第65話「守る者」
ユウヤはギルドの奥へ、まっすぐ進んだ。
「ゆ、ユウヤ様!?」
受付の女が慌てて立ち上がる。
「ちょっ、ちょっと待ってください」
「ヘルガは奥だな」
「え、あ……はい、ですが……!」
返事を聞いた瞬間には、もう足を止めていなかった。
廊下を曲がる。
すれ違った治療師が、肩口の血に気づいて目を見開く。
だが、呼び止める声も無視した。
今は一秒でも惜しい。
作戦室の扉を開ける。
中では、ヘルガが机に報告書を広げていた。
その向かいで、今まさに椅子へ腰を下ろしかけていたレオルドが顔を上げる。
外套は裂け、頬には浅い傷が走っている。
どう見ても、戻ったばかりだった。
「ユウヤ」
レオルドの目がわずかに細くなる。
ヘルガも顔を上げ、すぐに眉をひそめた。
「何だい、今度はあんたか……」
「不味いことになった」
ユウヤは即座に言った。
「ルークとリアがいない」
その一言で、部屋の空気が止まる。
レオルドがゆっくり立ち上がった。
「いない、とは」
「セシルが二人を先に避難させた。でも、そのまま三人とも消えちまった」
ヘルガの顔つきが変わる。
「詳しく話しな」
ユウヤは短く息を吐いて、店で聞いたことを一気に話した。
外が騒がしくなったこと。
セシルが二人を連れて先に出たこと。
エマたちが追えなかったこと。
落ち着いてから探しても、三人とも見つからなかったこと。
話し終えたあと、しばらく誰も口を開かなかった。
最初に沈黙を破ったのはユウヤだった。
「……ルークとリアは王族だ」
ヘルガの眉がぴくりと動いた。
「……なんだと?」
「狙われてるってのもあって、誰にも言わねえようにしてたんだ」
レオルドが少しだけ目を見開く。
「つまり、王族というのは王の家族ということですか……」
「そこからかい……」
ヘルガが額を押さえる。
「第三王子と王女だよ」
「なるほど」
レオルドは真面目に頷いた。
「では、かなり狙われやすい立場ということですね」
「ああ」
ユウヤは頷いた。
「前にも蛇架に狙われていた。だから保護してたんだ」
ヘルガはそこで腕を組み、少しだけ視線を落とした。
「……王位継承権絡みか」
部屋の空気がわずかに張る。
ユウヤが眉をひそめる。
「知ってるのか?」
「まあね」
ヘルガは低く返す。
「第三王子と王女。しかも前にも蛇架に狙われた。その上で、今夜の王都襲撃のどさくさで消えた」
机を指先で叩く。
「街を荒らすだけが目的なら、こんな回りくどいことはしない。今回の件は、もしかするとその二人を攫うための襲撃だったのかもしれないね」
レオルドの目が細くなる。
「王族内部に手引きがある、と」
「断定はしないさ」
ヘルガは低く返す。
「ただ、第二王子の黒い噂なら前からある。表じゃ温厚で通してるが、裏じゃ妙な連中と繋がってるって話だ」
ユウヤが顔を上げる。
「そういや、ルークが第二王子のセドリックに狙われてるって言ってたな」
「はぁ……かなり不味いな」
ヘルガはそこで少しだけ目を細めた。
「今この状況で騎士団に復旧優先の圧をかけてるのも第二王子だ。王城側の地下に繋がる場所が絡むなら、笑い話じゃ済まない」
そのまま机の上の紙束をかき分け、一枚を引き抜く。
「こっちでも気になる報告がある」
紙を机に広げた。
「西の旧水路口だ。混乱の中、女が子供二人を連れて地下側へ入っていくのを見た者がいる」
「地下……」
ユウヤの声が低くなる。
ヘルガが頷く。
「旧水路口の先は、王都地下の古い通路に繋がってる。古い搬入口、避難路、使われなくなった地下牢……いろいろあるさ」
そして、少しだけ言葉を切った。
「一部は王城側の管理区画にもな」
その一言で、部屋の空気がさらに重くなる。
ただの隠れ家じゃない。
下手に踏み込めば、それだけで厄介ごとになる場所だ。
「今すぐ行く」
ユウヤは即座に言った。
レオルドが一歩前に出る。
「私も行きます」
迷いのない声だった。
ユウヤはレオルドを見る。
そして首を振った。
「いや、お前は残れ」
「なぜです」
ユウヤは一度、言葉を探すように黙ってから口を開いた。
「俺はさっき、蛇架の第九席ヴァルトって魔人と戦った」
ヘルガの目つきが変わる。
「……第九席?」
「ああ。普通のハンターが勝てる相手じゃない。しかも、ああいうのがまだ何体もいるかもしれねえ」
ユウヤはレオルドを真っ直ぐ見た。
「また来るかもしれない。だから、お前は王都を守ってくれ」
レオルドは少しだけ考えるように黙り、それから口を開いた。
「……私も先程、第二席のグラムという魔人と戦いました。もう一体は……たしか、第五席の…… 少し忘れましたが、グラムという魔人は倒しました。もう一体は逃げられました」
「……マジかよ」
思わず漏れる。
第二席って……。
どう考えても、俺が戦ったヴァルトより上だろ。
それを倒して戻ってきたのかよ。
「お前、ほんと何なんだよ……」
ヘルガが額を押さえた。
「お前ら……そういう報告は先にしろよ……」
ユウヤが顔をしかめる。
「今しただろ」
「順番ってもんがあるだろうが!」
吐き捨てるように言ってから、ヘルガはすぐ真顔に戻った。
「だが、話は分かった。今夜の相手は、ただの残党じゃない」
