第90話「帝都」
ユウヤとレオルドは、無事とは言い難いが着陸には成功した。
そして、先へ進もうと漆黒鋼機動輪に乗ろうとした、その時だった。
「っ……!」
右腕に鈍い痛みが走る。
ユウヤは思わず顔をしかめ、その場で動きを止めた。
「どうしました?」
後ろからレオルドが覗き込んでくる。
ユウヤは右腕を少しだけ動かしてみる。
ずきり、と嫌な痛みが奥に響いた。
「……あっ、これ……骨やってるかも」
「えっ……大丈夫ですか?」
「回復力はあるからよ。たぶん何日かで治る」
レオルドが目を丸くする。
「……凄いですね」
「ただ、運転できそうにねえわ……前頼む」
レオルドは一瞬だけ固まったが、すぐに真面目な顔で頷いた。
「分かりました」
ユウヤは左手だけで漆黒鋼機動輪を支えながら、右腕を見下ろす。
腫れている。
たぶん、ちゃんと折れている。
だが、今さらどうしようもない。
「布と包帯、取ってくれ」
「はい」
買っておいた荷物から、レオルドが布と包帯を取り出す。
ユウヤは歯を食いしばりながら、右腕を胴へ寄せて固定していく。
締めるたびに痛みが響く。
「っ、あぁ……クソ……」
「代わりにやりましょうか?」
「やめろ。お前、こういうの下手そうだ」
「否定はできません」
「だろうな……」
結局かなり雑ではあるが、右腕はどうにか身体へ固定された。
ユウヤは深く息を吐く。
「よし。行くぞ」
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃなくても進むしかねえだろ」
レオルドは漆黒鋼機動輪の前へ跨った。
ユウヤは後ろへ乗り、左手だけでレオルドの肩を軽く掴む。
「いいか。無茶に飛ばすな。今度こけたら俺が死ぬ」
「さっきは空を飛んでましたけどね」
「上手いこと言ってんじゃねえ」
「では、安全運転でいきますね」
レオルドは少しだけ笑って、ペダルへ足を掛けた。
漆黒鋼機動輪が静かに走り出す。
ユウヤは痛みを我慢し、レオルドはなるだけユウヤに負担がかからないようにゆっくりと漕いでいく。
しばらく進んだところで、ユウヤはふと目を細めた。
遠くの地平線に、灰色の線が見える。
最初は山かと思った。
だが、形があまりにも真っ直ぐだった。
「なんだあれ……クソ長い……壁?」
レオルドも目を凝らす。
「なんでしょう……世界の端とか?」
「それなら普通、海だろ……」
「海……とは?」
ユウヤが振り向いた。
「は? お前……海知らねえの?」
「知らないです。海とは何ですか?」
「マジかよ……海ってのはな……めちゃくちゃ水がある」
「川みたいなものですか?」
「もっとだ」
「湖みたいなものですか?」
「もっとだ」
「では……巨大な水溜まり?」
「急に小さくすんな」
二人でしばらく黙って、その馬鹿みたいに長い灰色の線を見つめた。
結局、正体は分からないままだった。
「まあいい」
ユウヤが小さく息を吐く。
「とにかく、人がいそうな所まで行くぞ」
「そうですね」
レオルドは前を見たまま頷く。
「正直、魔力がもう空です」
「だろうな。そういう俺も今日は変身できねえしな」
「ん? あの力は使えないのですか?」
「あの氷出した力あっただろ? あれ使うと一日変身できなくなっちまうんだ」
「では、夜営は危ないですね」
「ああ」
ユウヤは短く答えた。
「お前は魔力切れ。俺は右腕折れてて、変身不可。お前は闘気ってやつで魔物が襲ってきても大丈夫だろうが、俺は殺られる自信しかねえ」
レオルドは神妙に頷く。
「では、あの壁まで行きましょう。街か何かがあるかもしれません」
