第79話「漆黒の執行者」
ユウヤの名乗りが、広場に響いた。
悲鳴と怒号で揺れていた空気が、一瞬だけ止まる。
泣き叫んでいた民衆すら、思わずそちらを見た。
勇者やレオルドのような眩い英雄じゃない。
胡散臭いほど漆黒のヒーローだ。
それでも、誰もが目を逸らせなかった。
再生特化型の赤黒い目が、ぎょろりとユウヤを捉える。
速度特化型もまた、四つ足めいた姿勢で低く身を沈めていた。
処刑台の板が、ぎしりと鳴る。
ユウヤは黒いコートを揺らしながら、一歩前へ出た。
「退け、哀れな肉塊ども」
低く、痛々しいほど大仰な声だった。
「今宵、この処刑台に立つのは王子と王女ではない!」
そして、再生特化型と速度特化型を順に指差す。
「我が自ら執行者となり、貴様らを処刑してやろう」
「……ユウヤ様」
セシルがふらついた。
腹の傷はまだ塞がっていない。
赤い目も、呼吸も、明らかに危うい。
ユウヤは振り返らずに言う。
「下がっていろ。貴様はもう十分に役目を果たした。ここからは、我が蹂躙する」
その直後だった。
速度特化型が消える。
いや、消えたように見えただけだ。
次の瞬間には、リアの首元へ鉤爪が迫っていた。
「リア!」
ルークが叫ぶ。
だが、それより早くユウヤが動いた。
「遅いな」
黒い身体がぶれる。
一瞬で間合いを詰め、速度特化型の顔面へ拳を叩き込む。
轟音。
細い身体が真横へ吹き飛び、処刑台の柱へ激突した。
柱がへし折れ、木片が夜気へ散る。
それでも速度特化型は起き上がろうとした。
四つ足のまま身体を捻り、また跳ぶ。
今度はルークを狙う。
「鬱陶しい」
ユウヤは片手でその顔を掴んだ。
そのまま、広場の石畳へ叩きつける。
一度。
二度。
三度。
石畳が割れる。
それでもまだ痙攣する速度特化型を見下ろし、ユウヤの口元が歪んだ。
「疾さだけの雑兵が。我が守りを抜けると思うな」
漆黒の焔が拳へ集まる。
「漆黒ブレイブパンチ!!」
拳が落ちる。
速度特化型の頭部が砕け、黒い肉が四散した。
さらにそれを黒炎が焼き尽くす。
「……っ」
ルークが息を呑む。
その視線は、無意識にユウヤの背中へ吸い寄せられていた。
あまりに大仰で、あまりに痛々しい言い回し。
なのに――強い。
理屈を超えて、格好いいと思ってしまった。
「執行者……」
思わず小さく呟く。
ユウヤはわずかに顎を上げた。
「フッ……我に憧れるのも無理はない。だが、この領域に至るのは容易ではないぞ」
「いや、でも……」
リアが一瞬だけ目をぱちぱちさせる。
ルークは真顔だった。
そのやり取りを断ち切るように、再生特化型が処刑台へ踏み込んだ。
どくん。
どくん。
胸の中央で脈打つ黒赤い筋が、不気味に光る。
片腕だけ異様に長く、その拳は人間の頭など簡単に潰せそうだった。
「フッ……あとは貴様だけだ」
ユウヤが、ゆっくりとそちらを見る。
再生特化型の拳が振り下ろされる。
処刑台の板ごと粉砕する一撃。
だが、ユウヤは避けない。
真正面から拳を合わせた。
爆音。
処刑台全体が揺れる。
板が軋み、縄が激しく揺れた。
ルークとリアが思わず身をすくめる。
だが、押されない。
ユウヤの足は一歩も退いていなかった。
「……その程度か」
再生特化型がもう一方の腕を振るう。
ユウヤは半歩だけ身体をずらす。
そのまま懐へ潜り込んだ。
「焼き尽くせ――漆黒火炎の舞」
黒焔が弧を描いて噴き上がる。
腕。
胸。
肩。
顔。
再生特化型の全身へ、粘つくような黒焔が絡みついた。
肉が焼ける。
黒い瘴気が弾ける。
胸の中央が大きく抉れた。
だが。
抉れた肉の奥から、黒赤い筋がうねる。
ずるり、と肉が盛り上がる。
裂け目が閉じる。
「再生してる……!」
リアの声が震える。
ユウヤは冷たく嗤った。
「何度繕おうと無駄だ。再生が追いつかない程に焼き尽くし、灰へ還してやる」
再生特化型が咆哮した。
拳。
蹴り。
振り下ろし。
