方を通れば、正式に末端へ潜り込める」
レオルドがぱっと顔を上げた。
「なるほど……!」
アルヴェルトは頷く。
「僕は潜入ができない。王族や騎士たちに顔を知られてしまっている。でも、君たちなら……」
ユウヤが眉をひそめる。
「つまり、俺らに騎士団に入れってか」
「そういうこと」
アルヴェルトはあっさり言った。
「騎士団の内側に入れれば、薬の噂も流れも今よりずっと近くで見える。ヴァンデル商会に手が届かなくても、騎士団側からなら繋がるかもしれない」
その瞬間、ユウヤの視界の端に淡い文字が浮かんだ。
『クエストクリア:第一王子アルヴェルトを探し出せ』
『ヒーローポイント20を獲得』
『現在のヒーローポイント:55』
間を置かず、もう一つ。
『クエスト発生:帝国騎士団の入団試験に合格せよ』
『報酬:ヒーローポイント15』
ユウヤは思わず眉をひそめた。
「……マジかよ」
「どうしたんですか?」
レオルドが不思議そうに首を傾げる。
「いや……面倒くせえことになったと思ってな」
アルヴェルトは小さく笑った。
「面倒なのは事実だね」
レオルドが胸を張る。
「任せてください!」
ユウヤが横目で見る。
「何だその自信」
「騎士団の試験なら王国でも受けたことがありますから!」
「……ん? 確かお前、王国の試験落ちてるんじゃなかったか? 筆記が壊滅してたって……」
「それは以前の私です! 今の私は以前の私ではありません!」
「そういうのを根拠のない自信って言うんだよ」
アルヴェルトは小さく笑ったが、次の瞬間、ユウヤの顔が微妙に曇ったのを見逃さなかった。
「どうしたんだい?」
ユウヤは少しだけ視線を逸らした。
「いや……」
「何か問題が?」
沈黙が一瞬落ちる。
それから、ユウヤは嫌そうに口を開いた。
「俺……字が書けねえんだよな」
レオルドが思い出したような顔をする。
「そういえばそうでしたね……」
アルヴェルトも一瞬だけ固まった。
「読めはするんだけどな……書くのは、ほら……その……」
ユウヤが露骨に言い淀む。
「まあ、色々あってだな」
アルヴェルトは少しだけ顎に手を当てた。
「なるほど……」
アルヴェルトは机の上に教材を並べた。
「文字の教材。試験科目の歴史。それから計算だ」
ユウヤが目を丸くする。
「何でこんなもん持ってんだよ」
「潜伏生活、意外と暇な時間もあるからね。それに、帝国の仕組みを知るには丁度よかった」
アルヴェルトはそれを机に置き、ユウヤの前へ押しやった。
「君が頼りなんだ」
ユウヤは黙って教材を見る。
それから、ちらりとレオルドを見た。
レオルドは何故か自信満々に胸を張っていた。
「任せてください」
「まあ……こいつには期待できねえもんな……」
「何ですか、その目は」
「事実だろ」
ユウヤは教材を一冊持ち上げた。
「で、試験はいつだ?」
「三日後」
アルヴェルトがあっさり答える。
ユウヤの顔が引きつった。
「三日後!?」
「近いよね」
「近いよね、じゃねえよ……」
ユウヤは額を押さえる。
文字は読める。
計算も別に問題ない。
だが、書くのと歴史は話が別だ。
しかも、騎士団の入団試験は三日後ときた。
「……三徹でどうにかするしかねえな」
ユウヤは深くため息を吐くと、教材をまとめて抱えた。
「これ、借りてくぞ」
「ああ。好きに使ってくれ」
「宿戻るぞ、レオルド」
「はい」
「お前も勉強だからな」
「実技だけでは駄目ですか?」
「駄目に決まってんだろ」
ユウヤは吐き捨てるように言う。
レグナが危ない。
ルークもリアも危ない。
王都だけじゃない。戦争になれば、パルマの街だって無事じゃ済まない。
自分の知っている場所が、全部巻き込まれる。
だから、やるしかない。
たとえそれが、剣でも魔法でもなく、勉強だったとしても。




