第53話「地道な英雄」
翌朝、一階へ降りると、店の中はいつもより静かだった。
鍋の火は落ちている。
卓も片づけられていて、開店前の慌ただしさがない。
今日は店休日だ。
週に一度は休みにする。
仕入れの整理、帳面の確認、厨房の掃除。
店を回し続けるには、そういう日も必要だと、エマとグレッグが最初に決めていた。
その代わり、朝の匂いだけはちゃんとしていた。
干しきのこと肉を煮た匂い。
焼いたパンの匂い。
それに、少しだけ甘い香草の匂いも混じっている。
食卓には、もう四人分の朝食が並んでいた。
「おはようございます」
セシルが、何事もない顔で一礼する。
「……お前、ほんと朝から完成してるな」
「朝ですので」
意味の分からない返しだが、もう慣れた。
リアは椅子に座って、湯気の立つ皿を嬉しそうに見ている。
ルークはもう起きていて、相変わらず妙に姿勢がいい。
俺も席について、四人で朝食を食べる。
こうしてると、王子だ王女だなんて話が、少しだけ遠く感じる。
でも、遠くなっただけで消えたわけじゃない。
腰のあたりが、朝からやけにうるさい。
視界の端に、昨日のウィンドウがまた出現した。
『特殊クエスト : 王都で英雄たれ』
『達成条件:7日以内にヒーローポイントを合計30獲得せよ』
『※獲得したポイントは前借り返済に自動で充当されます』
『現在の前借り残高:20』
『成功報酬:ヒーローポイント10』
その下に、さらに細かいクエストがいくつも浮かぶ。
『クエスト : 老女の荷物を運べ』
『報酬:ヒーローポイント+1』
『クエスト : 迷子を親元へ届けろ』
『報酬:ヒーローポイント+1』
『クエスト : 露店の倒れかけた看板を直せ』
『報酬:ヒーローポイント+1』
『クエスト : 喧嘩を止めろ』
『報酬:ヒーローポイント+1』
『クエスト : 荷崩れを防げ』
『報酬:ヒーローポイント+2』
「……さっそくかよ」
思わず小さく漏らす。
リアが瞬きをする。
「どうかしましたか?」
「いや、こっちの話だ」
王子と王女を守れって話の翌朝に出てきたのが、荷物運びと迷子対応である。
しかも一ポイント。
「千里の道も一歩からってか……」
セシルが首を傾げる。
「何か問題でも?」
「問題しかねえけど、説明しても分からん」
俺はパンを口に放り込み、水で流した。
「今日はちょっと出かけてくる」
ルークが顔を上げる。
「どこへ行くんだ」
「ちょっと野暮用だ」
「……一人でか」
「ああ」
リアは少しだけ不安そうにしたが、何も聞かなかった。
セシルが静かに言う。
「お気をつけて」
「地味な用事だけどな」
そう言いながら立ち上がる。
王子と王女を守るために、まずやることが老女の荷物運びと迷子探しらしい。
ほんと、世の中よく分からない。
⸻
最初のクエストは、本当にそのままだった。
市場へ向かう途中、腰の曲がった婆さんが大きな袋を二つ抱えて立ち往生している。
『クエスト対象を確認』
『老女の荷物を運べ』
「……いや、ほんとにいるんかい」
俺はため息混じりに歩み寄った。
「持つか?」
婆さんが目を瞬かせる。
「いいのかい?」
「そのまま持ってたら腰やるぞ」
「もうとっくにやってるよ」
「なおさらじゃねえか」
袋を受け取る。
重い。野菜と粉か。ずっしり来る。
婆さんの家まで運んでやると、何度も頭を下げられた。
「ありがとうねえ」
「最近の若い子は、声かけても素通りばっかりでねえ」
「そうかよ」
カン。
『クエストクリア : 老女の荷物を運べ』
『ヒーローポイント+1』
『特殊クエスト進行:1/30』
『前借り残高:19』
「少ねえな……」
思わず声が出た。
婆さんがびくっとする。
「ああ、いや、何でもねえ」
王族を守る第一歩が、荷物運び一ポイント。
先が思いやられる。
⸻
次は迷子だった。
噴水の近くで、小さな男の子が泣いている。
『クエスト : 迷子を親元へ届けろ』
『報酬:ヒーローポイント+1』
「また一かよ……」
しゃがんで目線を合わせる。
「おい、どうした」
「ま、ままがいない……っ」
鼻水がひどい。
一瞬、そのまま抱えて探しに行こうとして、視界の端に余計な注釈が出た。
※無言で親元へ連行した場合、達成になりません。
