第62話「緑の軌跡」
東の通りに残っているのは、瘴気の臭いと、壊れた屋台と、倒れた魔人の残骸。
そして、剣を構えたレオルドと、槍を構えたグラムだけだった。
先に動いたのは、グラムだった。
何の前触れもなく、槍が消える。
いや、消えたように見えただけだ。
次の瞬間には、穂先がレオルドの喉元へ迫っていた。
ギィンッ!!
レオルドの剣がそれを受ける。
だが、前の一撃とは重さが違った。
鈍い音と共に、レオルドの足が石畳を削る。
「……っ」
一歩。
半歩。
押される。
近くで見ていたハンターの一人が、息を呑んだ。
「レオルド様が押されてる……?」
グラムは表情を変えない。
槍を引き、また突く。
フェイントを入れ、薙ぎ払う。
胸。
脇腹。
返しで膝。
ひたすら正確だった。
速いだけじゃない。
最短で殺すためだけに磨かれた軌道だ。
レオルドは半歩でかわし、剣で流し、柄を肘で叩いて逸らす。
だが、それでも次が来る。
突き。
払い。
石突き。
返しの突き。
止まらない。
グラムの周囲に、黒いオーラが滲んだ。
空気が裂ける。
「瘴気じゃない……まさか、闘気……!」
近くにいるハンターが思わず叫ぶ。
レオルドは槍を受け流しながら、静かに言った。
「魔人も闘気が使えるのですね……」
「……魔人、か」
グラムの声は低い。
「強さを求めた結果とはいえ、嫌な響きだ」
答える代わりに、槍がさらに鋭くなる。
一撃。
ただの突きなのに、夜気が真っ二つに割れたように見えた。
レオルドが剣を立てる。
受ける。
ギィンッ!!
重い。
今までの槍が「速い」なら、これは「貫く」ための槍だった。
レオルドの身体が後ろへ滑る。
「レオルド様!」
騎士の声が上がる。
槍がまた来る。
袈裟に払ってからの石突き。
レオルドは剣で払う。
だが、石突きが肩口をかすめた。
外套が裂ける。
「っ……」
ほんのわずか。
それでもグラムは逃さない。
さらに踏み込む。
槍の連撃が、完全にレオルドを押し込みに来ていた。
石畳が砕ける。
露店の残骸が吹き飛ぶ。
近くに残っていたハンターたちが、思わず後ずさる。
石突き。
払う。
突き。
返し。
レオルドは全部いなしている。
だが、押し込まれていることも事実だった。
その最中、レオルドがふと呟いた。
「私と打ち合っても壊れないということは……よい槍ですね」
「何を言っている」
初めて、グラムの眉がわずかに動く。
レオルドは本気で感心したように、槍先を見ていた。
「よい武器は、よいということです」
「舐めているのか?」
「……味がするのですか?」
そう言った直後、レオルドが一度だけ大きく剣を払った。
グラムの槍を弾き、わずかに間合いが空く。
レオルドは後ろにいるハンターたちへ、視線も向けずに言った。
「離れてください」
落ち着いた声だった。
「え……?」
若いハンターが目を瞬かせる。
「早く」
短い一言。
だが、その声には逆らえない何かがあった。
「だっ、だが……」
「巻き込みます」
その一言で、空気が変わった。
年嵩のハンターが顔色を変える。
「下がれ! 全員もっと離れろ!!」
騎士たちも一斉に後退を始める。
倒れた露店の陰にいた者まで、慌てて路地へ走る。
石畳に倒れたままのガルスが、血を吐きながら笑った。
「……はっ」
かすれた笑いだった。
「今まで、まだ本気じゃなかったってか……?」
グラムは答えない。
だが、視線がほんのわずかに鋭くなる。
その時、通りの奥から騎士の声が飛んだ。
「東通りの避難、完了しました!」
「残っていた民も全員退避済みです!」
グラムの目が細くなる。
石畳に転がるガルスへ、小さな瓶を投げた。
ガルスが片手でそれを受け取る。
「飲め」
「……何だよ、これ」
「回復薬だ。飲め」
