第92話「潜伏」
「……何で第一王子が酒場で働いてんだよ……」
ユウヤの呆れた声に、アルヴェルトは困ったように笑った。
「あはは……まあ、色々あってね?」
その言い方がもう怪しい。
だが、その前にアルヴェルトの方が先にレオルドへ視線を向けた。
「それにしても久しぶりだね、レオルド。まさか王国の外で会うとは思わなかったよ……いろいろと問題にならなかったかい?」
レオルドはいつもの調子で頷く。
「全然大丈夫ですよ。初めての国外旅行ですし、結構楽しいです」
「大丈夫じゃねえし、旅行でもねえよ!!」
ユウヤが即座にツッコむ。
「てか、そんなことより話さねえといけねえことあるだろうが!」
「……あっ、そうでした」
レオルドが素で頷く。
そこでアルヴェルトの視線が、ようやくユウヤへ向いた。
「そちらの君は……騎士、ではなさそうだね。ハンターかい?」
レオルドが先に答えた。
「こちらはブレイブ亭の店主のユウヤです」
「なんでそっちで紹介すんだよ!!」
ユウヤが即座にレオルドを睨む。
「……Bランクハンターのユウヤだ」
アルヴェルトは一瞬だけ意外そうな顔をしたあと、ふっと笑った。
「なるほど……なかなか面白そうだね」
「こっちは全然面白くねえよ」
ユウヤが吐き捨てる。
「で、第一王子が何で酒場で働いてんだよ」
そこでようやく、アルヴェルトの笑みが少し薄くなった。
「……それを話す前に、奥へ行こうか」
案内されたのは、酒樽や仕込み用の木箱が並ぶ奥の小部屋だった。
昼間の酒場は静かで、夜の喧騒が嘘みたいに遠い。
扉が閉まる。
アルヴェルトは壁に背を預け、少しだけ顎に手を置いた。
「んー……どこから話そうか」
軽い口調だったが、目だけはあまり笑っていなかった。
「まず確認だけど、一月前に僕が帝国へ視察に向かったのは知ってるよね?」
レオルドがすぐに頷く。
「はい。レグナでは、その後に襲われて大怪我を負って戻れなくなったと……そう伝わっていました」
「なるほど……そう伝わってるんだね」
アルヴェルトは小さく息を吐いた。
「んー、正確には、大怪我を負ったのは影武者なんだ」
ユウヤの眉がぴくりと動く。
「影武者……ってことは、元々警戒してたってことか?」
「うん。父上から、何かが起こる可能性があるって警告を受けていたからね」
レオルドが顔を上げる。
「王様が……?」
「ああ。はっきりした証拠があったわけじゃないらしいけど、王宮内の空気が妙だったみたいだ。視察の日程だけ妙に広まるのが早かったり、近しい者たちの動きが変だったり……色々引っかかることがあったらしい」
ユウヤが腕を組む。
「だから備えていたと」
「そういうこと」
アルヴェルトは頷いた。
「行きは順調だった。視察も、帝国側の王族との交流も、表向きは何も問題なく終わった。でも、一応帰りも警戒は解かなかった。だから影武者と騎士数名を先に行かせて、本隊は時間をずらしたんだ」
「で、襲われたのか」
ユウヤが低く言う。
「ああ。まず先に行かせた方がやられた。魔人の集団だったらしい」
レオルドの表情が強張る。
「……やはり」
「でも、それで終わりじゃなかった」
アルヴェルトの声が、少しだけ低くなる。
「本隊の方にも来た」
小部屋の空気が変わる。
ユウヤが低く言う。
「両方潰しに来たのか」
「たぶん、向こうは視察に来た僕だけじゃなくて、目撃者すらも消そうとしていたんだと思う」
アルヴェルトは少しだけ目を伏せた。
「でも、騎士たちが上手く囮になってくれたおかげで、僕だけは帝国側へ逃げ切れた」
レオルドが息を詰める。
「騎士の皆さんは……」
「何人かは生きてるかもしれない。でも、あの場で一緒には逃げられなかった」
短い言葉だった。
だが、それで十分だった。
ユウヤがすぐに次を問う。