「しかねえよな」
そのまま街道を進む。
やがて、道の先に壁に沿うように、とんでもなくでかい門があるのが見えた。
さらに近づくと、門の前に列が出来ているのが分かった。
荷馬車。
馬に乗った旅人。
徒歩の商人。
門の左右には重装備の兵が立ち、上の見張り台にも人影がある。
ユウヤは思わず目を見開いた。
「……いや、でかすぎんだろ」
レオルドもさすがにぽかんとしていた。
「本当に壁でしたね」
「そこじゃねえよ」
「門もあります」
「見りゃわかる」
門の上には、帝国の紋章らしき巨大な意匠が彫り込まれていた。
その下を、人も荷も、ゆっくりと飲み込まれていく。
ユウヤは低く言った。
「待て。もうチャリはしまうぞ」
「はい?」
「こんなもんで門くぐったら、余計なこと聞かれるだろ」
ユウヤが降りる。
その瞬間、漆黒鋼機動輪は黒い光になってベルトへ吸い込まれた。
レオルドが少し感心したように言う。
「やっぱり便利ですね」
「こういう時だけな」
二人はそのまま列の最後尾へ並んだ。
前にいた商人らしき男が振り返り、二人の格好を見て眉を上げた。
「ん? あんたらハンターかい?」
レオルドが一瞬だけ固まる。
「え、あの、その……」
ユウヤがすぐに口を挟む。
「近くの村から仕事探しに出てきたんだよ」
「ああ、そういうことか」
商人は納得したように頷く。
「なら初めてか。帝都は」
ユウヤが一瞬だけ目を細め、それからすぐ肩をすくめた。
「……まあな。やっぱ男なら帝都で一旗上げねえと」
商人は笑いながらユウヤの肩を軽く叩いた。
「いいじゃないか。若いうちしか無茶はできねえ。がんばれよ!」
それだけ言って、また前を向いた。
ユウヤはしばらく何も言えなかった。
国境を越えた。
帝国に入った。
その先で墜落した。
そこまでは分かる。
だが、まさか帝都の近くまで飛ばされているとは思わなかった。
「どんだけ飛んだんだよ、俺ら……」
「ラッキーでしたね」
「……マジでお前メンタル強いよな」
列はゆっくり進んでいく。
門の近くまで来ると、兵達の顔つきがよく見えた。
王国の兵より鎧が重い。
視線も鋭い。
一人が顎をしゃくる。
「次」
ユウヤとレオルドが前に出る。
兵の視線がまず二人の服の汚れへ行き、それからユウヤの腕へ向いた。
「怪我か」
「魔物から逃げる途中で転びました」
レオルドが即答する。
ユウヤが横目で見た。
「てめえ……」
「そうですよね?」
「……まあ、そんなとこだ」
兵は少し怪しんだようだったが、金を持っているか、武器を隠していないかをざっと確かめただけで続けた。
「名は?」
レオルドが胸を張る。
「レオンです」
「そっちは?」
ユウヤは一瞬だけ考える。
本名は論外だ。
だが、洒落た偽名を考える頭も今はない。
「……ヒムロ」
兵は無表情のまま頷いた。
「身分証は?」
ユウヤが答える。
「まだない。これから帝都で作ろうと思ってる」
兵は少し怪しむように二人を見たが、やがて鼻を鳴らした。
「田舎者か」
「まあ、そうだな」
「騒ぎは起こすなよ」
「善処します」
「善処じゃなくて守れ」
兵は面倒そうに手を振った。
「よし、通れ」
帝都の中へ入った瞬間、空気が変わった。
広い。
道が広い。
建物が高い。
人が多い。
馬車の音、商人の声、鍛冶の音、呼び込みの声が混ざって、絶えずざわめいている。
石畳の大通りが真っ直ぐ伸び、その両脇を店と宿が埋めていた。
さらにその向こうにも建物が続いている。
見える範囲だけで、リュンダとは比べものにならない。
レオルドがきょろきょろと辺りを見回す。