暴力だけを叩きつけるような連撃。
だが、ユウヤの方が上だった。
避ける。
捌く。
踏み込む。
一撃ごとに、再生特化型の肉が抉れる。
腕を折る。
肩を砕く。
首を半ばまで抉る。
それでも再生する。
だが、再生が僅かに遅れていく。
「気づいていないのか?」
ユウヤが低く言う。
「貴様は戻っているのではない。削れているのだ」
再生特化型の胸の中央。
脈打つ黒赤い筋が、最初より明らかに弱っている。
ユウヤはそこへ視線を固定した。
「そこか」
床を蹴る。
黒いコートが翻る。
ズボンのチェーンがジャラジャラ音を立てる。
再生特化型が迎え撃つように拳を振るう。
だが、ユウヤはその腕を外から弾き飛ばした。
懐が空く。
「終わりだ」
拳が胸へ突き刺さる。
「漆黒ブレイブパンチ!!」
どくん、と最後の脈動。
次の瞬間、黒焔が再生特化型の胸の奥で炸裂した。
腕。
肩。
胴。
顔。
全身へひびが走る。
黒い肉塊は二、三歩よろめいたあと、処刑台の上で崩れ落ちた。
そのまま燃え尽きるように、形を失っていく。
やがて、灰になった。
静寂。
処刑台に残ったのは、荒い息を吐くユウヤと、呆然と立ち尽くすルークとリア、そして――
「……っ、は……」
膝をつくセシルだった。
「セシル!」
リアが駆け寄ろうとする。
だが、その前にユウヤが処刑台の中央へ戻っていた。
セシルは板へ手をつき、なんとか倒れないようにしていた。
だが、目はもう危うい。
赤い。
揺れている。
首筋から頬へ、黒い筋が這い上がっていた。
もう、呼吸が人のものではない。
ユウヤはその肩を掴む。
「意識を手放すな!貴様はまだ、ここで潰えてよい存在ではない!」
セシルはゆっくりと顔を上げた。
そこには、まだ意識が残っている。
けれど、それが長く持たないことも分かる目だった。
「……もう、長くないです」
リアが小さく息を呑む。
「そんな……」
セシルは、かすかに首を振った。
「次に意識が切れたら……私は、戻れないでしょう」
黒い筋がまた一段濃くなる。
口元から黒い瘴気が漏れた。
「だから……」
喉が震える。
それでも、その言葉だけははっきり落ちた。
「その前に……私を、殺してください」
一瞬、処刑台の空気が凍る。
ルークが唇を噛む。
リアは首を振ることしかできない。
ユウヤは目を見開いたまま、何も言えなかった。
そして次の瞬間、その目が険しく細まる。
「戯けるな」
低く落ちた声は、さっきまでよりも重かった。
「我は貴様も救うために来た。ここまで辿り着いておきながら、そんな矮小な終焉を認めると思うか」
セシルの目が揺れる。
「でも……もう……」
「二度も言わせるな」
ユウヤの声が鋭くなる。
「貴様の死など、我が却下する」
セシルの呼吸がまた一段荒くなる。
黒い瘴気が喉の奥から零れた。
「早く……」
セシルが苦しそうに言う。
「お願い……します……」
ユウヤの手が震えた。
手段がない。
答えもない。
ただ、目の前に助けたい相手だけがいる。
「……忌々しい」
吐き捨てるように、ユウヤが言う。
「救いの道が皆無であるはずがない。貴様を奈落から引き剥がす術が、必ず存在するはずだ……!」
だが、ベルトは何も答えない。
視界の端にも、都合のいい表示は出ない。
遠くでは、まだ騎士団の怒声と戦う音が続いている。
レオルドたちが、街に散った実験体を片付けているのだろう。
けれど、ここには答えがない。
セシルの爪が板を引っ掻く。
黒い筋が、ついに顎の下まで這い上がった。
「……っ、あ……!」
その身体がびくりと跳ねる。
リアが泣きそうな声を上げた。
「ユウヤさん……!」
ルークも声を失っている。
ただ、拳だけを強く握っていた。
ユウヤは歯を食いしばる。
何かあるはずだ。
何か――
その時だった。
処刑台の空気が、音もなく変わった。
ユウヤの背筋が冷える。
反射で振り向く。
そこに、白い外套の男が立っていた。




