第52話「王子と王女」
店を閉めたあと、エマとグレッグは先に帰った。
一階の灯りを落とし、戸締まりを済ませる。
表の喧騒が遠のくと、旨味亭ブレイブは急に静かになった。
二階へ上がる前に、俺はルークを見る。
「で」
短く言う。
「話すんだろ」
ルークは少しだけ視線を落とした。
いつもみたいな落ち着いた顔をしているくせに、今日はその奥に迷いが見える。
「……リアは寝たぞ」
「セシルは?」
「一緒にいる。今日はこっちに来ない」
俺は頷いた。
「ならいい」
二階の小さな卓を挟んで向かい合う。
窓の外はもう暗い。
王都の夜の灯りだけが、細く床に落ちていた。
しばらく沈黙が続いたあと、ルークが口を開いた。
「……まず最初に言っておく」
声は静かだった。
「僕たちは、ただの商人の子じゃない」
「知ってる」
俺が即答すると、ルークが少しだけ眉を動かす。
「驚かないんだな」
「商人の子にしちゃ、食い方も座り方も綺麗すぎだ。それに、リアはたまに“普通”を知らなすぎるしな」
ルークは小さく息を吐いた。
「……そうか」
それから、ほんの少しだけ間を置いて言う。
「僕は、この国の王子だ」
そこで一度言葉を切り、続けた。
「リアは、僕の双子の妹。王女だ」
俺は腕を組んだまま、短く返す。
「知ってたけど、想像より上だったな」
ルークは苦く笑った。
「僕も、こうして誰かを頼る日が来るとは思っていなかった」
部屋の空気が、少しだけ重くなる。
ルークはしばらく黙っていたが、やがて低い声で続けた。
「……最近、父様――王が倒れた」
俺は小さく眉をひそめる。
「最近?」
「ああ。民衆には大きく伏せられているけど、王宮の中はもうかなり揺れてる」
ルークは窓の外を見たまま言う。
「王が倒れた以上、次の王の話は避けられない。でも、その前に大きな問題が起きた」
「何だ」
「アルヴェルト兄様が襲われた」
その名前に、俺は少し首を傾げる。
「……アルヴェルト?」
「一番上の兄様だ」
「ああ」
そこでようやく話が繋がる。
ルークは静かに頷いた。
「本来なら、次の王になるはずだった人だ。でも兄様は、他国への視察中に何者かに襲われた。大怪我を負って、今も国外から戻れていない」
俺は腕を組み直す。
「王は倒れてる。次に王になるはずの兄も戻れない。で、その隙に別の兄が動き始めたわけか」
ルークは短く頷いた。
「……セドリック兄様だ」
「そいつが、お前らを狙ってるかもしれないってことか」
ルークはすぐには頷かなかった。
代わりに、少しだけ言いにくそうに目を伏せた。
「昔は、セドリック兄様はあんなじゃなかった」
俺は黙って聞く。
「アルヴェルト兄様とも仲がよかったし、僕たちにも優しかった。少なくとも、僕たちを消そうとするような人じゃなかった」
そこまで言って、ルークは唇を結んだ。
「でも、最近、急に様子がおかしくなったんだ。アルヴェルト兄様が大怪我を負った知らせがあったあたりから……」
部屋が静かになる。
「何があったのかは分からない。ただ、あの頃から兄様の周りにいる人間も変わった。王宮の空気も、おかしくなった」
俺は腕を組んだまま黙って聞く。
「兄様の言葉は鋭くなった。前なら通さなかったはずの話も、通すようになった。王が倒れ、アルヴェルト兄様も戻れない。その隙に、急に発言力を強めた」
「……で、お前らが狙われた」
ルークは短く頷いた。
「ああ」
「僕は王子だ。継承から遠くても、消しておいた方がいいと思う奴はいる。リアも同じだ。王女ってだけで、利用しようとする貴族は出てくる」
「なるほどな」
「アルヴェルト兄様が戻れない今、僕たちは“念のため消しておくべき存在”になった」
その言い方には、怒りよりも諦めが混じっていた。
俺は小さく息を吐く。
「王宮ってのは面倒くせえな」
「面倒で済むならよかった」
ルークはそう言って、懐に手を入れた。
取り出したのは、小さな革袋だった。
その中から、王家の紋章が刻まれた印と、丁寧に折り畳まれた紙が出てくる。
「父様が、最後に渡してきた」
「それは?」
「王の密書だ」
俺は目を細めた。
「中身は」
「見ないように言われた。でも、父様はこう言った」
ルークは紙を見つめたまま、低く言う。
「――これだけは奪われるな」
「――リアを連れて逃げろ」