ガルスが顔をしかめる。
「お前はどうすんだ」
グラムの視線はレオルドから外れない。
「俺が食い止める」
「は?」
「ここて二人潰れる意味はない」
声は低いままだった。
「逃げろ、ガルス。これ以上ここにいると死ぬ」
ガルスが歯を食いしばる。
悔しさと恐怖が、顔にそのまま出ていた。
「……っ、クソが」
それでも小瓶の栓を噛み切り、中身を飲み干す。
グラムはもう振り向きもしない。
その視線の先で、レオルドの足元に風が集まり始めていた。
最初は、かすかな揺らぎだった。
だが次の瞬間。
吹き上がる。
緑の光。
いや、光ではない。
闘気。
それなのに、ただの闘気ではなかった。
風のように揺らぎ、炎のように立ち上がり、淡い粒子を散らしながら、緑のオーラがレオルドの全身から噴き上がった。
外套の裾が大きくはためく。
石畳の砂が舞う。
空気が震える。
近くまで下がっていたハンターの一人が、目を見開いた。
「なんだ……あの闘気……」
「いや、違う……」
年嵩のハンターが、息を呑んだまま呟く。
「あれは、勇者の……」
騎士の一人が青ざめた顔で漏らす。
「まさか……勇者の血か……」
誰かがそう言った瞬間、場の空気がまた一段、張り詰めた。
グラムの目が、ほんのわずかに細くなる。
「……勇者なのか」
レオルドが剣を静かに構え直す。
その緑のオーラは、暴れるようでいて、本人の周囲だけは妙に静かだった。
「勇者ではありません。聖剣は彼女を選びましたので」
ガルスが血を吐きながら笑った。
「はっ……くく……マジでなんなんだよ、お前……」
レオルドは答えない。
ただ、グラムだけを見ていた。
グラムも槍を静かに持ち上げる。
黒い闘気が穂先へ集まり、夜気が軋む。
「……来るか」
「ええ」
次の瞬間、両者が同時に消えた。
爆音。
石畳の中央で、剣と槍が激突する。
ギィンッ!!
今までとは別格だった。
衝撃だけで、割れた露店の板が宙へ跳ねる。
風圧で近くの布切れが吹き飛ぶ。
グラムが押し込む。
黒い闘気を纏った槍が、レオルドの肩口を狙う。
レオルドはそれを剣で受け流し、そのまま緑の軌跡を引いて踏み込む。
速い。
さっきまでのレオルドとは、別物だった。
グラムが初めて半歩引く。
そこへレオルドの二撃目。
下から斬り上げる。
グラムは槍の柄で受ける。
だが、受けきれない。
身体ごと後ろへ弾かれる。
「……っ!」
石畳に深い溝が走る。
グラムは槍を回し、体勢を立て直す。
だが次の瞬間には、レオルドがもう目の前にいた。
三連撃。
袈裟。
返し。
薙ぎ払い。
グラムは二つを受け、一つを身体を捻ってかわす。
それでも頬が裂け、血が飛ぶ。
「っ……!」
初めて、グラムの呼吸が乱れた。
レオルドは止まらない。
踏み込むたび、緑のオーラが風を巻く。
剣圧だけで、地面の砂が弾ける。
グラムが槍を突き出す。
喉を狙った渾身の一撃。
レオルドはそれを半身でかわし、そのまま槍の柄を掴んだ。
「な――」
一気に間合いを潰す。
レオルドの膝が、グラムの腹へ突き刺さる。
「がっ……!」
グラムの身体がくの字に折れる。
そこへ、返す一振り。
槍の柄ごと弾き飛ばされ、グラムの身体が石畳へ叩きつけられた。
鈍い音。
周囲が静まり返る。
ガルスが、回復薬で無理やり立ち上がりかけていた身体を止める。
「……おい」
今度こそ、本気で顔色が悪い。
「嘘だろ」
グラムが咳き込みながら起き上がる。
血が口元を伝う。
それでも槍は離さない。
穂先だけは、まだ真っ直ぐレオルドの喉を捉えていた。
「……逃げろ、ガルス。今すぐだ」
レオルドは緑の闘気を纏ったまま、静かに剣先を下ろした。
「終わらせます」
その声は、さっきまでと何も変わらなかった。
東側の夜気が、さらに張り詰めた。