「細けえよ!!」
つい空に向かって言ってしまい、男の子が余計に泣きそうになる。
「あー、悪い悪い。お前に言ったんじゃねえ」
深呼吸して、できるだけ怖くない声を出す。
「名前は?」
「……トーマ」
「母ちゃんはどんな格好してんだ?」
「青い服きてて、小太りで、でべそ」
「おっ、おう……口が悪ぃな……」
市場を歩き回っていると、割とすぐに見つかった。
「トーマ!」
「ままー!」
再会して抱き合う親子を見て、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
カン。
『クエストクリア : 迷子を親元へ届けろ』
『ヒーローポイント+1』
『特殊クエスト進行:2/30』
『前借り残高:18』
「やっぱ安いな……」
でも、トーマは泣き止んで笑っていた。
まあ、悪くはない。
⸻
次は露店の看板だった。
市場の端で、風に煽られて看板がぐらついている。
木の足が一本、抜けかけていた。
『クエスト : 露店の倒れかけた看板を直せ』
『報酬:ヒーローポイント+1』
店主の親父が片手で看板を押さえながら怒鳴る。
「兄ちゃん、悪い、そっち持ってくれ!」
「おう!」
押さえてる間に、親父が木釘を打ち直す。
俺は支えてるだけだ。
「助かった! こいつが倒れてたら、客の頭に直撃するところだったぜ」
「それは危ねえな」
カン。
『クエストクリア : 露店の倒れかけた看板を直せ』
『ヒーローポイント+1』
『特殊クエスト進行:3/30』
『前借り残高:17』
「これで三つ目……」
店主の親父がじっと俺を見る。
「兄ちゃん、どっかで見た顔だな……あっ、レグナ麺の兄ちゃんか!」
「おっ、知ってんの?」
「露店行ったことあるぜ!」
レグナ麺が着実に広まってるようだ。
「礼は要らねえからよ、旨味亭ブレイブって店やってるから、よかったら食いに来てくれ」
親父が目を丸くする。
「店になったのか! 今度若えの連れて食いに行くわ」
「待ってるぜ」
ポイントついでに宣伝もできて一石二鳥だ。
⸻
昼前に、ようやく少しだけマシなのが来た。
坂道で荷車が傾き、積んでいた木箱が崩れそうになっていた。
近くにいた子供が、呆然と立ち尽くしている。
『クエスト : 荷崩れを防げ』
『報酬:ヒーローポイント+2』
「おい、下がれ!」
俺は子供を突き飛ばすように下がらせ、そのまま荷車に肩を入れる。
重い。
――はずだった。
「……あれ?」
前なら、こんなの変身なしじゃ無理だった気がする。
なのに今は、きついとは思っても、身体がちゃんと耐えている。
踏ん張った足も、肩も、思ったより沈まない。
(……地味に、強くなってきてる?)
「そっち、車輪押さえろ!」
「親父、上の箱から下ろせ!」
周りの人間が慌てて動く。
二、三人がかりで体勢を戻すと、荷車の持ち主がへたり込んだ。
「た、助かった……」
「積みすぎだ」
「返す言葉もねえ……」
カン。
『クエストクリア : 荷崩れを防げ』』
『ヒーローポイント+2』
『特殊クエスト進行:5/30』
『前借り残高:15』
「ようやく二か」
これでもまだ二である。
でも、今のは少し収穫だった。
変身しなくても、前の俺よりは確実に強くなってる。
ポイントだけじゃなく、戦い続けて身体そのものも変わり始めてるのかもしれない。
⸻
最後は喧嘩だった。
路地の角で、二人の男が胸ぐらを掴み合っている。
『クエスト : 喧嘩を止めろ』
『報酬:ヒーローポイント+1』
「……また一かよ」
俺が間に入ると、片方が怒鳴った。
「なんだテメェ、関係ねえやつは引っ込んでろ!」
「こんなとこで喧嘩しやがって、迷惑だろうが」
「こいつがぶつかってきたんだ!」
「てめぇが先に――」
うるさい。
俺は二人の首根っこを同時に掴んで、無理やり引き剥がした。
「痛ぇ!」
「静かにしろ! 次やったらそのまま水路に投げるぞ」
言ってから、自分で少しだけ引っかかった。
前なら、大人二人をまとめて引き剥がすなんて無理だった気がする。
変身してる時の力には遠く及ばない。
でも、前の“ただの俺”よりは確実に強い。
(……やっぱ、少しずつ身体そのものも変わってきてるな)
しばらく睨んでいると、二人とも急に大人しくなった。
