第78話「漆黒のヒーロー」
セシルは、腹から血を流しながら一歩踏み出した。
黒い瘴気が、口元から細く漏れる。
赤く染まった目が、まっすぐメルキオを射抜いていた。
ルークとリアを背に庇ったまま、なお前へ出る。
メルキオは、その姿を見てわずかに目を細めた。
「ほう……私に歯向かうつもりですか」
セシルは答えない。
喉の奥から、獣みたいな息だけが漏れる。
それでも足は止まらなかった。
処刑台の板を蹴る。
細い身体が、黒い瘴気を引きながら一直線にメルキオへ迫る。
「……っ!」
ユウヤが息を呑む。
速い。
さっきまで腹を刺されていた人間の動きじゃない。
セシルの爪が、メルキオの喉元を狙って走る。
だが届かない。
メルキオは、まるで最初から分かっていたみたいに後ろへ跳んだ。
白衣の裾だけがひらりと揺れる。
「私が相手をしてもいいのですが……」
着地と同時に、メルキオは静かに言った。
「それでは、じっくり観察できませんね」
次の瞬間。
処刑台の周囲に積まれていた木箱が、一斉に軋んだ。
ぎし。
ぎしぎし。
ばきん。
「……なに?」
ユウヤが反射的に振り向く。
木箱だけじゃない。
広場の隅に止められていた荷車。
布を掛けられていた檻。
見物台の下へ運び込まれていた大きな樽。
そのあちこちが、同時に蠢き始めていた。
「ついでに、彼らも試してみましょう」
メルキオが淡々と告げる。
次の瞬間、木板が内側から突き破られた。
飛び出してきたのは、人とも魔物ともつかない歪な何かだった。
腕が長すぎるもの、顔が崩れたもの、四つ足で這うもの。
どれも、生きているというより、壊れた肉を無理やり動かしているような気配だった。
「なんだ、こいつら……!」
誰かが叫ぶ。
そして、そいつらは騎士団へ向かわなかった。
真っ先に向かったのは――民衆だ。
「きゃああああっ!!」
「逃げろ!!」
「魔物だ!!」
悲鳴が爆発する。
広場のあちこちで人波が崩れる。
転ぶ子供。
押し倒される老人。
逃げ場を失った者たちへ、実験体が群れで飛びかかっていく。
「ちっ……!」
ユウヤが歯を食いしばる。
メルキオは、その様子を観察でもするみたいに眺めていた。
「邪魔が入るかと思って、あらかじめ備えておいたのですが……正解でしたね」
風がうねる。
レオルドだ。
処刑台と民衆を一瞬で見比べたその目が、鋭く細まった。
メルキオが、薄く笑う。
「いいのですか? 貴方が守るべき民が襲われていますよ?」
その言葉を聞いた瞬間、足元に転がっていた、レオルドから借りた剣が目に入る。
ユウヤは走ってそれを拾った。
「レオルド!!」
広場の向こうへ向かって、ユウヤは剣を思い切り投げた。
「使え!!」
銀の軌跡が夜気を裂く。
次の瞬間、剣が途中で風を纏った。
軌道がわずかに変わる。
「ええ。助かります!」
レオルドが片手でそれを掴んだ。
そのまま剣を振るい、実験体の一体を真っ二つに裂く。
「騎士団は民衆保護を優先してください! 急いで!」
その声が、広場へ鋭く響く。
「散開しろ! 市民を守れ!!」
騎士団長クリスの怒声も飛ぶ。
騎士たちが一斉に広場へ散る。
レオルドもまた、処刑台へ一瞬だけ視線を残して踵を返した。
「ユウヤさん!」
声だけが飛ぶ。
「こちらは私が抑えます! そちらを――!」
その言葉が終わる前に、レオルドはもう民衆の方へ飛び込んでいた。
一瞬で実験体の群れへ入り込み、一体の首を打ち抜く。
二体目を蹴り飛ばし、三体目を風でまとめて吹き飛ばす。
クリスも舌打ちしながらその後へ続いた。
「レオルド! 後で説明してもらうからな!」
「今は市民優先です、兄上!」
「わかっている!!」
怒鳴り合いながら、二人とも民衆側の実験体を斬り伏せていく。
処刑台に残ったのは、ユウヤ、セシル、ルーク、リア、そしてメルキオ。
……いや。
「せっかくです」
メルキオが、処刑台の裏手へ置かれていた黒布を掴む。
「とっておきを見せてあげましょう」
ばさり、と布が落ちた。
その下にいたのは、辛うじて人型を保った黒い異形だった。
片腕だけが異様に長い。
胸の中央には、黒赤い筋が脈打つように集まっている。
顔らしきものはあるが、目鼻立ちはほとんど崩れていた。
それでも、その肉の蠢き方だけが妙に“生きている”。