「なら、何でそのまま名乗らなかった。帝国に逃げ込めたなら、王子だって明かして保護でも何でも受けりゃよかっただろ」
「それが一番危なかったからだよ」
アルヴェルトは即答した。
「襲撃の黒幕が誰か分からなかった。王国内の内通者かもしれないし、帝国側が噛んでる可能性もある。帝国内の一部勢力だけが勝手に動いてる可能性も、第三勢力の可能性もあった」
ユウヤが目を細める。
「つまり、どこまで信用していいか分からなかったってことか」
「そういうこと」
アルヴェルトは頷いた。
「この状態で『僕は第一王子アルヴェルトです』なんて名乗ったら、相手に生きてるって教えるだけだ。それに、僕の生存が表に出た瞬間、向こうの動きも変わる。下手をすればレグナ側に残ってる者たちまで危なくなる」
レオルドが小さく言う。
「だから、潜伏を……」
「そういうこと」
ユウヤはそこで、さっきから引っかかっていた部分を口にした。
「で、何で酒場なんだよ」
アルヴェルトは少しだけ咳払いした。
「……綺麗な女性がいたから」
「は?」
「いや、最後まで聞いて」
ユウヤの顔がものすごく嫌そうになる。
アルヴェルトはそれを無視して続けた。
「潜伏してから、帝都で情報を集めようと思って街を歩いてたんだ。その時、綺麗な女性がいたから、つい声をかけてしまったんだ」
「最低の導入だな」
「それは否定しない」
アルヴェルトは素直に頷いた。
「でも、その相手がたまたまこの酒場の女主人だったんだよ。最初は軽くあしらわれたけど、何度か顔を出すうちに、困ってることだけは伝わってね。金もない、身分も言えない、でも働けるなら働くって言ったら……」
その時、小部屋の扉が少しだけ開いた。
女主人が顔だけ覗かせる。
「行き倒れられても困るし、口も達者そうだから客あしらいくらいには使えると思っただけよ」
「……だそうだ」
アルヴェルトが肩をすくめる。
女主人はアルヴェルトをじろりと見た。
「あと、あんたは口説き方が軽いのよ。その顔で笑って誤魔化せると思ったら大間違いだからね」
「あはは。相変わらず厳しいね」
「全く……しっかり働きなさい」
ぴしゃりと言って、女主人は扉を閉めた。
レオルドが小さく呟く。
「ふむ……全然上手くいってないんですね」
「うるさいな」
アルヴェルトが苦笑する。
「金もないし、身分も明かせないし、何より雇い主だからね。追い出されたら寝床がなくなる。さすがの僕も、いつもの調子では押せないよ」
「ったく、当たり前だろ」
ユウヤは呆れた。
「でも、酒場は都合が良かった。商人も、護衛も、御者も、夜になるといろんな奴が来る。表に出ない話も結構落ちてくる」
そこでレオルドが、ようやく本題を思い出したように顔を上げた。
「アルヴェルト殿下」
アルヴェルトも笑みを収める。
「ん?」
「レグナが、大変なことになっています」
そこから先は、レオルドが話した。
王が倒れたこと。
第二王子の動き。
ルークとリアが危険な目に遭ったこと。
密書の存在。
そして、今すぐアルヴェルトが戻らなければならない理由。
アルヴェルトは、途中で一度も口を挟まなかった。
全部聞き終えたあと、小部屋にはしばらく沈黙だけが残る。
最初に口を開いたのはユウヤだった。
「……そういうわけだ。見つけた以上、連れて帰るぞ」
レオルドも強く頷いた。
「アルヴェルト殿下が戻れば、状況は変えられます」
だが、アルヴェルトはすぐには頷かなかった。
むしろ、その顔はさらに険しくなっていた。
「戻りたいよ」
静かな声だった。
「ルークもリアも放っておけない。父上のことだって……」
そこで一度言葉が切れる。
だが、アルヴェルトはゆっくり顔を上げた。
「でも、今はまだ戻れない」
ユウヤの眉がぴくりと動く。
「……何でだよ」
アルヴェルトは、まっすぐユウヤを見た。
「帝国側でも、火種が動いてるからだ」




