第87話「加速」
村を出て、2人は再び東へ向かった。
昼に近い日差しが、乾いた道を白く照らしている。
左右には低い森と、まばらな畑。
街道はよく踏み固められていて、馬車の轍が何本も伸びていた。
前を漕ぎながら、ユウヤはぼんやりと距離を考えていた。
帝国まで馬車で一か月。
チャリなら一週間くらい。
往復だけで二週間。
そこにアルヴェルト捜索。
どうせ簡単には連れて帰れないだろう。
こういう時はだいたい面倒事に巻き込まれる。
「……一か月近くかかるんじゃねえか」
思わず口に出る。
後ろのレオルドが首を傾げた。
「何がですか?」
「全部でだよ」
ユウヤは苛立ったように言う。
「帝国まで行って、第一王子探して、連れ帰るんだぞ。往復だけでも結構かかる。急いで行って、急いで帰らねえといけねえのに……チャリ以上の移動手段がありゃな……」
そこで、ふと頭に引っかかった。
乗り物。
ユウヤの目が少し細くなる。
「……そういや、アップグレードは何ポイントだ?」
視界の端に、淡い文字が浮かんだ。
『ブレイブドライバーのアップグレードには80ポイントが必要です』
『現在のヒーローポイント:30』
「80!?」
思わず声が裏返る。
「多すぎだろ!!」
後ろでレオルドがびくりとした。
「ど、どうしたんですか?」
「いや、何でもねえ……」
そんな都合よくいくわけがない。
分かっていた。分かっていたが、腹は立つ。
「……どうにかして、スピードを上げるしか……」
そこで、ユウヤの思考が止まった。
スピード。
ユウヤは肩越しに振り返る。
「おい、レオルド」
「はい」
「お前、風の魔法使えるんだよな?」
「使えますよ。戦闘以外では役に立ちませんが」
「例えばだけど、風を操って、自分を加速させたりってできるのか?」
レオルドが瞬きをした。
「どういうことですか?」
「風魔法で速く動いたりできんのかってことだよ」
レオルドは少し考えてから、あっさり答えた。
「それくらいならできますよ」
「できんのかよ!?」
思わず漕ぐ足が止まりかける。
「じゃあ、俺がチャリ漕いでる後ろで風魔法使えば、もっと速くなるんじゃねえか?」
「……はっ」
レオルドの目が見開かれた。
「素晴らしいアイデアです……ユウヤ、天才なのでは?」
「天才に決まってんだろ。ほら、いいからちょっとやってみろ」
「分かりました!」
次の瞬間だった。
ごうっ、と背中から風が吹いた。
「うおっ!?」
漆黒鋼機動輪が一気に前へ跳ねる。
景色が流れる。
木々が脇へ飛んでいく。
車輪が道を噛む音が一段高くなる。
風圧で首が持っていかれそうになる。
「速っ!? おい! 速すぎだ!!」
「すみません。加減を間違えました」
「ノーヘルなんだからな!! 気をつけろ!!」
ユウヤは慌ててハンドルを押さえ込んだ。
風に押される。
前へ、前へと無理やり伸ばされるみたいな加速。
体感で分かる。
明らかに今までより速い。
「これ、たぶん百キロ以上出てんじゃねえか!?」
「後ろしか見てないのでわかりません」
「わかんねえのかよ!?」
街道を、漆黒鋼機動輪が黒い矢みたいに駆け抜ける。
数分走ったところで、ユウヤは叫んだ。
「一回止めろ! 死ぬ!」
「分かりました!」
レオルドが風を緩める。
加速が消え、ようやく元の速度に戻る。
ユウヤはそのまま道端へ寄せて止まり、深く息を吐いた。
「……っ、はぁ……」
「どうでした?」
「どうでした、じゃねえよ……!」
ユウヤは肩で息をしながら睨む。
「速い。めちゃくちゃ速い。けど風圧で息が全然できねえ!!」
レオルドは少し考えているような顔をする。
「すみません……では、ユウヤの顔の前に風のシールドを張りましょう」
「……風魔法便利すぎだろ……」
ユウヤは漆黒鋼機動輪を見下ろす。
これならいける。
少なくとも、普通に漕ぐよりはずっと速い。
上手く使えば、帝国までの日数はかなり縮められる。
「で」
ユウヤが聞く。
「これ、どのくらい持つ」
レオルドは少し空を見て考えた。
「全力で押し続けるなら……五時間か、六時間くらいですね」
「五、六時間か」
「そのあとは魔力が空に近くなります」
「じゃあ一日中は無理だな」
「はい。後半は普通に進むしかないかと」
ユウヤは顎に手を当てた。
「それでも十分だな……」
レオルドが素直に頷く。
「かなり違うと思います」
「だろうな」
ユウヤは鼻を鳴らした。
「よし。じゃあ使ってくれ。シールドも忘れんなよ」
「分かりました!」
二人はもう一度走り出した。
今度はレオルドが慎重に風を流す。
背中を押すように。
前へ滑らせるように。
さっきほど乱暴ではない加速をしていく。
「……おお」
ユウヤが小さく声を漏らす。
さっきみたいな急発進、急加速じゃない。
徐々にスピードを上げていく。
そして何よりシールドのお陰で息ができる。
「これならいいな」
「加減しました」
「最初からそれやれ」
「失敗から学ぶタイプなんです」
