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異世界でフルチンだった件 ~脱変態を目指したら英雄になっていた~  作者: 白峰レイ


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第58話「幻蛇」

南側へ近づくにつれて、悲鳴と怒号が大きくなっていく。


石畳を蹴る。

夜風が頬を打つ。

角を一つ、二つ曲がったところで、見慣れた通りの先に混乱が見えた。


店先が倒れている。

荷車が横転している。

逃げ惑う人、人、人。

その真ん中で、黒ずんだ身体の化け物が暴れていた。


「……っ!」


反射的に足が速くなる。


視界の端で、旨味亭ブレイブの看板が見えた。

扉は閉まっている。

表から見た限りでは、店そのものはまだ無事だ。


だが、安心する暇なんてなかった。


その時、暴れていた魔人もどきの一体がこっちを向く。

さらに、通りの奥――倒れた屋台の屋根の上に立つ黒い影が、わずかに口元を歪めた。


カン。


『観測されました』

『変身可能です』


「来たか……!」


「変身!」


光が弾ける。


黒が身体を這い上がる。

脚。

腰。

腕。

足先。


グローブ。

ブーツ。

やたらとチェーンが付いたダメージズボン。

そして、前の閉まらない袖なしロングコート。

夜風で上半身が寒い。


「だから、せめて前閉まれってんだよ!!」


叫びながら、飛びかかってきた魔人もどきの顔面へ拳を叩き込む。


「漆黒ブレイブパンチ!!」


黒いグローブが鈍く光り、魔人もどきの首が跳ね上がる。

さらに踏み込んで、もう一体へ蹴り。


「漆黒ブレイブキック!!」


脇腹をえぐられた魔人もどきが吹っ飛び、露店の残骸へ突っ込んだ。


「立てる奴は走れ!! 路地へ入れ!!」


怒鳴りながら、俺は通りの先を見る。


いた。


屋根の上に、黒ずんだ肌の男が一人。

魔人もどきとは違う。

身体は人の形を保ち、目にははっきり理性がある。

仕立ての執事服も着ている。


右手には細身の短剣。

左手には、細い針のようなものが何本も挟まっていた。


「……お前か」


俺が睨むと、そいつは楽しそうに目を細めた。


「おや。本当に来ましたねえ。マスクドブレイブさん」


声まで普通だ。

普通すぎるのが逆に気味悪い。


「なかなか、個性的な格好ですねえ」


「うるせえ」


「でも、思ったより弱そうだ」


その言葉と同時に、そいつの指が弾けた。


針が、八本ほど人混みへ飛ぶ。


「っ!?」


速い。


咄嗟に二本は叩き落とした。

だが、全部は無理だった。


「がっ……!」

「ひっ……!?」

「う、あ……っ!」


刺さった。


逃げ惑っていた市民の肩や腕、首筋に、細い針が突き刺さる。


「おい、大丈夫か!!」


駆け寄ろうとした瞬間、刺された六人の身体がびくりと跳ねた。


「う、あ……ああああああっ!!」

「が、ぁああああっ!!」

「や、やめ――ああああっ!!」


首筋から黒い筋が走る。

腕が膨れ、骨が歪み、肉が無理やり変形していく。


「……っ、クソが!」


一瞬で六人が魔人もどきになった。


路地裏で見たやつより、さらに歪だ。

理性もなく、ただ暴力だけを振りまく出来損ない。


そいつらは目の前の人間へ飛びかかった。


「こっちだ!!」


俺は無理やり割り込む。


拳を振るう。


「漆黒ブレイブパンチ!!」


一体の顔面が潰れるように歪み、そのまま吹っ飛ぶ。

すぐに反転して、二体目へ蹴り。


「漆黒ブレイブキック!!」


膝を折り、さらに肩口へ肘を落とす。

三体目が倒れる。


だが、残り三体が別方向へ散る。


「さっさと、逃げろって言ってんだろ!!」


声を荒らげる。


人々は悲鳴を上げながら、ようやく動き出す。

だが遅い。


四体目が女へ飛びかかる。


俺は地面を蹴り、身体ごとぶつかった。

ロングコートが無駄にひらつく。

ズボンのチェーンがジャラジャラ鳴る。


「邪魔くせえ、この布とチェーン!!」


叫びながら拳を打ち込む。


五体目には回し蹴り。