どくん。
どくん。
どくん。
気味の悪い鼓動が、処刑台の板まで震わせる。
さらに、もう一つ。
その隣の木箱が内側から弾け飛んだ。
飛び出してきたのは、細く歪んだ魔人もどきだった。
手足だけが異様に長い。
指先は鉤爪みたいに尖り、背中は不自然に反っている。
四つ足と二足の中間みたいな姿勢で、床を這うように動いていた。
ユウヤの背筋に、嫌悪が走る。
「……なんだよ、それ」
メルキオは平然と答えた。
「先程作り上げたばかりの実験体です。再生特化型と、速度特化型。そう認識していただければ十分ですよ。あなたの血は、実に面白い性質を持っていましたから」
セシルの赤い目が、わずかに揺れた。
「……ユウヤ様の……」
「ええ」
メルキオは頷く。
「毒に耐え、傷が塞がり、魔人化すら拒絶する。ならば、その生命力だけを抽出して使えばどうなるのか。興味が湧くのは当然でしょう?」
「てめえ……!」
ユウヤが低く吐き捨てる。
だがメルキオは意に介さない。
「さあ、行きなさい」
その声が落ちた瞬間、再生体の赤黒い目がぎょろりと動いた。
速度特化型の鉤爪も、ぎちりと鳴る。
だが、先に仕掛けたのはセシルだった。
「この子たちだけは……絶対に殺させない!」
次の瞬間。
セシルが凄まじい加速で再生体の懐へ入り、爪を胸へ叩き込む。
黒い肉が抉れ、黒赤い筋が露出する。
だが、抉れた肉の奥から黒い筋がうねる。
瞬く間に傷口が塞がっていく。
「……っ」
その間に速度特化型が回り込む。
狙いはセシルじゃない。
ルークとリアだ。
「させない!」
セシルは処刑台を蹴って身体ごと飛ぶ。
速度特化型へ横から蹴りを叩き込む。
鈍い音。
細い身体が吹き飛ぶ。
だが、処刑台の柱にぶつかってもすぐ起き上がる。
四つ足みたいな姿勢で着地し、そのまま爪を鳴らしてまたルークたちを狙った。
速い。
「くそっ……!」
ユウヤは執行役が落とした剣を掴む。
そのままリアの縄へ飛びついた。
「リア、じっとしてろ!」
刃を押し込み、縄を切る。
「ルーク、お前も手ぇ出せ! リアを台の端まで下げろ!」
「分かってる!」
ルークも残った縄に必死で手をかける。
その背後へ、速度特化型が一気に伸びた。
鉤爪がリアの首元を狙う。
「っ!!」
ユウヤは考えるより先に飛び出した。
剣を持ったまま体当たり。
「がっ……!」
速度特化型と一緒に、処刑台の床を転がる。
鉤爪が肩を掠め、熱い痛みが走った。
それでもユウヤは離さない。
「この野郎……!」
変身できなくても関係ない。
守ると約束した。
速度特化型が腕を振るう。
ユウヤは剣で受ける。
甲高い音が響き、刃が半ばから折れた。
そのまま胸を引っ掻かれ、血が飛び散る。
「ユウヤ様!」
セシルの声が飛ぶ。
だが、そっちはそっちで余裕がない。
再生体の正面から叩き込んだ腕を、セシルは両手で受けていた。
細い身体が沈む。
板が軋む。
そのまま追撃。
蹴り。
振り下ろし。
セシルは避ける。
爪で裂く。
首を抉る。
肩を裂く。
だが、再生体は何度でも回復する。
斬っても塞がる。
砕いても繋がる。
黒い瘴気ごと、ずるりと形を戻していく。
「再生……!」
ルークが息を呑む。
メルキオが満足そうに頷いた。
「……我ながら素晴らしい出来ですね」
セシルの肩が大きく揺れる。
腹の傷。
投与した薬の反動で、意識が薄れていく。
限界が近い。
それでもセシルは下がらない。
「……まだ……!」
再生体の喉元へ爪を刺す。
速度特化型の腕を爪で裂く。
背後へ回り込まれれば、振り返りざま蹴り飛ばす。
だが、速度特化型は素早すぎる。
再生体は硬すぎる。
一体でも厄介なのに、二体同時では息をつく暇すらない。
「っ……!」
速度特化型の爪が、セシルの脇腹を浅く裂いた。
そこへ再生体の拳。
避けきれない。
まともに受ける。
「がっ……!」
セシルの身体が浮き、そのまま処刑台の端へ叩きつけられた。
リアが悲鳴を上げる。
「セシルさん!」
それでもセシルは、すぐ立とうとする。
黒い瘴気がさらに濃くなる。
赤い目が揺れ、呼吸が獣みたいに荒くなる。
壊れそうだ。
それでも、ここで下がれば全部終わる。
「……まだ……終わらせない……!」
その言葉と同時に、セシルは再び踏み込んだ。
