第63話「魔核」
東側の夜気が、張り詰めたまま止まっていた。
緑の闘気を纏ったレオルドと、黒い闘気を纏ったグラム。
その間にある石畳は、すでに何度も抉れ、砕け、元の形を失っている。
グラムは血を口元に滲ませながら、それでも槍を離さなかった。
穂先だけは、なお真っ直ぐレオルドを捉えている。
レオルドは静かに剣を構えた。
「終わらせます」
その声は、さっきまでと何も変わらない。
グラムは答えない。
答える代わりに、槍を握る手へ力を込めた。
次の瞬間、両者が同時に踏み込む。
ギィンッ!!
剣と槍がぶつかる。
火花ではなく、衝撃そのものが弾ける。
周囲の砂が吹き上がり、壊れた露店の板が揺れた。
グラムが押し込む。
黒い闘気が穂先へ集まり、ただ一点――喉だけを穿つための突きが伸びる。
レオルドはそれを半身で受け流し、そのまま剣を返した。
斬り上げ。
返しの薙ぎ。
間髪入れない三撃目。
グラムは二つを槍で防ぐ。
だが三つ目を捌ききれず、肩口を浅く裂かれた。
「っ……!」
それでも止まらない。
槍が唸る。
石突きが腹を狙い、返しの穂先が目を突く。
レオルドは身体を捻り、肘で逸らし、踏み込む。
緑の闘気が風を巻く。
グラムの槍が速いなら、レオルドの剣は速く重かった。
一撃ごとに、押し込まれるのはグラムの方になっていく。
「……ぐっ」
ついに、グラムの足が石畳を削った。
見ていたハンターたちが息を呑む。
「ほとんど見えねえ……」
「どうなってんだ……!」
グラムは踏みとどまる。
だが、その時点でもう勝敗は傾いていた。
レオルドが一歩踏み込む。
グラムが迎え撃つ。
槍が突き出される。
レオルドはそれを剣で外へ弾き、空いた懐へ潜り込んだ。
「な――」
次の瞬間、剣が腹を貫いた。
「がっ……!」
グラムの口から大量に血が流れる。
剣を引き抜き、さらに追撃。
返す一振り。
グラムは咄嗟に槍を立てる。
だが、遅い。
斬撃が走る。
血が散る。
次の瞬間、グラムの右腕が槍ごと宙を舞った。
「――っ!!」
周囲が凍りつく。
石畳へ、槍と腕が同時に落ちる。
グラムがよろめく。
それでも左手で無理やり距離を取ろうとする。
レオルドは追う。
「これで終わりです」
一歩。
半歩。
逃がさない。
返す二撃目。
今度は左から右へ、迷いなく薙いだ。
「ぐあっ……!」
左腕も、肘の上から断ち切られる。
黒い外套が裂け、血が石畳へ散る。
グラムの身体が膝から崩れ落ちた。
もう槍は持てない。
もう構えられない。
完全な戦闘不能だった。
近くで見ていた若いハンターが、青ざめた声を漏らす。
「容赦ねえ……」
年嵩のハンターが低く呟く。
「……当然だろ。何人殺されたか分からねえ」
レオルドは剣先を、血を流すグラムの喉元へ向ける。
表情は変わらない。
「これで、貴方は誰も殺せません」
淡々とした声だった。
「それで十分です」
グラムは荒く息を吐く。
膝をついたまま、血を流し続けている。
それでも、その目だけはまだ死んでいなかった。
石畳に立ち尽くしていたガルスが、顔を引きつらせた。
「嘘だろ」
レオルドは視線だけでガルスを見る。
「次は貴方です」
その一言で、ガルスの背筋が総毛立つ。
逃げなければ死ぬ。
本能が叫ぶ。
だが、その前にグラムが低く言った。
「ガルス」
ガルスが歯を食いしばる。
「……何だよ」
グラムの声は低いまま、やけに静かだった。
「次は自分の尻は自分で拭けよ」
「は……?」
ガルスが目を見開く。
