第91話「ナンパと酒場」
翌朝。
ユウヤとレオルドは朝早くから起きていた。
窓の外ではもう荷馬車が走り、店先には人が出て、遠くでは鐘まで鳴っている。
王都レグナも人は多かったが、こっちは密度が違う。
街全体が、朝から休みなく動いているみたいだった。
ユウヤは椅子に座ったまま、右腕の包帯を見下ろした。
昨日よりは少しだけ痛みが引いている。
だが、まだ使い物にはならない。
「いてて……」
「少しは良くなりましたか?」
向かいでパンを齧っていたレオルドが聞いてくる。
「少しな。けど、まともには動かせねえ」
ユウヤはため息を吐いて、薄いスープを啜った。
「今日はどうするんですか?」
「決まってんだろ」
ユウヤは顔を上げる。
「帝都まで来たんだ。ここで手がかりを見つける。ただ、いきなりアルヴェルト本人を探すには広すぎる。だからまずは足取りを拾う」
レオルドが真面目に頷いた。
「なるほど……」
「あっ、その前に聞いとかねえと」
ユウヤは指を向けた。
「アルヴェルトの特徴は?」
レオルドは少し考えてから、すぐに答えた。
「背は私と同じくらいです。髪は茶色で、少し長め。目の下にホクロがあります」
「他は」
「顔がいいです」
「いけ好かねえな」
「あと、女好きです」
「それはもう知ってる」
レオルドは少しだけ首を傾げた。
「あとは……結構お忍びで動くのが好きな方で、いつも庶民の服を着てますね」
「なるほどな」
ユウヤは頷いた。
「身なりを隠しても、使う場所や振る舞いはそうそう変わらねえ。少し高めの宿、貴族街寄りの店、馬を預ける場所。そういうとこを当たるか」
レオルドが感心したように目を瞬かせる。
「凄いですね! ちゃんと考えられてる気がします!」
「気がするじゃねえ! 考えてんだよ!! てか、お前は俺を何だと思ってんだ」
「勢いで生きてる人かと」
「お前にだけは言われたくねえな……」
朝食を終えると、二人は宿を出た。
大通りはすでに人で溢れている。
商人、職人、兵士、貴族風の馬車。
帝都は地方の街とは空気そのものが違った。
「手分けして探すぞ」
「分かりました」
ユウヤはレオルドをじろりと見た。
「分かってるな? サボるんじゃねえぞ?」
「心外ですね。私だってやる時はやりますよ」
「その台詞が一番信用できねえんだよ」
そこで二人は別れた。
ユウヤはまず、少し高めの宿屋を回った。
普通の旅人宿ではなく、金のある商人や、お忍びの貴族が使っても浮かない程度の宿。
扉をくぐり、主人や受付に聞く。
「一月前くらいに、茶髪で背の高い男が来なかったか? 格好は普通でも、身のこなしは貴族っぽいはずだ」
だが、返ってくる答えは芳しくなかった。
「茶髪の高い男なんて毎日来るよ」
「貴族っぽい客なら山ほどいる」
「一月前の客なんて覚えてないね」
次に向かったのは、貴族街に近い少し格式の高い食堂だった。
働いている給仕や店主なら、顔を覚えているかもしれない。
そう思ったが、ここでも空振る。
「一月前? 忙しくて覚えてないね」
「茶髪で顔がいい? それだけで当てろって?」
さらに、馬を預かる厩舎や管理所も回った。
アルヴェルトが本当にお忍びなら、自分の服装はごまかしても、馬まで庶民のものに落とすとは思えない。
少なくとも、何か引っかかりは残るはずだ。
「茶髪で背が高い?」
「そんなの一日に何人来ると思ってんだ」
結局、全部空振りだった。
昼を過ぎても何も出ない。
右腕はじくじく痛むし、帝都は無駄に広い。
「広すぎんだろ……」
ユウヤは苛立ち混じりに呟いた。
路地を曲がる。
人混みを抜ける。
また知らない通りへ出る。
その途中だった。
「失礼。今お時間ございますか? よろしければ食事でもどうですか?」
聞き覚えのありすぎる声がして、ユウヤの足が止まる。
「……あ?」
通りの端。
派手めな女に、レオルドが爽やかな笑顔で声をかけていた。
ユウヤは即座に近づき、左手でレオルドの頭をはたいた。
「いった」
「てめえ!! 俺は必死で探してたってのに何ナンパしてやがる!!」
レオルドは頭を押さえながら、真顔で答える。
「情報収集です」
「どう見ても違うだろうが!!」
「綺麗な女性に声をかけるのは義務ですよ?」
「そんな義務あってたまるか!!」
そのやり取りを見ていた女が、くすりと笑った。
二十代半ばくらいだろうか。
髪を後ろでまとめた、明るい顔立ちの女だった。
「何それ。変な言い回しね」
レオルドがそちらを見る。
「変ですか?」
「変よ。でも前にも――」
女は少しだけ目を細めた。
「同じようなこと言って、声をかけてきた男がいたわね……」
レオルドの表情が変わる。
