第46話「新しい拠点」
翌朝、もう慣れてきたふかふかのベッドで目を覚ます。
「……今日でこのベッドともお別れかもな」
小さく呟いて、一階へ降りる。
食堂の方から、エマの声が聞こえた。
「じっとしててくださいね。もう少しです」
覗くと、リアが椅子に座っていた。
まだ少し緊張しているが、昨日みたいに全身を固くしてる感じではない。
エマが、リアの乱れた髪を手櫛で整えていた。
「……すみません」
「謝らなくていいですよ。森の中を歩いてきたんですから、こうなります」
リアは小さく頷く。
その横顔は、昨日より年相応に見えた。
少し離れた席では、ルークが難しい顔をしていた。
出されたスープにまだ手をつけず、窓の外を見ている。
「食わねえのか」
俺が言うと、ルークはゆっくりこっちを見た。
「……考え事をしていただけだ」
「ガキが難しい顔すんな」
「子供扱いはやめてくれ」
鍋をかき混ぜていたグレッグが鼻を鳴らす。
「そいつの方が頭は回りそうだな」
「朝から失礼だな、お前」
「事実だろ」
ルークはそこでようやく器を持った。
食べ方がやっぱり妙に綺麗だ。
隠してるつもりなんだろうが、隠しきれてねえ。
「で」
俺は空いた椅子に腰を下ろした。
「今日は商業ギルドだな」
エマが頷く。
「はい。物件の情報を聞いて、良さそうなら見に行きましょう」
グレッグが露骨に嫌そうな顔をした。
「本当に店持つのかよ」
「こういうのは早いうちがいいんだよ」
「露店のままでも回せるぞ」
「回せるけど不便だろ。ギルド長にも拠点を用意しろって言われたしな」
俺はスープをすすった。
「どうせなら、店もできた方がちょうどいい。そもそもスープもレグナ麺も露店向きじゃねえからな」
リアがエマの横から、おそるおそる聞いてくる。
「……お店、ほんとに持つんですか」
「持てそうならな」
俺は肩をすくめた。
ルークとリアの方を見て続ける。
「別に、お前らのために動くわけじゃねえよ。拠点はどうせ必要だ。だったら、店も一緒にした方が楽ってだけだ」
ルークが静かに言った。
「……ついでか」
「ついでだな」
即答した。
リアが少し目を丸くする。
俺は続けた。
「ただ、行く場所がねえなら、その拠点にしばらく居ればいいって話だ。助けちまった以上、その辺に放るのも後味悪いしな」
グレッグが鼻を鳴らした。
「ついでで店と家を持とうとするやつがあるかよ」
「あるんだよ。ここに」
リアはまだ少し戸惑った顔をしていたが、昨日のように怯えてはなかった。
「俺とエマで商業ギルドに行ってくる。グレッグ、お前はこいつら見ててくれ」
「俺はシッターじゃねえぞ」
「お前が一番向いてる」
「どこがだ」
「文句言いながら面倒見るところが」
「うるせえ」
結局引き受けるあたり、こいつは優しい。
⸻
宿を出て、商業ギルドへ向かう道を歩く。
王都の朝は早い。
すでに店を開けてるところもあるし、荷車を引く連中も多い。
エマが俺の少し横を歩きながら、小さく笑った。
「でも、さっきのはユウヤさんらしかったです」
「何がだよ」
「ちゃんと考えてるのに、あんまりそう見せないところです」
「余計なお世話だ」
エマは楽しそうに続ける。
「本当に、お二人のためだけじゃないんですよね?」
「そりゃそうだ。ギルド長にも拠点用意しろって言われたし、露店のままも不便だったしな」
「でも、そこにあの子たちも入れて考えてるじゃないですか」
「……まあ、助けちまったからな」
俺がそう言うと、エマは少しだけ笑みを深くした。
「そういうところです」
「だからなんだよ」
「別に。いいところだなって思っただけです」
なんかむず痒い。
「そういうの、朝から言うんじゃねえ」
恥ずかしくなって足を早めた。
⸻
商業ギルドは、ハンターギルドとはまた別の騒がしさがあった。
武器の音はしない。
代わりに聞こえるのは、紙をめくる音と、値段の交渉と、誰かが誰かを言いくるめる声だ。
「こっちの方が疲れそうだな……」
俺がぼやくと、エマが苦笑した。
「私はこっちの方が落ち着きます」
受付へ向かうと、男が俺たちを上から下までじろりと見た。
露骨だな、と思うくらいに。
「……ご用件は」
「物件を探してる。一階が店舗で、上に住めるとこが理想だ」
男はすぐには頷かなかった。
「身分証を」
「は?」
「信用の確認が取れない方に、店や家は紹介できません」
なるほど。
商売の場所を貸すんだ。そりゃそうか。
俺はギルドカードを出した。
エマも商人登録の札を見せる。
男の目が止まる。
「……Bランク」
そこでまず、声色が変わった。
さらにカードを持ち直し、名前を見た瞬間、男の目がわずかに見開く。
「……マスクド・ブレイブ。まさか、パルマの――」
「ユウヤだ。その名で呼ぶな」
俺が即座に言うと、男は慌てて背筋を伸ばした。
「も、申し訳ありません」
横でエマが瞬きをする。
「マスクド・ブレイブ?」
