第54話「広まる英雄譚」
翌朝、店の前に立ったトムは、緊張と興奮で顔が引きつっていた。
「ほ、本当に……ここで働けるんですか……?」
「昨日のうちに言っただろ」
俺は扉を開けながら言う。
「今日からだ。しっかりやれよ」
「もちろんです!!」
声がでかい。
朝の静かな通りに響いて、思わず顔をしかめる。
「まず一つ目。声量を三割落とせ」
「は、はい!!」
「全然落ちてねえ」
そうこうしているうちに、中ではもう開店前の準備が始まっていた。
グレッグが鍋を見て、エマが帳面を確認している。
セシルは卓を拭き終えたところで、リアは木椀を並べていた。
ルークは店先の札をひっくり返して、開店準備の最後をしている。
俺がトムを連れて入ると、全員の目が一斉にこっちを向いた。
「連れてきたぞ」
エマがぱっと顔を上げる。
「トムさん、でしたよね」
「は、はいっ! パルマ出身のトムです! 今日から命を懸けて――」
「命はいらねえ」
俺が即座に切る。
「普通に働け」
「はいっ!!」
グレッグが眉をひそめた。
「うるせえな」
「す、すみません!」
「なかなか、気合い入ってんじゃねえか」
グレッグが鍋をかき混ぜながらぼそっと言う。
エマは苦笑していた。
「緊張してるだけですよ、たぶん」
リアは少しだけ楽しそうにトムを見ている。
「新しい人ですね」
ルークは短く頷くだけだったが、露骨な警戒はしていない。
セシルだけは静かにトムを見つめていた。
仕事ができるかどうかを気にしているみたいだ。
俺はトムを指差す。
「いいか。条件は三つだ」
「は、はい!」
「店でマスクドブレイブの話を延々するな。俺を変な目で見るな。ちゃんと働け」
トムはものすごい勢いで頷いた。
「はい!!全部守ります!!でも尊敬は止められません!!」
「じゃあ、努力をしろ……」
エマが小さく吹き出した。
俺はため息を吐く。
「まあいい。とにかく働け」
「はいっ!」
こうして、パルマのトムは旨味亭ブレイブの新しい従業員になった。
⸻
午前中の営業は、思っていたよりずっとまともだった。
トムは不器用ではあるが、指示されたことはきっちりやる。
水を運ぶ。
木椀を並べる。
下げ物を運ぶ。
注文を大声で復唱する。
「鳥レグナ麺、一つ!!」
「赤スープ、一つ!!」
「声はやっぱりでけえな」
俺が呟くと、グレッグが鼻を鳴らした。
「厨房には通る。嫌いじゃねえ」
エマも帳面を抱えたまま頷く。
「少し硬いですけど、真面目ですね」
リアも小さく笑う。
「いっぱい動いてます」
ルークはトムの動きを見てから、短く言った。
「必要な人手ではあると思う」
セシルは淡々と補足する。
「配膳の仕方に少し甘さはありますが、素直です。直ると思います」
トムはその評価を聞いて、顔を真っ赤にしていた。
「が、頑張ります!!」
「だから声がでけえ」
でも、悪くない。
俺は昼営業の山を越えたところで、店の中を見回した。
エマが会計。
グレッグが鍋。
セシルが配膳。
トムが水と下げ物。
リアが木椀拭き。
ルークが細かい補助。
前より、ちゃんと回っている。
「……これなら、大丈夫だな……」
小さく呟いて、俺はエマに声をかけた。
「少し抜ける」
エマは一瞬だけこっちを見たが、すぐに頷いた。
「分かりました」
グレッグが鍋を見たまま言う。
「夕方までには戻れよ」
「分かってる」
トムは「行ってらっしゃいませ!!」と言いかけて、途中で口を押さえた。
「……偉い」
「が、頑張ってます……!」
リアが小さく手を振る。
「いってらっしゃい」
ルークは何も言わなかったが、少しだけ視線を寄越した。
俺はそのまま店を出た。
⸻
それからは、また地味だった。
市場の奥で荷物を運び。
広場で迷子を見つけ。
スリを捕まえ。
迷子の猫を探しだした。
一つ一つは小さい。
でも、放っておけない。
そして、やっぱり少しだけ身体がよく動く。
荷を持つ腕。
走る足。
人を掴む手。
変身しなくても、最初にこの世界へ来た頃の俺とはもう違う。
何度も戦って、何度も無茶して、飯を食って、働いてきた。
その積み重ねが、ちゃんと身体に残ってきている。
「……悪くねえな」
そう呟いた直後、また一ポイントだったりするから腹は立つが。
夕方頃、最後のクエストを終えたところで腰が鳴った。
カン。
『クエストクリア : 迷子の猫を探し出せ』