その言葉の意味を理解するより先に、グラムは続けた。
「逃げろ」
短い一言。
「今すぐだ」
「っ……ふざけんなよ!」
「命令だ」
それだけだった。
叫び返す余地すらない、冷たい声だった。
ガルスの顔が歪む。
悔しさ。
怒り。
恐怖。
全部が混ざった顔だった。
それでも最後に勝ったのは、生存本能だった。
「……っ、クソが!!」
血を撒きながら、ガルスが屋根へ飛び上がる。
若いハンターが叫ぶ。
「逃げるぞ!!」
レオルドが一歩踏み出す。
だが、その瞬間。
グラムの胸元が、黒く脈打った。
砕けるような音と共に、内側から激しい光が漏れ出す。
「――離れてください!!」
レオルドの声が、初めて強く響く。
ハンターたちが息を呑む。
「え――」
「伏せろ!!」
年嵩のハンターが怒鳴る。
だが、もう遅い。
魔核。
グラムが自らの魔核を砕いたのだ。
「っ……!」
レオルドが咄嗟に剣を薙ぐ。
緑の闘気が風を巻き、前方へ壁のように広がる。
その直後。
爆ぜた。
ドォンッ!!
黒い瘴気と衝撃が、一気に東通りを呑み込む。
石畳が抉れ、瓦礫が吹き飛び、残骸が宙を舞う。
騎士たちが地面へ伏せ、ハンターたちが顔を庇う。
レオルドは真正面からそれを受け止めた。
緑の風が黒い瘴気を裂く。
だが衝撃までは殺しきれない。
「くっ……!」
外套がはためき、足元の石畳がさらに砕ける。
黒煙が、東通りを覆い尽くした。
「まずい!!」
「伏せろ!」
煙の中から声だけが返る。
やがて、風が吹く。
黒い煙が裂ける。
そこに残っていたのは、抉れた石畳と、吹き飛んだ残骸と、
もはや人の形を半分失った、グラムの骸だけだった。
年嵩のハンターが、呆然と呟く。
「……自爆、したのか」
「情報を渡さないために……」
レオルドは無言で屋根の方を見る。
もう、ガルスの姿はない。
逃げられた。
若いハンターが悔しそうに叫ぶ。
「追いますか!?」
レオルドは短く首を振る。
「今は無理です」
「ですが――」
「ここを立て直す方が先です」
淡々とした声だった。
それで十分だった。
ハンターたちは我に返る。
負傷者。
巻き込まれた騎士。
吹き飛んだ瓦礫。
まだ処理しきれていない魔人の残骸。
やることはいくらでもあった。
年嵩のハンターが、グラムの骸を見下ろす。
「……結局、何もわからないままだったな」
レオルドは短く答える。
「敵は、かなり手強いです」
「……それはそうだろ……」
その呟きに、誰も返さなかった。
レオルドは剣を下ろす。
緑の闘気が、ゆっくりと薄れていく。
外套の裾が静まり、風が収まる。
若いハンターが、まだ青ざめた顔のまま近づいてくる。
「た、助かりました……」
レオルドは振り返る。
「助かったのなら、よかったです」
真面目な声だった。
若いハンターは一瞬きょとんとして、それから深く頭を下げた。
「……はい!」
その返事に、東側の空気がようやく少しだけ緩む。
だが、終わったわけではない。
第五席のガルスは逃げた。
第二席のグラムは自ら口を塞いだ。
蛇架が何をしようとしているのか、まだ何も分からない。
レオルドは、抉れた石畳の先――ガルスが消えた夜の向こうを見た。
「逃げたということは、また来ます」
「いや、そりゃそうだろ……」
年嵩のハンターが反射でツッコむ。
今度は、何人かが小さく笑った。
東側の地獄は、ようやく一息ついた。
けれど、王都の夜はまだ終わっていない。
血と瘴気の臭いだけが、変わらず東通りに残っていた。