「――アルヴェルトが戻るまで、決して姿を明かすな」
「……セドリックの名前は?」
「出ていない」
俺は少しだけ考える。
王がそんな密書を残す。
王は倒れた。
次の王になるはずの兄は不在。
残った兄は急に変わった。
その直後に、ルークとリアが狙われる。
そして今、店を見張っていたのは蛇架だ。
(……かなり大事に巻き込まれたな)
でも、それを今ここで口にしても仕方ない。
「リアには、まだ全部話してないんだろ」
俺が言うと、ルークはゆっくり頷いた。
「ああ」
ルークは少しだけ目を伏せる。
「リアには、できるだけ普通に過ごさせたかった」
「無理だろ」
思わず言う。
「王女のくせに皿拭いてたぞ」
ルークの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……そうだな」
それから、少し間を置いて続ける。
「それでも必要だった。リアが、ただ怯えているだけの時間じゃなくて……普通に笑える時間が」
その言葉は、妙に重かった。
俺はそれ以上茶化さなかった。
「で」
少し身を乗り出す。
「ただ逃げてるだけじゃないんだろ」
ルークは一瞬だけ迷ってから、王の密書を握りしめた。
「……ああ」
「父様は、これを守れと言った。でも本当は、それだけじゃない」
「何だよ」
ルークは小さく息を吸った。
「王宮の中にいる人間だけじゃ、もう信用できない。だから僕たちは外へ逃がされた。アルヴェルト兄様が戻るまで、生きていなきゃいけない」
「つまり、お前らが生きてること自体が切り札ってことか」
「……そうなる」
また沈黙が落ちる。
王子と王女。
倒れた王。
戻れないアルヴェルト。
変わってしまったセドリック。
王の密書。
そして、蛇架。
一気にいろんなものが繋がりすぎて、逆に頭が冷える。
「……頼む」
その言葉は、思ったより小さかった。
顔を上げると、ルークがまっすぐこっちを見ている。
「もう少しだけでいい……リアを守ってくれ」
まだ、小学生くらいの歳のくせに、覚悟を決めた目で頭を下げている。
俺は少しだけ息を吐く。
「ったく、最初からそう言え」
ルークが、わずかに目を見開く。
俺は腕を組み直した。
「王子だろうが王女だろうが関係ねえ。お前らはうちの従業員のルークとリアだ。もう他人じゃねえ」
ルークはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……ありがとう」
「礼はいい。その代わり、今後は隠すな。何かあれば全部話せ」
「ああ」
「あと、リアにもちゃんと話せ。いつまでも何も知らねえまま守り切れる状況じゃねえだろ」
ルークは目を伏せた。
「分かってる」
その時だった。
カン。
腰が鳴った。
「……あ?」
視界の端に、透明なウィンドウが開く。
『クエストクリア : 二人の正体を聞き出せ』
『ヒーローポイント+5』
『前借り残高:20』
続けて、もう一枚。
『特殊クエスト : 王都で英雄たれ』
『期限:7日』
『達成条件:7日以内にヒーローポイントを合計30獲得せよ』
『※獲得したポイントは前借り返済に自動で充当されます』
『現在の前借り残高:20』
『成功報酬:ヒーローポイント10』
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
ルークが怪訝そうに見る。
「どうした」
「いや……」
俺は頭を押さえた。
今の力じゃ守り切れないってことか。
しかも、七日。
思ってたよりずっと短い。
「……ほんと、楽させてくれねえな」
ルークは意味が分からない顔をしていたが、俺は説明する気になれなかった。
どうせ、やるしかない。
王都で人を助ける。
信頼を集める。
ポイントを稼ぐ。
で、装備を整える。
二人を守るために、小さな人助けを積み重ねろってことか。
「……7日か……時間がねえな」
誰にともなく呟く。
窓の外では、まだ王都の灯りが揺れていた。
王宮の陰謀も、蛇架の気配も、全部そこにある。
だったら、もう逃げられない。
俺は小さく息を吐いた。
「分かったよ。やってやる」
その夜は、妙に長かった。
王都に来てから、面倒ごとはずっと増え続けていた。
でも、今夜でようやく――誰を守って、何と戦うのかだけははっきりした。




