第71話「真封印解除」
怪物の腕が、なおもユウヤを押し潰そうと力を込める。
石床がひび割れ、腕の下で砕けていく。
交差させた両腕に、嫌な痛みが走った。
重い。
呼吸が削られる。肺が潰れる。
このままなら、先に骨がいく。
――だが。
右目を覆う眼帯だけが、逆に熱を増していた。
じり、じり。
焼けるような感覚。
まるで「今だ」と急かしてくる。
ユウヤの口が、ゆっくり開く。
「……我が右眼に刻まれし枷よ」
眼帯の奥で、何かが脈打つ。
怪物が咆哮する。圧が、さらに増す。
ユウヤの口元が、血を滲ませたまま歪んだ。
「今こそ砕けろ――真封印解除」
カン。
『漆黒の眼帯(真封印解除)を発動します』
『反転解放、開始』
『黒焔属性は氷獄属性へ反転強化されます』
その瞬間だった。
眼帯が弾けるように外れる。
露わになった右目は、青紫に淡く光っていた。
その光が広がるように、凍てつく冷気が全身を一気に駆け巡る。
熱ではない。逆だ。
骨の芯まで冷える温度――なのに、不思議と痛みだけが遠のいていく。
怪物の腕に触れていた部分から、白い霜が走った。
「……っ?」
怪物の赤い目が揺れる。
次の瞬間、ユウヤの身体から蒼白い冷気が爆ぜた。
怪物の腕を覆っていた黒い瘴気が、一瞬で凍りつく。
ばき、ばき、と嫌な音。
メルキオの声が、初めて露骨に乱れた。
「瘴気が……凍る?」
ユウヤは、そのまま下から両腕を押し上げる。
今までびくともしなかった巨腕が、凍った瘴気ごと軋みながら持ち上がった。
「馬鹿な……!」
ユウヤが立ち上がる。
砕けた床の穴から、ゆっくりと。
床へ転がった眼帯を踏み越え、青紫の右目だけが冷たく怪物を射抜いていた。
怪物が右腕を振り上げる。
振り下ろす。
ユウヤは動かない。
腕が届く寸前、蒼白い冷気の膜が広がった。
鈍い音。
怪物の腕が、そのまま空中で凍りつく。
「がっ……!?」
肘から先が、黒い瘴気ごと白く固まっていく。
筋肉の膨張も、魔石の脈動も、一瞬だけ止まった。
ユウヤの口が、勝手に調子づいていく。
「フッ……ようやく理解したか。貴様の“壁”など、凍土の前では無力だ」
床を蹴る。
速い。
さっきまでとは別物の加速。
一瞬で怪物の懐へ潜り込み、胸の前まで踏み込む。
瘴気が膨れ上がる。核を守るため、黒い壁のように広がる。
――だが、今度は違う。
蒼白い冷気が、それを先に固めた。
ぱき、ぱき、と乾いた音。
瘴気の壁が、氷の殻みたいに砕け散る。
「……砕けた!?」
メルキオの目が見開かれる。
ユウヤの拳が、真っ直ぐ突き込まれる。
「氷獄ブレイブパンチ!!」
今度は届いた。
瘴気を凍らせて“通した”。
怪物の巨体が大きくのけぞる。
「がぁああああっ!!」
追撃。
肘。膝。拳。
打ち込むたび、冷気が内部へ流れ込む。
胸の奥を走る黒い筋が、一本ずつ凍りついていった。
怪物が咆哮し、両腕を振り回す。
だが、振るうたびに腕が凍り、ひびが入り、動きが鈍る。
ユウヤはその合間を縫って跳び上がった。
怪物の肩へ着地。そこからさらに頭上へ。
「凍てよ――氷獄輪舞」
ユウヤを中心に、蒼白い冷気が円を描いて爆ぜる。
粘りつくような氷の霧が、怪物の全身へ一気に絡みついた。
腕。胸。肩。背中。
そして、瘴気そのものへ。
黒い瘴気が逃げる間もなく白く固まり、砕け落ちていく。
メルキオの顔から、とうとう余裕が消えた。
「止めなさい! 核まで凍れば――」
ユウヤは氷の嵐の中、見下ろす。
「どうした、ゴブリンの長よ。先ほどの暴威はその程度か」
怪物が暴れる。
だが動くほど、冷気は深く食い込み、関節が軋む。
胸の魔石の脈動すら、次第に鈍くなる。
ユウヤは肩から飛び降り、正面に着地した。
「前回は……よくも我を見せしめにしてくれたなぁ」
