第85話「クソッタレな野営」
漆黒鋼機動輪は、朝の街道をひたすら駆けていた。
王都を離れるにつれて、石畳は土の道へ変わり、人の気配も少しずつ薄れていく。
背後で小さくなっていくレグナの城壁を、ユウヤは一度も振り返らなかった。
今は前だけ見ていればいい。
後ろにいるレオルドは、出発前の騒がしさに反して、走り出してしばらくは妙に静かだった。
珍しいな、と思った、その時だった。
「ユウヤさん」
「なんだよ」
「トイレに行きたいです」
ユウヤは一瞬だけ黙った。
「……は?」
「トイレです。ありますか?」
「あるわけねえだろ!!」
ユウヤは慌てて漆黒鋼機動輪を止める。
「待ってるから、その辺の茂みでしてこい!」
レオルドがきょとんとする。
「どうやって?」
「あ?」
「いや、外でするの初めてなので」
「初めて!?」
ユウヤは思わず振り返る。
「その辺で立ってしてくりゃいいだろうが!」
レオルドは少しだけ感心したように頷いた。
「斬新ですね」
「斬新じゃねえから! さっさと行ってこい!」
レオルドは素直に茂みの方へ歩いていく。
その背中を見送りながら、ユウヤは頭を抱えた。
「……マジかよ」
しばらくして戻ってきたレオルドは、どこかすっきりした顔で頷いた。
「できました」
「報告すんじゃねえ!」
「野外というのは、思っていたより開放感がありますね」
「二度と感想を言うな」
ユウヤは深くため息を吐き、再び漆黒鋼機動輪を走らせる。
道の左右には森が広がっている。
朝露の匂い。
鳥の鳴き声。
王都の緊張とはまるで違う静けさだった。
けれど、背中にあるものが軽くなったわけじゃない。
密書。
第一王子アルヴェルト。
第二王子。
蛇架。
セシル。
考えることはいくらでもある。
だが、その全部に対して、後ろからまた空気の読めない声が飛んできた。
「そういえば」
「今度は何だよ」
「帝国までどのくらいあるんですか?」
ユウヤの眉がぴくりと動く。
「……お前、知らねえのか?」
「え? 知りませんよ」
「は?」
「レグナから出たことがないですからね」
ユウヤは思わず漆黒鋼機動輪をぐらつかせた。
「えっ……俺も知らねえんだけど……!」
レオルドが少しだけ身を乗り出す。
「知らないんですか?」
「知らねえよ! てか、お前Aランクハンターだろ!? なんで知らねえんだよ!!」
レオルドは悪びれもなく答える。
「両親が過保護でして……頼むから国から出るな、と」
「それ、過保護っていうか……」
ユウヤは呆れた声で言う。
「他国で面倒起こされると大変だからだろ」
「失礼ですね。私はそんなに問題を起こしませんよ」
「起こす側のやつはみんなそう言うんだよ」
レオルドは少しだけ考えるように黙ったあと、
「いや、それより帝国の場所が分からないのは不味くないですか?」
と真面目に言った。
「はぁ、どっかの街で聞かねえとな……」
ユウヤは深くため息を吐く。
途中で何度か休憩を挟み、水を飲み、簡単な干し肉を齧る。
その間にもレオルドは妙なことばかり言った。
「干し肉って思ったより顎が疲れますね」
「そういう食いもんだろ」
「もっとこう、ふわっとした物かと」
「干してある肉に何を期待してんだよ」
しばらくしてまた、
「この乗り物、後ろだと景色が見にくいですね」
「落ちなきゃ十分だろ」
「それもそうですね」
妙に納得する。
そうかと思えば、急に真面目な声になることもある。
「……ユウヤさん」
「なんだ」
「アルヴェルト殿下、生きているといいですね」
ユウヤは少しだけ黙った。
「生きてるさ」
「随分あっさり言いますね」
「クエスト出てたから、生きてんだよ」
「なるほど……よく分かりませんが、生きてるのですね。良かったです」
レオルドはなぜか感心したように頷いた。
「そういや、お前、その第一王子の顔は知ってんのか?」
「勿論、知ってますよ。殿下とは仲が良かったので……そういえば女性への声のかけ方も殿下に教えてもらったのですよ」
「……女好きってのはわかったわ」
日が傾き始めた頃、二人は街道から少し外れた林の縁に入った。