「……悪かった」
「……すまん」
「頭冷やしてこい」
カン。
『クエストクリア : 喧嘩を止めろ』
『ヒーローポイント+1』
『特殊クエスト進行:6/30』
『前借り残高:14』
視界を確認する。
『特殊クエスト : 王都で英雄たれ』
『期限:残り6日』
『進行:6/30』
『前借り残高:14』
『成功報酬:ヒーローポイント10』
「……六か」
一日中王都を歩き回って、たった六ポイント。
俺はその場で空を仰いだ。
「一日潰れてこれだけかよ……」
ほんとに地道だ。
地道すぎる。
でも、あいつらを守るには今のままじゃ足りない。
装備も足りねえ。
人前で変身もしづらい。
なら、やるしかない。
「……仕方ねえか」
小さく呟いて、店への道を戻り始めた。
その途中で、ふと現実に気づく。
「……いや」
明日からまた店だ。
今日みたいに外を歩き回る日が増えるなら、その分店の人手が足りなくなる。
セシルが有能でも、今の人数でギリギリなのは変わらない。
「……抜ける訳にはいかねえしなぁ」
立ち止まって少しだけ考える。
そして、すぐ結論が出た。
「仕方ねえ、誰か雇うか」
前の面接の時に来た中で、まとも寄りだった奴が一人いた。
パルマのトム。
唯一の欠点は、俺の――いや、マスクド・ブレイブの強烈なオタクってことだ。
⸻
店に戻ると、一階は静かだった。
休みの日だから当然だ。
客の気配はない。
でも、そこに人の暮らしの気配はちゃんとあった。
奥の卓では、リアが紙に何か描いていた。
炭筆で描かれた丸い顔が三つ。いや、四つか。
たぶん俺たちのつもりなんだろうが、誰が誰だかよく分からない。
その少し横で、ルークは本を開いていた。
ただ読んでるだけじゃない。余白に細かく何かを書き込んでいる。
こういう時まで妙にきっちりしてる。
セシルは帳場まわりを整えていた。
「おかえりなさい」
セシルが静かに一礼する。
「どうでしたか?」
リアが顔を上げる。
「荷物運んで、迷子見つけて、看板直して、荷崩れ止めて、喧嘩止めてた」
「……人助けですか?」
「……仕事みてえなもんだ」
リアが少し笑う。
「素敵なお仕事ですね」
「一銭にもならんがな」
俺は椅子に腰を下ろした。
ルークが本を閉じる。
「詳しくは分からないけど……店より優先しないといけないことなんだな」
「残念ながらそうなんだよなぁ……」
俺は肩を鳴らした。
「でも、俺が抜けると店が厳しい」
セシルが静かに頷く。
「ユウヤ様が外に出る時間が増えるなら、今の人数では足りなくなるでしょうね」
「だよな」
俺はそのまま言った。
「だから雇う」
リアが目を瞬かせる。
「もう決めたんですか?」
「決めた。前に面接に来た、パルマのトム。あいつ呼ぶ」
俺は水を一気に飲み干す。
「しばらく店の中もバタつくぞ。悪いけど、付き合え」
セシルが静かに一礼した。
「問題ございません。人が一人増えれば、かなり楽になるはずです」
「だな」
その時、また腰が鳴った。
カン。
『特殊クエスト : 王都で英雄たれ』
『期限:残り6日』
『現在:6/30』
『前借り残高:14』
『次段階解放まで、あと24ポイント』
「……長ぇな」
思わず本音が出た。
リアが紙から顔を上げる。
「何がですか?」
「こっちの話だ」
でも、ゼロじゃない。
六ポイント。
たった六。
それでも前には進んでる。
問題は、あと二十四もあることだ。
「……明日、トム探すか」
誰にともなく呟くと、リアが紙をひらひらさせた。
「じゃあ、明日は六人になりますね」
「その前に、トムが本当に捕まればな」
ルークは静かに言った。
「たぶん、来る。あの時、一番働く気があった」
「それは覚えてる」
そう返しながら、俺はリアの紙をちらっと見る。
「で、それ何描いてんだ」
リアが少し得意そうに紙を見せてきた。
「みなさんです」
「嘘つけ。俺はもっとイケメンだ」
「そんなことないです」
「おい」
リアがくすっと笑う。
その笑い方は、少し前よりずっと自然だった。
王宮の陰謀。
蛇架の気配。
地道な人助け。
その上、人手不足まで増えた。
面倒ごとは減るどころか増える一方だ。
でも、こういう時間があるなら、まだ踏ん張れる。




