第86話「まだまだ先」
レオルドとユウヤを乗せた漆黒鋼機動輪が月明かりに照らされた道を、黒い車輪が滑るように進んでいる。
森の影。
白い息。
遠くで鳴く夜鳥の声。
ユウヤは後ろに乗ったまま、いつの間にか寝ていた。
最初は眠るつもりなんてなかった。
だが、朝から自転車を漕ぎっぱなしで疲れていたことに加え、荷物やテントが燃えたり、いろいろと限界だった。
その間も、前ではレオルドがひたすら漕いでいた。
やけに安定した漕ぎ方で。
やけに速く。
そして、空が白み始めた頃。
「ユウヤさん! 村が見えます!」
耳元でそんな声がして、ユウヤはびくりと目を覚ました。
「……あ?」
半分寝ぼけたまま顔を上げる。
前方に、小さな集落が見えた。
街道沿いにぽつぽつと家が並び、畑と柵に囲まれている。
宿場というより、本当にただの村だった。
ユウヤは目を擦る。
「悪ぃ……寝ちまってたわ」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
レオルドは妙にすっきりした声で答えた。
「意外と運転楽しかったです」
「元気すぎんだろ……」
ユウヤは欠伸を噛み殺した。
身体は重い。
だが、寝たおかげで少し頭は回る。
漆黒鋼機動輪が村の入り口で止まる。
朝は早いが、もう何人かの村人は動き始めていた。
桶を運ぶ女。
薪を割る男。
畑へ向かう老人。
見慣れない二人組と妙な乗り物に、全員が一度こちらを見た。
「……目立ってんな」
「目立ってますね」
「他人事みてえに言うな」
ユウヤは降りて軽く身体を伸ばす。
関節がばきばき鳴った。
とりあえず、一番話の通じそうな老人へ近づいた。
「悪い。ちょっと聞きたいんだけどよ」
老人は鍬を肩に担いだまま、警戒半分、怪訝半分といった顔でこちらを見る。
「何だ」
「ヴァルディア帝国ってどっちだ?」
老人の眉がぴくりと動いた。
「帝国?」
「ああ」
老人はしばらく二人を見ていたが、やがてゆっくり東を指さした。
「東だ。だが、まだまだ先だぞ」
ユウヤとレオルドが同時にそちらを見る。
朝日が昇り始めた空の向こう。
山並みのさらに先に、帝国があるらしい。
ユウヤが聞く。
「まだまだって、どのくらいだ?」
老人は少し考えてから答えた。
「馬車でも一か月はかかるな」
「一か月!?」
思わず声を上げたのはレオルドだった。
ユウヤも目を細める。
「マジかよ……」
王国が広いのか。
帝国が遠いのか。
たぶん両方だ。
レオルドが本気でショックを受けた顔をしていた。
「一か月……そんなにですか……」
ユウヤは欠伸混じりに言う。
「馬車なら、だろ」
「え?」
「チャリの速さなら一週間くらいで着くだろ。多分」
「確かに……チャリは最速の移動手段ですからね」
「チャリが最速ってのも悲しくなるがな……」
老人は二人の会話を聞いて、ますます変な顔になった。
だが、追及はしてこない。
代わりにユウヤはもう一つ聞いた。
「じゃあ、近くに街は?」
「東の街道をまっすぐ行けば、街がある。ここから百キロほど先だ」
「百キロ……」
今度はレオルドが呟いた。
ユウヤは少しだけ空を見た。
日が高くなる前に出れば、今日中に着けるかもしれない。
老人が咳払いした。
「街の名前はリュンダだ。小さいが、旅人相手の店くらいはある」
「リュンダ、な」
ユウヤは頷く。
「助かった」
老人はまだ怪訝そうだったが、それ以上は何も言わなかった。
腹が減っていた。
村の端に、小さな食堂らしき店を見つけて入る。
店内は古いがそれなりに掃除がされてる。
客はほとんどいない。
二人は隅の席に座った。
出てきたのは、固いパンと薄いスープ、それから焼いた芋だった。
食べれるだけで十分だ。
「生き返る……」
ユウヤが芋を齧りながら呟く。
レオルドはパンを噛んで、素直に頷いた。
「口の中がモサモサします……斬新です」
「お前、斬新って言えばいいと思ってんだろ……」
「……そんなことないですよ」
「おい。今、間があったぞ」
食べながら、ユウヤは焦げ跡のついた小さな革袋を机に置いた。
中から銀貨を出す。
黒く煤けてはいるが、使う分には問題ない。
レオルドがそれを見た。
「お金だけは残ってて良かったですね」
「マジで紙じゃなくて硬貨でよかったわ」
「安心しました」
「お前が言うんじゃねえ」
食べ終えたあと、二人は村を出る前に少しだけ必要なものを買い足した。
水。
包帯。
乾き物。
それから、簡単な布。
テントは流石になかった。
次の街まで我慢だ。
村を出る頃には、朝日はもうしっかり昇っていた。
漆黒鋼機動輪の前に立ち、ユウヤは東を見た。
帝国まではまだ遠い。
一番近い街ですら百キロ。
馬車で一か月という距離が、改めて現実味を持って迫ってくる。
レオルドが前に乗ろうとしたところで、ユウヤが声をかけた。
「次の街までは俺が漕ぐからな」
レオルドが振り向く。
「いえ、私が漕ぎます」
「は?」
「ユウヤさんに迷惑を掛けてしまいましたから」
真面目な顔だった。
昨夜の火事のことを言っているのだろう。
ユウヤは少しだけ眉をひそめたあと、ため息混じりに言う。
「お前、夜通し漕いで寝てねえだろうが」
「それはまあ、そうですが」
「お前だけのせいじゃねえし」
レオルドが少し黙る。
ユウヤは漆黒鋼機動輪のハンドルを掴んだ。
「ほら乗れ……あと、ユウヤでいい」
「え?」
「友達なんだろ?」
レオルドは一瞬だけ目を丸くして、それから少しだけ笑った。
「……分かりました、ユウヤ」
「その代わり、次また火を使う時は絶対触るなよ」
「そこはまだ信用が戻ってないんですね」
「当たり前だ」
ユウヤが前に跨り、レオルドが後ろに乗る。
「リュンダまでどのくらいで着くと思います?」
「知らねえよ」
「またですか」
「その代わり、道はまっすぐだ。迷ったら……そん時はそん時だ」
「雑すぎませんか?」
「うるせえ。黙って掴まってろ」
漆黒鋼機動輪が再び走り出す。
村はすぐに背後へ遠ざかり、また街道だけが前に伸びていく。
東へ。
ヴァルディア帝国へ。
行方知れずの第一王子がいるかもしれない場所へ。
ユウヤは前を見たまま、遠くの空を睨んだ。
「……一週間、か」
「たぶん、ですね」
「その“たぶん”が怖えんだよ」
朝の光の中、漆黒鋼機動輪は東の街道を走っていく。
帝国はまだ、ずっと先だった。