今夜はここで野営するしかない。
本当ならもう少し進みたかったが、暗くなってから無理に走るのも危ない。
ユウヤが漆黒鋼機動輪を止める。
「今日はここまでだ」
レオルドが周囲を見回した。
「おお……これが野営ですか」
「まだ何もしてねえよ」
「雰囲気がもうそれっぽいです」
「知らねえよ」
そこから先は、ほぼユウヤが全部やることになった。
薪を集める。
風向きを見る。
荷物を下ろす。
寝る場所を決める。
とはいえ、手際がいいわけではない。
どちらかといえば、思い出しながらやっていた。
レオルドは役に立たなかったわけではない。
薪は運ぶ。
言われたことはやっていた。
「こういう枝でいいんですか?」
「知らねえけど、多分乾いてるやつだ」
「多分なんですね」
「あのな……俺だってお前がAランクハンターだから野営くらい出来ると思ってたんだよ……」
やがて火を起こす段になって、ユウヤはトムが持たせてくれたバッグを漁り始めた。
干し肉。
水袋。
包帯。
薬草。
その下に、小さな布袋と平たい石、それから細い金具みたいなものが入っている。
「……あった」
「おお」
レオルドが屈み込む。
「やるんですね」
「やるしかねえだろ」
ユウヤは石を手に取ったまま、微妙な顔をした。
確か……ディルクはこんな感じの石を使っていた。
もう片方をこう持って、擦るんじゃなくて、たしか打ちつけて――
カツッ。
小さな火花が散る。
もう一度。
カツッ。
カツッ。
火花は飛ぶ。
だが、草束はうんともすんとも言わない。
「んだよこれ……全然着かねえじゃねえか!」
ユウヤが眉をひそめる。
その横で、レオルドが目を輝かせた。
「私もやってみたいです」
「遊びじゃねえんだぞ……」
そう言いながらも、ユウヤは石をぽいと放る。
「ほらよ」
レオルドはそれを受け取り、草束の前にしゃがみ込んだ。
「こんな感じですかね……」
カツッ。
火種がおかしな方向へ飛んでいく。
ぼうっ。
「うわっ――」
「おまっ!! リュック燃えてんじゃねえか!! 水! 水!!」
「み、水!? か、風魔法ならいけます!」
「やめ――」
ごうっ。
風で煽られた火が、枯葉へ飛ぶ。
枯れ枝へ燃え移る。
ついでに雑に張ったテントの端へ引火した。
「お前、ふざけんな!! もうこれ火事じゃねえか!!」
「すみません! でも消そうと思って――」
「思うだけで動くな!!」
近くに川はなく、二人であたふたしているうちに火の勢いは強くなった。
そして火が収まる頃には、リュックもテントも綺麗に炭になっていた。
夜の林に、ぱち、と燃え残りが爆ぜる音だけが響く。
ユウヤとレオルドは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「……どうするよ」
ユウヤがようやく絞り出す。
レオルドも炭の山を見つめたまま答える。
「……どうしましょう」
ユウヤが遠くを見て口を開く。
「テントが燃えた」
「はい」
「荷物も灰になった」
「はい」
「……野営無理じゃね?」
「無理ですね」
「とりあえず野営は諦めるしかねえよな……チャリで進むしかねえだろ……どっかの街に着くまで」
「なるほど……ユウヤさん、冷静ですね」
ユウヤは少し間を置いた。
「いや……頭が追いついてねえだけだ」
レオルドは真顔で頷く。
「流石に申し訳ないので、私が漕ぎますよ」
ユウヤがちらりと見る。
「……安全運転で頼む」
「任せてください」
そう言ったレオルドは、意外なほど危なげなく漆黒鋼機動輪に跨った。
「行きますよ」
「マジで乗れんのかよ……」
「たぶん大丈夫です」
「たぶんって言うな」
次の瞬間、漆黒鋼機動輪は夜の街道へ滑り出していた。
意外なことに、レオルドの運転は安定していた。
少なくとも、さっき森を燃やした男とは思えないくらいには。
ユウヤは後ろで風を受けながら、深くため息を吐く。
「……なんなんだよ、こいつ」
夜の道を、二人を乗せた漆黒鋼機動輪が走っていく。
ユウヤは心に誓った。
次に野営をする時は、絶対に川辺でやる。
そして、レオルドには絶対に火を触らせない。




