第57話「王都の夜が壊れた日」
レグナ支部ギルドに着く頃には、外はすっかり暗くなっていた。
扉を開ける。
受付の女が顔を上げた。
「ユウヤ様」
「ヘルガはいるか」
「はい。奥に」
それだけ聞いて、俺はそのまま奥へ向かった。
ギルド長室の扉を開ける。
ヘルガが机に向かったまま顔を上げた。
「……どうした」
「魔人が出た」
短く言うと、ヘルガの目が少しだけ細くなった。
「話せ」
俺は立ったまま報告した。
店の裏手で見つけた黒ずんだ痕。
瘴気みたいな嫌な臭い。
その先で見つけた三人組。
見つかった瞬間、一人を逃がすために二人が赤い液体を飲んで魔人化したこと。
倒した後、身体が腐食してヘドロみたいに崩れたこと。
そして、一人だけ逃げられたこと。
ヘルガは最後まで黙って聞いていた。
話し終えたあと、俺は布で包んでいた破片を取り出し、机の上に置く。
「……それと、これだ」
ヘルガが眉をひそめる。
「なんだそれは」
「連中が魔人化する時に使ってた液体の瓶の破片だ。中身はほとんど残ってないが、内側に少しこびりついてる」
ヘルガは布を開き、破片の内側に残った赤黒い残滓を見て、無言になる。
「魔人化する薬か……」
小さく呟いてから、ヘルガは背もたれへ深く寄りかかった。
「最近、王都じゃ変死事件や行方不明が増えている」
「やっぱりか」
「ああ。ギルドでも調べてはいた。だが、尻尾が掴めん」
「なんでだ? 優秀なハンターはいるだろ」
「死体は異様に腐食して証拠が残らん。消えた連中も足取りが途中で切れる。目撃談はある。噂もある。だが、決め手が何もない」
俺は小さく息を吐く。
「これ、国が動く内容だろ」
「そのはずだ」
ヘルガは短く言った。
「だが妙に動きが鈍い。どこかから圧力がかかってるって噂だ」
「圧力ね……」
「どこの派閥かまでは分からん。分からんが、臭い」
部屋が少し静かになる。
俺は路地裏で見た二人の顔を思い出していた。
飲む前、あいつらは怯えていた。
それでも、逃がす一人のために迷わず瓶を呷った。
「飲んだあとの結果を知ってるような覚悟の決め方だった」
ヘルガが顔を上げる。
「何?」
「小瓶を飲む前、二人とも怯えてた。でも逃げる一人を通すために、自分たちがどうなるか分かった上で飲んだ感じだった」
「……使い捨ての実働部隊か」
「たぶんな」
ヘルガは破片へ目を落とす。
「王都の裏で、魔人化する薬を研究してるやつらがいる。そう考えるのが一番自然だな」
「最悪だな……」
その時だった。
扉の外で、慌ただしい足音が止まる。
「ギルド長!」
扉が乱暴に叩かれる。
ヘルガが顔も上げずに言った。
「入れ」
飛び込んできた職員は、顔色を変えて叫んだ。
「東側で魔人が出現! すでに複数確認されています! レオルド様が対応中です!」
「……っ」
ヘルガの目つきが変わる。
だが、その直後。
さらに別の職員が息を切らして駆け込んできた。
「ギルド長! 南側でも魔人化の報告が!」
「南だと?」
「はい! 通行人が突然暴れ出したと!目撃者の話では、黒い外套の男が近づいて、針のようなものを刺した直後に変異したそうです!」
部屋の空気が一気に冷えた。
「針……?」
俺が低く呟くと、職員が必死に頷く。
「それだけじゃありません!東側にも南側にも、理性を保っているように見える個体が一体ずついます!そいつらが市民に針を刺して回っていると!」
ヘルガが低く吐き捨てる。
「……一般人を魔人化させてるのか」
「しかも南側は人通りが多く、すでに犠牲者も出ています!」
「何人だ」
「現時点で数名死亡、負傷多数! まだ増えるかと!」
俺は思わず歯を食いしばった。
南側。
店がある方角だ。
ヘルガもそれに気づいたらしい。俺を見る。
「ユウヤ、お前は南へ行け」
「言われなくても行く」
ヘルガは即座に職員へ向き直る。
「避難誘導を南へ集中。騎士団にも再通達しろ。治療班は東と南に分けろ。中央通りの人流を止めろ。無理なら逸らせ」
「は、はい!」
職員たちが飛び出していく。
ヘルガは最後にもう一度、俺を真っ直ぐ見た。
「普通の魔人ならまだいい。理性を保った個体が針を使っているなら、そいつが感染源だ。市民を全部守ろうとするな。増やされる前に元を断て」
「分かってる」
「止めるべき相手を見誤るな」
「それも分かってる」
短く返して、俺は踵を返した。
王都の静かな夜が、もう壊れ始めている。
裏路地で見た赤い薬が、今度は表通りの人間にまで使われている。
「……ふざけんなよ」
誰に向けたのかも分からないまま吐き捨て、俺はギルドを飛び出した。
南側。
店がある方角だ。
胸の奥が一気に冷える。
あそこにはエマも、グレッグも、ルークも、リアも、セシルも、トムもいる。
足が自然と速くなる。
石畳を蹴る。
夜風が顔を打つ。
遠くの方から、悲鳴と怒号が混ざったざわめきが聞こえた。
「待ってろ……!」
俺は南へ向かって全力で走る。
その瞬間、腰が鳴る。
カン。
『緊急クエスト : 魔人を撃退せよ』
『報酬:ヒーローポイント+15』
「……分かってるっての」
俺は歯を食いしばり、そのまま夜の王都を駆けた。