六体目の顎を蹴り上げ、壁へ叩きつける。


息を吐く暇もない。


「避難を急げ!! 路地へ入れ!! 広い通りに残るな!!」


俺が怒鳴る間も、屋根の上の理性持ち魔人は手を出してこない。

ただ、興味深そうに見ているだけだった。


その態度が余計に腹立たしい。


「……何笑ってやがる」


俺が睨むと、そいつは肩をすくめた。


「いえいえ。実に興味深い。あんな連中、守る価値もないと思いますがねぇ」


その声が終わるより早く、また指が弾かれる。


針。


「またか!」


今度は10本近い。

さっきよりも広範囲に投げてきた。

逃げ惑う人達に針が飛んでいく。


俺は無理やり飛び込み、二本、三本叩き落とす。

一本はグローブで弾いた。

もう一本はブーツの先で蹴り払う。


だが。


「くっ……!」


全部は無理だ。


さらに四人が刺された。


「やめろおおおお!!」


怒鳴り声も虚しく、四人の身体が変質する。


また魔人もどきが増えた。


理性持ち魔人は、その様子を見ながら楽しそうに目を細めている。


「なかなか当たりが出ませんねえ……」


その言葉に、ぞっとした。


こいつにとって、人間は実験台だ。

刺して、壊れて、暴れて、どうなるかを見る。

それだけ。


「でも――」


そいつは俺を見た。


「あなたなら、素晴らしい魔人になれると思いますよ」


「……は?」


「どうです?我々の仲間になりませんか?」


その声音は冗談じゃない。

本気で言っている。


「ふざけんじゃねぇ!!」


思わず怒鳴る。


「誰がなるかよ、そんなもん!」


「それは残念……」


そいつは心底惜しそうにため息を吐いた。


その間にも、俺は魔人もどきを叩き潰していく。


一体、二体、三体。

拳と蹴りで止め、倒し、動かなくする。


だが、十二体目を蹴り飛ばして沈黙させた直後だった。


倒れた魔人もどきたちの身体が、ぶくりと膨れた。


「……あ?」


黒ずんだ皮膚が急に溶け始める。

肉が泡立ち、骨まで崩れ、どろどろのヘドロみたいなものへ変わっていく。


さっき路地裏で見たのと同じだ。


「ちっ……!」


これか。

こいつの言う「当たり」が出なかった連中の末路。


通りには、黒赤いヘドロみたいなものが十体分、べっとりと広がった。

臭いがさらに濃くなる。


腐臭。

焦げ。

湿った瘴気。


理性持ち魔人は、その惨状を眺めて口元を吊り上げた。


「では、冥土の土産に覚えていってください」


屋根の上で、黒い衣が揺れる。


「私は、蛇架第九席 幻蛇げんじゃヴァルト」


短剣をくるりと回し、針を指の間に挟み直す。


「新世界に選ばれた者を見つけるのが役目です」


「てめえの名前なんて覚える価値もねえ。クズ野郎が」


俺は拳を握る。


そして、腹の底から名乗りを叩きつけた。


「俺は、闇を払い光を照らす!

 恐れを越えて、救いを掴む!

 仮面勇装――マスクド・ブレイブ!!」


夜の南通りに、名乗りが鋭く響く。


『名乗り成功』

『合計身体能力強化 43倍』


身体に力が湧いてくる。


ヴァルトは一瞬だけ目を細め、それから愉快そうに笑った。


「ええ。やはり、面白い」


その瞬間、ヴァルトの輪郭がぶれた。


「……っ!?」


一人だったはずの姿が、三つに増える。


横一列。


屋根の上に、まったく同じ顔が並んでいた。


どれも同じ服装。

どれも同じ短剣。

どれも同じように針を指に挟み――


全員、嫌な笑いを浮かべている。


「……は?」


幻だ。

そう分かっていても、見分けがつかない。


右か。

左か。

真ん中か。


視線を動かすたび、三人ともまるで本物みたいに自然だった。


「本当に気持ちわりぃやつだな……!」


俺は呻くように吐き捨てた。


その下では、ヘドロ化した魔人もどきの残骸が、まだ湯気みたいな瘴気を上げている。


「……上等だよ」


俺は腰を落とした。


「まとめて相手してやる」


南側の夜が、さらに濃く歪んでいく。

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