再生体の胸へ爪を突き立てる。
速度特化型が横から来る。
腕で受ける。
爪が肉へ食い込む。
血が散る。
ユウヤはふらつきながらも、リアの縄を解き終えた。
「リア、下がれ!」
「で、でも……!」
「ルーク! 連れてけ!」
「分かった!」
ルークがリアを抱くように引き寄せ、処刑台の端へ下がる。
その隙に、速度特化型がまた跳んだ。
狙いは今度こそルークだ。
「てめえっ!」
ユウヤは近くに転がっていた処刑台の支柱を掴んだ。
重い。
だが振るう。
横殴り。
支柱が速度特化型の脇腹へぶつかり、その細い身体を横へ吹き飛ばした。
「っ、が……!」
ユウヤの腕が痺れる。
肋も痛む。
息が苦しい。
それでも、前へ出る。
「ヒーロー舐めんじゃねえぞ……!」
メルキオの目が、わずかに細まる。
「まだ足掻きますか……」
「黙れ……!」
ユウヤが吐き捨てる。
だが、その一瞬の隙で再生体がセシルを押し込んだ。
拳。
膝。
組み付き。
セシルの細い身体が、じわじわと後ろへ押されていく。
速度特化型も立ち直る。
再びルークとリアを狙って回り込む。
セシルがそっちへ視線を切った、その瞬間。
再生体の拳が腹へ入った。
「っ、ぁ……!」
セシルの膝が落ちる。
速度特化型が一気に跳ぶ。
その爪がリアへ届きかけた瞬間、ユウヤが割り込んだ。
まともに受ける。
「ぐっ!!」
鉤爪が肩へ食い込む。
そのまま押し倒される。
処刑台の板に背中を打ちつけ、肺の空気が全部抜けた。
「ユウヤ様!!」
セシルが叫ぶ。
だが、その叫びの直後、再生体の腕が首元へ迫る。
避けられない。
両腕を交差して受け止める。
でも、力が足りない。
じわじわと押し込まれる。
「……っ」
視界が赤い。
息も苦しい。
薬の熱が内側を焼く。
それでも、セシルは下がらない。
これが最後の償いなのだから。
「……この子たちだけは……!」
再生体の腕が、さらに沈む。
速度特化型も、ユウヤを押さえつけたままリアの首元へ爪を寄せる。
ユウヤは歯を食いしばり、折れた剣の柄でその顔を何度も殴った。
一回。
二回。
三回。
だが止まらない。
「くそっ……!」
再生体の拳が振り上がる。
速度特化型の爪も振り下ろされる。
セシルは膝をついたまま、それでも前に立つ。
ユウヤも倒れたまま、リアへ届かせまいと腕を伸ばす。
処刑台の上が、完全に詰んだように見えた。
その瞬間。
カン。
乾いた音が、ユウヤの腰で鳴った。
一瞬、誰もが動きを止めた。
視界の端に、文字が弾ける。
『ブレイブドライバー:機能停止解除』
『観測されました』
『変身可能です』
ユウヤの目が、ゆっくり開く。
息を吐く。
「……遅せぇよ」
ユウヤは腕を振り上げた。
速度特化型の爪が、リアへ振り下ろされる。
「変身」
光が弾けた。
黒が身体を這い上がる。
ズボン。
コート。
グローブ。
ブーツ。
包帯。
そして、眼帯。
ユウヤは一瞬でその腕を振りほどき、懐へ潜り込んだ。
「遅いな」
漆黒の拳が、速度特化型の顔面へめり込んだ。
轟音。
細い身体がそのまま広場の石畳まで吹き飛ぶ。
次の瞬間、ユウヤは処刑台の中央へ踏み込んだ。
セシルの首を押さえ込んでいた再生体の腕を掴む。
そのまま無理やり引き剥がす。
「……っ!」
セシルの赤い目が揺れる。
ユウヤはその前へ立った。
「フッ……我が降り立った以上、絶望の幕はここで下りる」
再生体の赤黒い目が、ぎょろりとユウヤを捉える。
メルキオの表情が、初めてはっきりと変わった。
ユウヤは黒いコートを揺らしながら、ゆっくりと腕を広げる。
そして、再生体をまっすぐ指差した。
「我は漆黒の奈落を統べる、終焉の代行者……!
禁じられし黒焔の封印を解き、滅びの摂理すら捻じ曲げよう!
恐れるがいい、汝らの運命は既に我が掌の上だ!
我が名は、漆黒勇装・マスクドブレイブ!!」
カン。
『名乗り成功』
『身体能力強化:27倍(基礎)』
『名乗りボーナス:32倍(加算)』
『合計:身体能力強化 59倍』
ユウヤの名乗りが広場に響いた。
悲鳴と怒号で揺れていた空気が、一瞬だけ止まる。
泣き叫んでいた民衆すら、思わずそちらを見た。
勇者やレオルドのような眩い英雄じゃない。
胡散臭いほど漆黒のヒーローだ。
それでも、誰もが目を逸らせなかった。