「レグナよりもでかいですね」
「だな……」
ユウヤもさすがに圧倒されていた。
ここが帝都。
帝国の中心。
アルヴェルトの手がかりも、きっとどこかにある。
だが今は、それより先にやることがあった。
「宿探すぞ」
「はい」
「もう、さすがにヘトヘトだ……」
「私もです」
大通り沿いの宿に入る。
さっきの門番と違い、宿の主人は少し愛想のある男だった。
だが、値段は地方より明らかに高い。
「帝都価格ってやつかよ……」
ユウヤがぼやく。
「都会ですからね」
「お前、都会って概念知ってたのか」
「む……私をなんだと思っているんですか」
「世間知らずのあんぽんたん」
「……酷い」
金を払い、部屋を取る。
部屋は狭くない。
寝台も柔らかい。
だが、その分値段も痛かった。
ユウヤは椅子へ腰を下ろし、深く息を吐く。
「……やっと休めるぜ」
レオルドも向かいへ座る。
「流石に疲れましたね」
「空飛んで、死にかけたしな」
「ですね」
妙にあっさりした返事だった。
少し沈黙が落ちる。
それから、レオルドがふと思い出したように口を開いた。
「ところで、なぜヒムロなんですか?」
「ん?」
「偽名です。なぜヒムロと?」
ユウヤは背もたれに頭を預けたまま答える。
「あー、苗字なんだよ」
「えっ」
レオルドが目を丸くする。
「ユウヤは貴族だったのですか?」
「あー、違う違う」
ユウヤは面倒くさそうに左手を振った。
「俺、異世界人なんだよ」
「そうなんですか」
「反応うすくね?」
思わず上体を起こしかけて、右腕が痛んだ。
「っ……」
「大丈夫ですか?」
「いや、普通驚くだろ……」
レオルドは本気で首を傾げた。
「変わった民族ということなんでしょう?」
「あー、そういや、お前あんぽんたんだったわ」
「む……異世界人とは珍しいのですか?」
「違う世界から来たってことだ」
レオルドは少し考えてから、真面目に頷いた。
「違う世界……それは世界が違うということですか……」
「でたよ……困った時の進次郎構文」
「もしかすると凄い人なのですか?」
「凄いっちゃ凄いかもな」
そこで、レオルドは少しだけ笑った。
「でも、ユウヤがユウヤなのは変わりませんし」
その一言に、ユウヤは言い返しかけてやめた。
「……まあ、そうだけどよ」
「はい」
それで会話は一度途切れた。
少しして、下で出された食事を部屋に運んでもらう。
黒パン。
濃いめの肉の煮込み。
硬いチーズ。
それと、妙に香辛料の利いたスープ。
一口食べて、ユウヤは顔を上げた。
「……味濃いな」
「帝都はこういう味付けなんですかね」
「知らねえよ。俺も初めてだ」
「でも、美味しいですね」
「まあな」
温かい飯が胃に落ちるだけで、生き返る感じがした。
食事を終えた頃には、空はもう赤く染まり始めていた。
ユウヤは窓の外へ視線を向ける。
見えるのは、夕暮れの帝都。
その向こうに、さらに壁が伸びている。
「……悪くねえな」
「え?」
「最悪の飛び方だったが、結果だけ見りゃ悪くねえって言ってんだよ」
レオルドは少しだけ笑った。
「それは良かったです」
ユウヤは寝台へ背を預ける。
右腕は痛む。
身体は重い。
変身もまだできない。
だが、それでも。
帝都にいる。
ここなら、アルヴェルトの手がかりもあるかもしれない。
ユウヤは目を閉じた。
「……今日のとこは寝るか」
「そうですね」
「明日から探るぞ」
「はい」
窓の外では、夕暮れの向こうに帝都の壁が沈みかけていた。
世界の端ではなかった。
海でもなかった。
その正体は、帝国の中心を守る巨大な壁だった。