『ヒーローポイント+1』
『特殊クエスト進行:10/30』
『前借り残高:10』
「今日は四か」
昨日が六。
今日が四。
地味すぎるが、ゼロじゃない。
視界の端には、また淡々と表示が並ぶ。
『特殊クエスト : 王都で英雄たれ』
『期限:残り5日』
『進行:10/30』
『前借り残高:10』
『成功報酬:ヒーローポイント10』
「まだ三分の一かよ……」
思わず空を仰ぐ。
でも、昨日よりはマシだ。
店は回ってる。
ポイントも増えた。
「……戻るか」
⸻
営業後の店に戻ると、表の札はすでに閉店に変わっていた。
中へ入ると、いつもの湯気と、少し遅い夜の匂いが残っている。
グレッグは鍋を見ていて、エマは帳面。
セシルは卓を拭いていた。
リアは椅子に座っていて、ルークはその横に立っている。
そしてトムは――なぜか背筋を伸ばして直立していた。
「おかえりなさいませっ!!」
「声でけえよ」
「す、すみません!!」
俺はそのまま卓に肘をついた。
「で、どうだった」
エマがすぐに答える。
「かなり助かりました」
グレッグも頷く。
「思ったより使えるな。うるせえけど」
セシルは静かに補足した。
「まだ配膳の順番に甘さはありますが、指示には素直です。改善は早いと思います」
リアも小さく言う。
「いっぱい動いてました」
ルークも短く頷いた。
「戦力にはなってる」
俺はトムを見る。
「だそうだ」
トムは一瞬ぽかんとして、それから顔を真っ赤にした。
「ほ、本当ですか……!?」
「だから連れてきたんだろ」
「う、うわあああ……!」
「うるせえって」
でも、その反応で分かった。
こいつはちゃんと働く。
「よし。正式採用だ」
「ありがとうございます!!このご恩は、ブレイブ様への忠――」
「そこまでだ」
俺が止めると、トムはぴたりと口を閉じた。
……はずだった。
その数秒後。
エマが、妙に静かな声で言った。
「ところで、ユウヤさん」
嫌な予感がした。
「何だよ」
「トムさんから、色々聞いたんですけど」
「何をだよ」
グレッグが腕を組む。
「ゴブリンキング倒したって、マジか?」
「……ちっ、トム!!」
リアが目を輝かせる。
「ゴブリン一万と、一人で戦ったんですか?」
「誰が一万だよ!! 二千だ二千!!」
俺が叫ぶと、トムが慌てて口を挟む。
「で、ですが体感的には一万くらいの迫力が――」
「体感で盛るな!!」
ルークが本を閉じる。
「変身する、というのはどういう意味なんだ」
「そこ説明すんの面倒なんだよな……」
エマが少しだけ言いにくそうに口を開く。
「ええと……あの、服は着てないんですよね?」
「……今はな」
リアが続ける。
「でも、ゴブリンキングと二千のゴブリン軍を倒したなんて、カッコイイです!!」
「そこだけ切り取れば聞こえはいいな……」
すると、今度はトムが目を見開いた。
「えっ、今は裸なんですか!?」
「お前はそこで驚くのかよ!」
「だ、だってパルマでは、あの不思議な顔のお面と、赤い不思議な服で戦ってましたよね!?」
店の空気が一瞬止まる。
「……お面?」
グレッグが眉をひそめる。
「赤い服?」
セシルも静かに首を傾げた。
「どういうことでしょう」
ルークがこっちを見る。
「なんだそれは」
「いや、その話はいい」
「よくありません!」
トムが力強く言う。
「ブレイブ様は、不思議な顔のお面を装着し! 赤き異装をまとい! 圧倒的な炎の力でパルマを救ったのです!」
「ちょっと待て」
グレッグが顔をしかめる。
「お前、魔法使いだったのか?」
「その辺、いろいろややこしいんだよ」
セシルが静かに問う。
「つまり、ユウヤ様には我々の知らない装いが他にもある、と」
「整理すんな!」
エマが吹き出しかけながら聞く。
「では、火を吹けるというのは?」
「前な!前!」
リアが身を乗り出す。
「凄いです!!じゃあ、レグナ麺を食べると三倍強くなるっていうのは?」
「ならねえ!」
グレッグが腕を組んだまま言う。
「おい待て。じゃあ今まで俺たち、英雄と働いてたってことか?」
「そういうのはやめろ!!」
トムがきらきらした目で頷く。
「はい!! ブレイブ様の伝説はまだまだこんなものでは――」
「広げるな!!」
もう駄目だ。
「勘弁してくれー!!」
俺の叫びが、閉店後の旨味亭ブレイブに虚しく響いた。




