第47話「看板と冤罪」
朝、目を覚ました瞬間――全身が痛かった。
「っ……いてぇ……」
背中も腰も首も痛い。
宿屋のふかふかベッドに慣れていたせいで、新しい拠点の古い寝台は寝心地が最悪だった。
薄い毛布を押しのけて起き上がる。
木の軋む音が、やけに響いた。
「……くそ。宿って偉大だったんだな」
昨日は勢いで店まで持ったが、現実はこういうもんだ。
まあ、文句を言ってもベッドは変わらない。
変えるなら、自分で稼ぐしかない。
「……ちゃんと店回して、金稼がねえとな」
顔を洗って一階へ降りると、すでにグレッグが厨房で顔をしかめていた。
運び込んだ鍋、骨、干しきのこ、薬草、トマル、オニア、小麦粉、木椀、深皿。
必要なものを並べただけで、厨房はもう手狭だ。
「朝からひでぇ面してんな」
俺が言うと、グレッグは振り向きもせず鼻を鳴らした。
「これ見りゃ、誰でもこうなる」
「分かる」
「分かってねえからこうなってんだよ」
エマが帳面を抱えながら苦笑する。
「朝から怒らないでください」
「怒るだろ。だいたいよ!」
グレッグがようやく振り向いた。
「一昨日初めてスープ売って、昨日レグナ麺売って、急に店持って回すってイカれてるからな!!」
「俺もそう思ってる」
「思ってんなら少し止まれや!!」
言ってることは正しい。
でも止まれなかったんだから仕方ない。
俺は厨房の中を見回した。
骨の下処理。
干しきのこの選別。
薬草の仕分け。
トマルとオニア。
スープ二種。
ソース作り。
さらにレグナ麺の生地。
やることが多いし、何より量が多い。
「……この量、普通に間に合わなくね?」
俺が言うと、グレッグは腕を組んだ。
「ようやく分かったか」
エマも小さく頷く。
「販売の準備もありますし、食器類もたくさん注文しましたからね……」
少し離れたところで様子を見ていたリアが、おそるおそる口を開いた。
「……なにか、手伝えることありますか」
ルークも静かに言う。
「僕も手伝う」
グレッグが二人を見て、ため息を吐いた。
「猫の手も借りたい状況だ。正直、有難いな」
「じゃあ決まりだな」
俺は厨房を指差した。
「じゃあ、誰でもできる作業と、グレッグにしかできねえ作業を分ける。洗う、拭く、分ける、運ぶ、そういうのは俺らでやる。味を見る、火を入れる、仕上げるのはグレッグだ」
エマがすぐに頷いた。
「役割分担ですね」
「そういうこと」
俺は二人を見る。
「ルークは厨房補助。リアはエマの手伝いだ」
リアが少し不安そうに瞬いた。
「わ、私でもできますか」
「最初から全部やれとは言わねえよ」
エマがやわらかく笑う。
「一緒にやりましょう」
リアはほっとしたように頷いた。
「……はい」
ルークの方は、もう干しきのこの箱を見ていた。
「僕は?」
グレッグが即答する。
「きのこの選別。洗い物。水運び。今日はそれだけでいい」
「分かった」
素直で助かる。
俺はそこで、もう一つ気づいた。
「あと、前の日にやれることは前の日に回そう。きのこの選別、薬草の仕分け、器拭き、野菜洗い、生地作りは前日。朝にしかできねえのは、火を入れる、味を整える、麺を茹でる、盛る、この辺だ」
エマが帳面を開く。
「書きます」
「頼む。俺は書けねえ」
ルークが少しだけ首を傾げる。
「……読めるのに?」
「読めるけど書けねえんだよ」
「変な人だな」
「うるせえ」
エマが手早く帳面にまとめていく。
前日。
当日朝。
仕込み表として文字になると、一気に分かりやすくなった。
グレッグがそれを覗き込む。
「……悪くねえな」
「だろ。褒めていいんだぜ?」
「褒めたくねえ」
でも、顔はさっきより楽になっていた。
その瞬間。
カン。
腰のベルトが鳴った。
『クエストクリア : グレッグの悩みを解決せよ』
『ヒーローポイント+3』
『前借り残高:32』
「……減ったけど、まだまだだな……」
「何がです?」
エマが聞いてくる。
「いや、こっちの話だ」
俺はベルトから目を離して、店先を見た。
まだ看板のない入口。
少し埃っぽい床。
借金つきの新店舗。
でも、悪くない。
「よし。グレッグ、ルークを使え。エマ、リアを頼む。一旦、俺は看板頼んでくる」
グレッグが眉をひそめる。
「急に投げるな」
「店に看板は要るだろ」
「まあ、いるが」
「じゃあ決まりだ」
俺は踵を返した。
「昼までには戻る」
「道草食うんじゃねえぞ」
「できるだけ早く終わらせるわ」
エマが苦笑する。
「いってらっしゃい」
リアは少しだけ頭を下げた。