レオルドが静かに言う。
「なら、なおさら私が行くべきです」
だが、ヘルガはすぐに切った。
「ダメだね」
レオルドが真っ直ぐ見返す。
「なぜです」
「本気で聞いてんのかい」
ヘルガは腕を組んだ。
「お前はアルヴェイン侯爵家の次男だ。兄は騎士団長。そんなお前が、証拠もないまま王城側の地下に踏み込んだらどうなる?」
レオルドは黙る。
ヘルガはさらに言う。
「お前一人の問題じゃ済まない。家も兄も、騎士団ごと巻き込む火種になる」
「それでも行きます」
レオルドは即答した。
「友が困っている。それに、弱き者を助けないのは、私の信念に反します」
その声は真っ直ぐだった。
迷いも、飾りもない。
ヘルガは一瞬だけ黙り、それから低く返す。
「その信念で王都が割れたら元も子もないんだよ」
レオルドの拳が、わずかに握られた。
「ですが――」
「俺に任せてくれ」
ユウヤが遮った。
レオルドがこっちを見る。
「お前は王都内を頼む」
「ユウヤ」
「お前の気持ちは嬉しい。でもな、あいつらは俺が守るって決めて引き取ったんだ」
ユウヤは一歩も引かなかった。
「それで、お前に頼ったらカッコつかねえだろ? それにうちの店もある。王都ん中は、お前が見てろ」
レオルドはすぐには答えない。
「私が行った方が、確実です」
「そうかもな」
ユウヤは頷いた。
「でも、お前が残って王都の人たちを守ってくれた方が安心なんだ」
ヘルガも続ける。
「騎士団は今、上から街の復旧を最優先にしろって圧をかけられてる。お前が勝手に王城側へ踏み込めば、それを口実に全部押さえ込まれる可能性もある」
レオルドは黙ったままユウヤを見る。
ユウヤは正面から返した。
「絶対に取り返して戻る。だから、お前はここを守れ」
しばらく、沈黙が落ちた。
部屋の外ではまだ怒鳴り声と足音が飛び交っている。
その全部を押さえ込むように、レオルドがゆっくり息を吐いた。
「……必ず、連れて帰ってきてください」
「当たり前だ」
即答だった。
ヘルガが机を指で叩く。
「決まりだね」
地図を引き寄せる。
「ユウヤは単独で潜る。こっちは王都内の復旧対応を続ける。騎士団は上から縛られてる。だから大っぴらには動かせない」
「その代わり、あたしの信用できるハンターを何人かだけ、西の旧水路口周辺に回す」
「何をするんだ?」
ユウヤが聞く。
「見張りと人払いだよ。崩落の危険があるって触れ回って、一般人も騎士も近づけさせない。派手にはやれない。けど、お前が潜る隙くらいは作ってやる」
ヘルガは地図の一角を指で叩いた。
「旧水路口はここだ。今は半分潰れてるが、完全には塞がってない。地下へ入れば一本道じゃない。古い通路が入り組んでる」
「目印は?」
「壁の刻印だ。三本線が主路、円が倉庫区画、逆三角が旧牢区画。古い印だから、消えかけてるのもある。見落とすな」
ユウヤは地図を睨む。
「見張りは?」
「いるだろうね。相手が本当にそこを使ってるなら、入口付近はまず間違いなく立ってる」
「分かった」
正面から暴れれば終わる話じゃない。
静かに入って、見つけて、取り返して、戻る。
必要なのは、迷っている時間じゃない。
「じゃあ、行ってくる」
ユウヤがそう言うと、ヘルガが片眉を上げた。
「今すぐかい」
「時間がねえ」
即答だった。
「向こうが連れ去ったばかりなら、まだ動いてる途中かもしれねえ。止まって考えてる時間の方が惜しい」
ヘルガは数秒だけ黙って、それから低く息を吐く。
「……そうだね。なら、こっちも今すぐ動くよ」
ユウヤとヘルガはほぼ同時に踵を返した。
ギルド長室の扉を開け、廊下へ出る。
外は相変わらず騒然としていた。
負傷者のうめき声。
報告を飛ばす声。
走る足音。
その中で、ヘルガが近くにいたハンターを鋭く呼び止める。
「おい、あんたら!」
壁際で報告をまとめていたハンターが三人、はっと顔を上げた。
「旧水路口へ先行しな。崩落の危険ありで人払い。一般人も騎士見習いも近づけるんじゃないよ」
「はっ?」
一人が目を瞬かせる。
ヘルガは間髪入れずに続けた。
「信用できる奴だけで押さえろ。入口の奥に動きがあればすぐ把握しな。ただし、余計な戦闘はするんじゃない。見張りと封鎖だけだ」
三人の顔つきが変わる。
「……了解!」
「すぐ向かいます!」
ハンターたちは即座に駆け出す。
それを見送ってから、ヘルガはユウヤを見た。
「先に入口を押さえさせる。数分遅れるが、その方がまだマシだ」
「ああ」
ユウヤは頷く。
ヘルガが最後に低く言う。
「ユウヤ。あんたはあいつらが着いたらすぐ潜りな。旧水路口の周りだけは、こっちで何とかしてやる」
「助かる」
短く返す。
その時、後ろからレオルドの声が飛んだ。
「ユウヤ」
振り向く。
レオルドはギルド長室の入口に立ち、真っ直ぐこっちを見ていた。
「王都は、私が守ります」
短い言葉。
でも、それで十分だった。
「ああ」
ユウヤも短く返す。
「頼んだ」
次の瞬間には、もう走り出していた。
先に向かったハンターたちの背を追うように、西へ向かう。
ルークとリアを取り戻す。
そのために、今すぐ動く。
夜は、まだ終わっていない。