「なんかムカつくな……」
風魔法で押されながら進んだ結果は、分かりやすかった。
村を出てから一時間ほどで、前方に街が見えた。
石の外壁。
門。
街道沿いに広がる家並み。
村とは比べものにならない、人と建物の密度。
レオルドが声を上げる。
「ユウヤ! あれでは?」
「ああ」
ユウヤも目を細める。
「リュンダだろうな」
思っていたよりずっと早い。
風魔法の効果は予想以上だった。
だが、そこで気が緩んだわけじゃない。
疲れていた。
ユウヤは処刑台の騒動から、まともに休めていない。
レオルドなんて昨夜ほとんど寝ずに漕いでいた。
身体の芯に、じわじわと疲労が溜まっている。
「……今日は早いがここで休むぞ」
門をくぐる前に、ユウヤが言った。
レオルドも珍しくすぐ頷いた。
「そうしましょう。流石に少し眠いです」
「少しかよ」
リュンダは、帝国へ向かう街道沿いの小さな宿場町だった。
旅人向けの店。
荷馬車。
鍛冶屋の音。
食堂から漂う匂い。
村と違って、よそ者が多少歩いていてもそこまで目立たない。
二人はまず、旅に必要なものを買い足した。
簡易テント。
毛布。
火打石。
保存食。
水袋。
それから、少し高めの宿を取った。
どうせ寝るなら、ちゃんと寝られる場所がいい。
疲労が抜けないまま進んで、また判断を誤る方が怖い。
部屋は二人部屋だった。
木の床。
二つの寝台。
小さな机。
窓からは、リュンダの通りが見える。
豪華ではない。
だが、昨夜の“焼け跡の横で立ち尽くす”状況に比べれば、十分すぎた。
宿の一階で少し早めの夕食をとり、部屋へ戻る。
ユウヤは寝台に腰を下ろし、深く息を吐いた。
「……やっと寝られる」
レオルドも隣の寝台に腰掛ける。
「今回は火事がなくて安心ですね」
「縁起でもねえこと言うな」
ブーツを脱ぐ。
コートを脱ぐ。
寝台に倒れ込む。
もう何も考えたくなかった。
その時だった。
視界の端に、淡い文字が浮かぶ。
『クエスト発生:女性が暴漢達に襲われそうになっている。助け出せ』
『報酬:ヒーローポイント5』
ユウヤのこめかみに青筋が浮いた。
「……あー、クソが!!」
レオルドがびくりと肩を震わせる。
「ど、どうしたんですか?」
「面倒事だよ」
ユウヤは勢いよく立ち上がる。
「お前は寝てろ。ちょっと行ってくる」
「何かあったんですか?」
「気にすんな。すぐ戻る」
それだけ言い残し、ユウヤは部屋を飛び出した。
宿を出て、通りを曲がる。
さらに細い路地へ入る。
日が暮れ始めているがまだ明るい。
だが、人目は少ない。
通りの奥から、揉める声が聞こえていた。
舌打ちしながら進む。
その先にいたのは、いかにも薄汚れた男三人だった。
派手な服を着た女の腕を掴み、路地の奥へ引っ張ろうとしている。
女は怯えていたが、声を上げれば余計に面倒になると分かっているのか、必死に耐えていた。
「っち……おい!」
ユウヤの声に、男たちが一斉に振り向く。
「てめえら、何やってやがる!」
視界の端に文字が弾けた。
『観測されました』
『変身可能です』
「……仕方ねえな」
ユウヤは低く吐き捨てる。
ブレイブドライバーへ手をかける。
足を止め、正面を向く。
「変身」
次の瞬間、黒いコートが翻り、漆黒のグローブとブーツが現れる。
眼帯の奥で熱が灯り、空気が一瞬だけ張り詰めた。
「薄汚れた塵どもが、女一人を囲んで何をしている」
男たちは一瞬固まった。
そこへ、ユウヤが踏み込む。
一人目の腹に拳。
二人目の顎に蹴り。
三人目の顔面に裏拳。
一瞬だった。
三人まとめて壁と地面に転がる。
「がっ……!」
「ひっ……!」
「な、なんだこいつ……!」
「路地裏で女を漁る下種に、名乗る名などない」
ユウヤが一歩踏み出すと、男たちは悲鳴みたいな声を上げて這うように逃げていった。
路地に残されたのは、女とユウヤだけだった。
女は呆然とユウヤを見ている。
「あ、あの……助けていただいて……」
ユウヤは背を向ける。
「礼には及ばない。さっさと明るい通りに戻れ」
それだけ言い残し、路地を後にした。
視界の端に文字が浮かぶ。
『クエストクリア:女性が暴漢達に襲われそうになっている。助け出せ』
『報酬:ヒーローポイント5』
『現在のヒーローポイント:35』
「……五か」
ポイントというより、あのまま寝ていたら寝覚めが悪くなるところだった。
さっさとベッドでたっぷり寝たい。
宿へ戻る。
部屋に入ると、レオルドはまだ起きていた。
寝台に腰掛けたまま、素直にこちらを見る。
「用事は終わったんですか?」
「ああ」
ユウヤはブーツを脱ぎ捨てる。
「ようやく寝れる」
「そうですか」
それ以上は聞いてこない。
ユウヤはそのまま寝台へ倒れ込んだ。
身体が沈む。
意識も沈む。
レオルドが何か言いかけた気配がしたが、もう無理だった。
「……寝る」
「はい。おやすみなさい、ユウヤ」
返事をする気力もないまま、ユウヤはそのまま眠りに落ちた。