ルークは干しきのこを選り分けながら、小さく言った。
「……気をつけて」
「おう」
俺は片手を上げて、店を出た。
⸻
王都の昼前は、人が多い。
露店、荷車、怒鳴り声、値段交渉。
人の波をかき分けながら、看板屋がありそうな通りを歩く。
「……でけえ看板が欲しいんだよな」
遠くからでも分かるやつ。
できれば“レグナ麺”って文字がちゃんと目に入るやつ。
そう考えながら歩いていた、その時だった。
前の通りで、人だかりができていた。
「また面倒くせえことが起きてそうだな……」
ちらっと見る。
その中心にいた顔を見て、俺は露骨に嫌な顔をした。
「……またこいつかよ」
うちの店の常連、Aランクハンターのレオルドだった。
その目の前で、若い女が顔を覆って泣いていた。
隣には柄の悪い男。女の肩を抱き、周囲に聞こえるように怒鳴っている。
「ふざけんなよ!! 昨日この人に宿へ連れて行かれて、妹は乱暴されたんだぞ!!」
周囲がざわつく。
「うわ……」
「最低だな……」
「……でも、レオルド様がそんなことするか?」
女がしゃくりあげながら言う。
「頭が痛くて……歩けなくて……助けてくれるって言われて……でも、怖くて……っ」
レオルドは真顔のままだった。
「彼女が頭痛で苦しんでいたので、宿まで連れて行ったのは事実です。ですが、それ以上のことは何もしていません」
「してねえのかよ……」
思わず小さく呟いた。
「していません。していないということは、していないのです」
「その言い方やめろって誰か教えてやれよ……」
男がさらに怒鳴る。
「うるせえ!! 宿に連れ込んだ時点で十分だろうが!!妹は泣いてんだぞ!!」
……面倒だ。
正直、このまま無視して看板屋に向かいたかった。
「……知らねえぞ、もう」
踵を返しかけた、その瞬間。
カン。
腰のベルトが鳴った。
『クエスト : レオルドの冤罪を晴らせ』
『Aランクハンター、レオルドが無実の罪を着せられている』
『報酬:ヒーローポイント+2』
「……あー、そういうことね」
俺は立ち止まった。
無実。
つまり、この男女は嘘をついてる。
そのままもう一度、人だかりの中心を見る。
男が勝ち誇ったみたいな顔で言った。
「……だが、こっちも鬼じゃねえ。白金貨五十枚払うなら、今回は表沙汰にしねえで済ませてやる」
その額を聞いた瞬間、腹の奥が冷えた。
(……白金貨五十枚)
俺がゴブリンキングとやり合って、何度も死にかけて、ようやくもぎ取った額と同じだ。
(ふざけんなよ)
俺は人混みを割って前に出た。
「おい」
男がこっちを見る。
「なんだテメェ」
「証拠は?」
一瞬、空気が止まる。
「……は?」
「乱暴されたって言うなら証拠はあんのかって聞いてんだよ」
男がすぐ怒鳴り返す。
「妹が泣いてんだろうが!!」
「泣いてりゃ証拠になるなら、冤罪なんてやり放題だな」
女の肩がぴくっと揺れた。
男が睨みつけてくる。
「てめぇ、誰に口利いて――」
「黙れ」
俺は一歩前に出た。
「宿まで連れて行かれたんだろ?じゃあ、その宿の主人を呼べばいい」
男の顔が、わずかに固まる。
俺は続けた。
「お前らの話が本当なら、レオルドが何したか聞いたり見たりしてるやつがいるはずだろうが」
「衛兵も呼べ」
「どうせ大事にするなら、最後までちゃんとやれよ」
野次馬がざわつく。
「確かに……」
「宿の主人に聞けば分かるな」
「それが一番早い……」
女が顔を上げた。
泣いていたはずなのに、その目には焦りが浮いていた。
男が舌打ちする。
「……そこまでしなくても――」
「するだろ」
俺は鼻で笑った。
「相手が誰か分かってんのか?」
男が黙る。
俺はレオルドを親指で示した。
「こいつ、会話は壊滅してるけど、侯爵家の人間でAランクハンターだぞ。そこに冤罪着せたらどうなるか、分かってんのか?」
今度は、野次馬の空気が変わった。
「そういや侯爵家じゃん……」
「それはまずいだろ」
「もし嘘だったら終わるぞ……」
男の額に汗が浮く。
女も、さっきまでの泣き顔が崩れかけていた。
俺は容赦なく追い打ちをかける。
「宿の名前は?」
「どこの部屋だ?」
「主人は男か女か?」
「給仕はいたか?」
「そこで何をされた?」
「今ここで言えよ」
女の唇が震える。
「そ、それは……」
「言えねえのか?」
「……っ」
「じゃあ衛兵呼ぶぞ」
俺が振り返って言った。
「おい、誰か衛兵呼んでくれ」
「あと、その辺の宿の主人もな。今日は証拠込みで白黒つけようぜ」
男が完全に顔色を変えた。