青紫の右目が、冷たく光る。
空中に、蒼白い“刃”が生まれた。
一本、二本、三本――次々と。
メルキオが息を呑む。
「氷を……武器に?」
「返礼だ」
ユウヤが指を払う。
氷剣が一斉に射出された。
腹へ。肩へ。脚へ。
刺さるたび、冷気が爆ぜ、瘴気ごと凍り固まる。
怪物がのけぞる。踏ん張れない。
「ならば――今宵は貴様が、凍獄の底で磔となれ」
さらに、氷槍。
右腕。左腕。脇腹。肩。
突き刺さるたび、動きが削がれ、黒い瘴気が白く割れて落ちた。
「やめろ! やめなさい!」
メルキオの声が裏返る。
ユウヤは聞かない。
最後に、胸の一点だけを見据える。
どくん、と足掻くように脈打つ核。
ユウヤの拳が引かれる。
「穿て――」
「氷獄ブレイブパンチ!!」
轟音。
拳が凍りついた瘴気の殻を粉砕し、核へ突き刺さった。
黒い魔石が、ひび割れる。
どくん。どくん。どく――
そこで鼓動が止まった。
次の瞬間。
蒼白い亀裂が、怪物の全身へ走る。
腕、肩、胴、顔。
黒い筋ごと、氷のひびが駆け抜けた。
怪物の巨体が崩れ、膝をつき――
粉々に砕け散った。
氷片と黒い瘴気が霧のように舞い、広間に静寂が落ちる。
ユウヤは息を吐き、鉄扉へ向かった。
「眠れる王子と王女よ。今、我が――」
そこで、広間の奥がぞろりと蠢く。
研究用の歪な魔物が、次々と現れた。
腕が長い。顔が崩れている。動きが不自然だ。
生きているというより、動かされている失敗作。
「実験体……!」
メルキオが後退しながら言う。
「研究区画に踏み込むということは、こういうことです。王を壊されるとは想定外でしたが……」
実験体が群れで飛びかかる。
だが、今のユウヤはハイになったままだ。
「跪け」
冷気が走る。
最前列が凍る。蹴り砕く。破片が散る。
右、左、後ろ。
来るたび凍る。触れた瞬間に崩れる。
圧倒――そのはずだった。
けれど、冷気がわずかに薄れた。
嫌な予感。
その直後、ウィンドウが弾けた。
『警告:発動限界時間 60秒』
『警告:終了後、強制変身解除されます』
『警告:反転反動により、24時間の変身不可状態へ移行します』
「もう60秒!? 短すぎんだろ!?」
次の瞬間、全身から一気に力が抜けた。
蒼白い冷気が霧散する。
装備がほどける。
青紫の右目の光も、すっと消える。
ユウヤは膝をついた。
「が……!」
肺が潰れたみたいに苦しい。
視界が揺れる。
指先ひとつ動かない。
メルキオが、静かに息を吐く。
「……どうやら時間制限があったようですね」
口元が、薄く歪む。
「圧倒的でしたが、永続しない力だった。ええ、十分です。十分に観察できました」
実験体が一斉に飛びかかった。
今のユウヤには迎え撃てない。
腕で顔を庇う。
衝撃。爪。牙。重み。
一体なら払えた。二体でも何とかなった。
だが三、四、五と重なれば無理だ。
肩を噛まれる。腕を引かれる。背中へ圧がのしかかる。
黒い外套の男たち――メルキオの配下が現れる。
「確保しろ」
メルキオの声。
「彼は研究室へ。王子と王女はそのまま別室に」
ユウヤは最後の力で手を伸ばした。
鉄扉まで、ほんの少し。
だが、その手は途中で止められる。
背後から押さえ込まれ、腕を捻られ、喉元へ刃が当たる。
「離せ……!」
声は掠れていた。
メルキオが砕けたキングの残骸を一瞥し、ユウヤへ視線を戻す。
「いい研究材料が手に入りました」
意識が遠のく。
鉄扉の向こう――ルークとリアがいるはずの場所だけが、やけに遠い。
そこで、後頭部に強い衝撃が走った。
視界が揺れ、膝が完全に落ちる。
最後に見えたのは、氷片の霧と、なお立っているメルキオの影。
そして、ユウヤの意識は、ルークとリアに届かないまま闇へ沈んだ。




