第72話「実験台」
目を開けた瞬間、冷たさが背中から染み込んだ。
石の台。
寝かされているというより――載せられている。
手首と足首は金属輪で固定され、短い鎖が台に繋がっていた。
指先が震えるだけで皮膚が擦れ、熱い。
「……っ」
喉が乾いて声が掠れる。
唾を飲み込むと、鉄の味がした。血の味だ。
白い魔石灯が、無機質に部屋を照らしている。
牢じゃない。色んな道具が並んでいる。
――実験室。
扉が開く音。
入ってきたのは、白衣めいた外套の男。
痩せた頬。温度のない目。
メルキオ。
後ろに黒外套が二人。器具を抱えた女が一人。
メルキオは台の上の俺を見下ろし、淡々と告げた。
「起きましたか」
「……てめぇ、メルキオ」
「ふむ……しばらく、あの力は使えないようですね」
言い方が、余計に腹立つ。
俺は腰へ意識を向けた。
返事はない。代わりに視界の端へ文字だけが浮かぶ。
『ブレイブドライバー:機能停止中』
『残り:22時間』
「……チッ」
メルキオが、わずかに口元を動かす。
「その腰帯も外して調べなければなりませんね」
腕を上げようとするが、鎖が鳴るだけでビクともしない。
メルキオは女へ指を向けた。
「投与」
女が注射針を近づける。先端が、嫌な色に濡れている。
「待て――」
抵抗しようにも、体は固定されている。
ちくり。
針が刺さった瞬間、冷たいものが血管を滑った。
熱じゃない。寒い。
内側が、ぬるい沼に沈むみたいに重くなる。
「……っ」
メルキオが目を細める。
「魔人化の誘導反応は――」
皮膚の下を黒い筋が走りかけた。
ぞわ、と鳥肌が立つ。
だが、黒い筋は途中で薄れ、何事もなかったように消えた。
「……やはり」
メルキオの声は落ち着いたまま。
「ヴァルトの言っていた通りですね。反応が消えていく」
「……は?」
俺が睨む。
メルキオは答えず、次の針を指示した。
「濃度を上げて」
女が別の瓶を開ける。
一滴で空気が沈むような“気配”。
「……おい」
言うより早く、二本目。三本目。
短い間隔で、立て続けに刺される。
体温が狂う。
内臓が浮くみたいに気持ち悪い。
黒い筋が、今度ははっきり腕を這った。
喉が熱くなり、目の奥がぎゅっと締まる。
「……っ、ぐ……!」
視界が滲む。舌が痺れる。
吐き気が喉元までせり上がる。
――だが。
十数秒。
黒い筋が、糸を引くようにほどけた。
熱も寒さも、吐き気も、じわじわ引いていく。
「……消えた」
黒外套の一人が思わず呟く。
メルキオは、ほんの少しだけ眉を動かした。
「回復でも修復でもない……なんだ……この魔力は」
小刀が差し出される。
「次」
「やめろ……!」
「やめません」
刃が腕に入った。
浅い。だが鋭い。
痛みが走り、血が滲む。
「っ……!」
メルキオはその傷を、じっと見続けた。
血が止まる。
皮膚の縁が寄る。
薄い膜が張って、傷が“無かったこと”になっていく。
――早い。
俺は思わず、昔の光景を思い出した。
グレンの治療院。
回復魔術師のシエラが、腰のベルトをじっと見て言った。
「そのベルト……微量の魔力が、ずっと流れているみたいです。その魔力が治癒を促進し続けています。だから生きてここまで来られたのでしょうね」
あの時から、治りが早いとは感じていた。
ベルトが強くなるたび、塞がり方も速くなってる気がした。
……だから、今も最初はそれだと思った。
(シエラの言ってた通り、か?)
でも。
(……いや、こんな速さ、促進どころじゃねえだろ)
俺は自分の腕を見て、言葉が止まった。
「……どうなってんだ」
メルキオの視線が腰へ落ちる。
「やはり“戻っている”……鍵は腰帯か……あるいは、あなた自身か」
女が記録板に書き込む。
黒外套が瓶を並べる。
メルキオは淡々と続けた。
「次。採血」
「……っ」
針が刺さる。
血が抜ける感覚が分かる。身体が少しずつ冷える。
一本で終わらない。
二本、三本。
瓶が赤で満ちていくたび、頭がぼうっとした。
「……おい、これ……」
息が浅くなる。視界の端が暗い。
メルキオは瓶を光に透かし、感情なく言う。
「良い。魔人化しない血。毒が通りにくい身体。異常な“復元”」
小刀が、また持ち上がる。
「次は――切断してみましょう」
ぞっとした。
言葉だけで胃が冷える。
本気でやる顔だった。
その瞬間、扉の外で控えめなノック。
黒外套の一人が扉を開け、顔だけを出す。
「……メルキオ様。セドリック様からの使者が来られています」
メルキオの目が、ほんのわずかに細くなる。
「後にしてください」
「引渡しの件ですので、すぐに終わるそうです」
「……仕方ないですね」
小刀が台に置かれた。
その動きが、逆に怖い。
俺は掠れた声を絞り出す。
「……誰を、引き渡す気だ」
メルキオは答えない。
代わりに女へ指を向けた。
「何かあってはいけませんからね。眠っていただきます」
「待――」
首元に針が刺さった。
世界が斜めになる。耳鳴り。胃が浮く。
瞼が重い。
「……っ、く……!」
手足が鉛みたいに動かない。
呼吸だけが、やけにうるさい。
メルキオの声が遠ざかる。
「続きは戻ってからです。――じっくり調べさせて頂きますよ」
扉が開く。足音が出ていく。
器具の音が消える。
部屋が静かになる。
(くそ……今、行かねえと……)
意識が落ちる直前。
――かすかに。
聞き覚えのある女の声がした気がした。
「……ユウヤ、さま」
それが本当に聞こえたのか、幻なのか。
それすら確かめられないまま、ユウヤの意識は、暗闇へ沈んだ。