「ま、待て!!」
「待たねえよ」
「……っ、行くぞ!」
男が女の腕を掴んで逃げようとした、その時だった。
レオルドが静かに一歩出た。
「逃げるということは、あなた方は嘘をついていたということですね」
「お前は嘘だって知ってるだろうが!!」
男がナイフを抜いた。
「クソがっ」
周囲が悲鳴を上げる。
けど、レオルドは一切動じない。
ほんのわずかに体をずらし、男の手首を取る。
そのまま流れるように地面へ叩きつけた。
女も反射で逃げようとしたが、俺が前に立って道を塞ぐ。
「おい、どこ行くんだよ」
「ひっ……!」
「ほら、宿の主人呼ぶんだろ?逃げたら余計まずいぞ」
そこへ、騒ぎを聞きつけた衛兵が駆けつけてきた。
「何事だ!?」
俺はすぐに言った。
「この二人がレオルドに乱暴されたって言いがかりつけて、白金貨五十枚ふっかけてた」
衛兵の目つきが一気に変わる。
女と男は、もう言い逃れできる顔じゃなかった。
少しして、観念した男が舌打ちする。
「……ちっ」
女も泣き真似をやめて俯いた。
周囲が一気にざわつく。
「やっぱ嘘だったのか」
「最低だな……」
「レオルド様、騙されやすいんだよな……」
連行されていく二人を見送ってから、レオルドがこっちを見た。
「助かりました」
「たまたま通りがかっただけだ」
「それでも、助けられた事実は変わりません」
「そうかよ」
レオルドは少しだけ目を細めた。
「あなたは、私を助けてくれました。つまり友達ということですね?」
「なんでそうなった?」
「……それに」
レオルドは続ける。
「私一人では、よく分からずにお金を払っていたと思います。証拠を求める、という発想、勉強になりました」
「お前、よく生きてこられたな……」
「普通に生きられますが」
「もういい……」
レオルドはほんの少しだけ笑った。
「看板屋を探していたのでしょう。案内します。今度は、私が力になります」
「……なんで分かるんだよ!」
「店を持った人の顔をしてます」
「どんな顔だよ」
「忙しいのに、どこか楽しそうな顔です」
そこで、カン、とベルトが鳴った。
『クエストクリア : レオルドの冤罪を晴らせ』
『ヒーローポイント+2』
『前借り残高:30』
「……ったく」
「どうしました?」
「なんでもねえよ」
俺はため息を吐いて、レオルドを見る。
「じゃあ案内しろよ。看板屋」
「ええ。喜んで」
「お前の笑った顔、腹立つな……」
「そうですか?腹の立たない笑顔を練習しておきます」
「ほんとお前、面倒くせえな」
そう言いながらも、さっきよりはだいぶマシに見えた。
少なくとも、意味不明なだけの変人じゃない。
⸻
案内された看板屋は、南市場から二本外れた職人通りにあった。
木屑の匂い。
塗料の匂い。
店の前には、大中小の看板が立てかけられている。
「ここです」
レオルドが言う。
「王都で木看板を頼むなら、まずここでしょう」
「詳しいな」
「商売は街の呼吸です。呼吸を知ることは大事です」
「急にまともそうなこと言うな……」
中から、腕の太い職人が出てきた。
「なんだ、レオルド様か。珍しいな」
「依頼です」
レオルドが俺の方を見た。
「彼の店に、看板が必要です」
職人の目が俺に向く。
「店? 何の店だ」
俺は少しだけ胸を張った。
「スープとレグナ麺の店だ」
「……ほう。昨日大行列作ってた露店だよな?噂になってたぜ」
職人の目が面白そうに細くなった。
「名前は?」
そこで、俺は止まった。
「……あ」
「決めてねえのか?」
「決めてねえな……」
レオルドが横から、当然みたいに言う。
「では、レオルド亭はどうでしょう」
「なんで、てめぇの名前なんだよ!!」
「私が美味しいと思ったからですが?」
「理由になってねえ!!」
職人が吹き出した。
「店名も決めずに看板頼む奴は初めて見たぞ」
「うるせえ。勢いで店持ったばっかなんだよ」
職人は笑いながら腕を組んだ。
「じゃあ、名前決めてからまた来い」
「形や大きさは、その後だ」
「だよなあ……」
俺は頭を掻いた。
店の名前。
看板。
新しい拠点。
店はもう、動き始めている。
だったら、名前もちゃんとつけなきゃならない。
「……戻るか」
「ええ」
レオルドが頷く。
「今日は、冤罪も晴れ、友人ができました。素晴らしい1日です
「ポジティブすぎるだろ……」
グレッグの悩みも片付いた。
看板屋も見つかった。
レオルドからは懐かれてしまった。
「……店名、考えねえとな」
そう呟きながら、俺は店へと歩いた。