ユウヤも顔を上げた。
「……今、何て?」
女は肩をすくめる。
「だから、同じこと言ってたの。綺麗な女性に声をかけるのは義務だ、って」
レオルドが一歩前へ出た。
「その男、どんな人でしたか?」
「え?」
「身長とか、髪とか、顔とか……覚えていませんか?」
女は少し驚いた顔をしたが、考え込むように視線を上へ向けた。
「そうね……背は高かったわ。あんたくらい。髪は茶色で、少し長めで……顔も良くて感じもよかったわね」
レオルドが息を呑む。
「……目の下にホクロはありませんでしたか?」
女は少し考えてから、はっとしたように頷いた。
「ああ、そういえばあったわ。右だったか左だったかまでは覚えてないけど」
レオルドの喉が小さく鳴った。
女はさらに続ける。
「軽い感じだったけど、貴方みたいに育ちが良さそうだったわ」
ユウヤが低く聞く。
「声をかけられたのはいつ頃だ」
「一月前くらいかしら」
レオルドは静かに息を吸った。
「アルヴェルト殿下だ……」
「たぶんな」
ユウヤも頷く。
女はきょとんとしていたが、二人が真面目になったのを見て、少しだけ表情を改めた。
「その人、探してるの?」
「探してます」
レオルドが即答した。
その声だけは、いつもの軽さがなかった。
女はそれを見て、少しだけ真面目な顔になる。
「んー。その人ね、私と一緒にいた友達の方と仲良くなってたのよ。だから、その子に聞いた方が早いかも」
ユウヤが身を乗り出す。
「その友達と会えるか?」
「夜だけ開いてる酒場で働いてるわ」
女は通りの奥を指した。
「あっちの店。まだ開店前だろうけど、話くらいなら聞けると思う。私の名前を出せば、たぶん相手してくれる」
「あんたの名前は?」
「セイラよ」
女はそう言って、少しだけ首を傾げた。
「その人、本当に大事な人なのね」
「……そんなとこだ」
ユウヤがぼかす。
レオルドも深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
セイラはひらひらと手を振った。
「いいのよ。変なナンパはされたけど、嫌な感じじゃなかったし」
「変でしょうか……」
レオルドが頭を傾げながら、小さく漏らした。
二人はすぐに酒場へ向かった。
大通りから少し外れた場所。
昼間の帝都にあって、その一角だけ少し薄暗い。
夜になれば灯りと笑い声が溢れそうな通りだった。
その中の一軒。
木の扉に、使い込まれた看板。
まだ開店前らしく、店は閉まっている。
ユウヤとレオルドは顔を見合わせた。
「行くぞ」
「はい」
ユウヤが扉を軽く叩く。
「悪い、誰かいるか?」
返事はない。
もう一度。
「おーい!」
中で何かが動く音がした。
やがて扉が少しだけ開き、身綺麗な女性が顔を出した。
年は二十代後半くらい。
やわらかそうな雰囲気の、美人だった。
「……まだ開店前なんだけど」
「セイラの紹介で来たんだけど、少し時間いいか?」
ユウヤが言う。
女の目が少しだけ変わる。
「セイラ?」
「ああ。あんたが前に、茶髪で背の高い男と知り合ったって聞いてな。綺麗な女性に声をかけるのは義務、とか言ってたって……」
女は一瞬きょとんとして、それから吹き出した。
「……ああ、アルのこと?」
ユウヤとレオルドが同時に固まる。
「アル?」
レオルドが聞き返す。
「知っているんですか!?」
女は平然と頷いた。
「ええ。知ってるも何も、うちで働いてるわよ」
「……は?」
ユウヤが素で間抜けな声を漏らした。
レオルドも完全に固まっている。
女は不思議そうに二人を見た。
「何、その顔」
「いや……ちょっと待て」
ユウヤが額を押さえる。
「さすがにそんな訳ねえだろ……」
「だって、いるものはいるし」
女は首を傾げ、それから扉を大きく開けた。
「待ってて」
そう言って中へ引っ込む。
次の瞬間、店の奥へ向かって声を張った。
「アルー! あなたにお客様よー!」
数秒。
足音。
それから、店の奥からひょいと姿を現した男を見て、レオルドが目を見開いた。
茶髪。
長身。
整った顔立ち。
気安い笑み。
そして目の下のホクロ。
「えっ……レオルドじゃないか!? 何でこんなところにいるんだ!?」
男が目を丸くして言った。
レオルドは一拍遅れて、ぺこりと頭を下げる。
「あっ、お久しぶりです。アルヴェルト殿下」
ユウヤはその二人を見比べて、しばらく言葉を失った。
それから、ようやく口を開く。
「……何で第一王子が酒場で働いてんだよ……」
アルヴェルトは一瞬きょとんとして、それから困ったように笑った。
「あはは……まあ、色々あってね?」
帝都に来て一日目。
消えた第一王子が酒場で見つかった。