「気にするな。忘れろ」
「気になりますよ!」
「……この件だけは触れないでくれ」
男は咳払いして、さっきまでとは露骨に態度を変えた。
「……失礼しました。条件に合う物件をいくつかご案内できます。パルマの件で、お名前は存じておりますので」
「商業ギルドってのは、ほんと情報が早いんだな」
「商売になる話を知らない方が困りますから」
知られてるのは嫌だが、頼りにはなる。
エマが横で不思議そうに呟く。
「……パルマの件?」
「今はいい」
これ以上はややこしい。
⸻
一件目は、表通りに近い場所だった。
人通りが多い。
建物も綺麗だ。
看板を出せば、客はかなり入るだろう。
「どうですか?」
案内役の男が言う。
俺は通りを見た。
悪くない。むしろ商売だけ考えるなら最高に近い。
「いいな」
「はい。立地は非常に良いです」
「ただ――」
エマが、すでに受け取っていた資料に目を落とした。
「高いですね」
男が額を告げる。
俺はその場で顔をしかめた。
「たっけえな……」
白金貨五十枚あっても、ここをそのまま買う気にはならない。
しかも買ったら終わりじゃない。仕入れも必要だ。
「流石に厳しいな」
エマが頷く。
「はい。立地は魅力ですけど、ここに全部突っ込むのは危ないです」
「だな。次」
⸻
二件目は、安かった。
その理由は、入った瞬間に分かった。
狭い。
「……厨房、これだけか?」
「元々は軽食向けの店でしたので」
一階は細長い。
客席を置いたら、もう動きづらい。
二階も一部屋しかない。
俺とルークとリアで詰め込むには無理がある。
エマが小さく首を振る。
「住むには足りませんね」
「店だけならまだしも、今の私たちには向いてません」
「だな」
俺は階段を降りながら言った。
「あと、グレッグがキレる」
エマが吹き出した。
「間違いなく」
⸻
三件目は、南市場から少し離れた通りにあった。
表通りほど派手じゃない。
でも、人の流れはちゃんとある。
建物は少し古い。
看板は外されている。
ただ、元が飲食店だったのはすぐ分かった。
一階は広めの土間と、奥に厨房。
二階には部屋が二つ。
古びてはいるが、前の店主が置いていったらしい簡素な家具も残っていた。
上等ではないが、寝る場所に困ることはなさそうだ。
俺とエマは、しばらく黙って見回した。
「……これだな」
先に言ったのは俺だった。
エマもすぐ頷く。
「はい。かなりいいです」
「少し古いですけど、その分現実的ですし、厨房も最初からあります」
「南市場にも出やすいな」
「はい。私も通いやすいです」
案内役の男が一歩前に出る。
「こちらは元々、小さな食事処でした。しばらく空いていましたが、設備はまだ使えます」
「値段は?」
男が額を告げた。
白金貨九十枚。
「高ぇな……」
思わず口に出る。
でも、表通りの物件よりはずっと現実的だ。
場所もいい。二階もある。厨房もある。
エマが資料を見ながら言った。
「でも、頭金を入れて残りを分割にできるはずです」
「分割?」
「王都では珍しくありません。商業ギルドが間に入る形なら、信用のある相手には認められます」
俺は眉をひそめた。
「……借金ってことか」
「そうですね」
「急に嫌な響きになったな……」
「その代わり、手元にお金は残せます。仕入れも必要ですし、全部払うわけにはいきません」
それは分かる。
商売始める前に無一文は笑えない。
案内役が口を挟む。
「頭金を白金貨三十枚。残りは月払いであれば、十分可能かと。ユウヤ様であれば信用も問題ありません」
俺は少しだけ考えた。
表通りほどじゃない。
狭すぎもしない。
二階がある。
厨房も狭くない。
「……ここにする」
エマがこっちを見る。
でも止めなかった。
案内役が目を丸くする。
「即決ですか?」
「条件がいい。迷ってる間に取られるのも面倒だ」
「かしこまりました」
契約書類が出てくる。
頭金、支払い条件、商業ギルドの仲介印。
署名が終わり、鍵を受け取った瞬間、妙な実感が湧いた。
「……俺、店持ったのか」
エマがふっと笑う。
「持ちましたね。しかも自宅もついてます」
「借金付きだけどな」
「そこは頑張って返しましょう」
「他人事みたいに言うな」
「他人事じゃないですよ。私も働くんですから」
俺は鍵を掌で転がした。
「……悪くねえな」
⸻
宿へ戻ると、リアが真っ先にエマの方へ寄った。
「おかえりなさい」
昨日までの警戒を思えば、かなりの進歩だ。
エマが笑う。
「ただいま戻りました」
グレッグは椅子にふんぞり返っていた。
でも横の皿を見ると、焼き菓子が一枚減っている。
たぶんリアにやったんだろう。
「どうだった」
「決まったぞ」
俺がそう言って鍵を掲げると、リアの目が少しだけ明るくなった。
ルークは立ち上がった。
「もう決まったのか」
「三件見て、一番マシなのにした」
「マシって言い方……」
エマが苦笑する。
「でも、本当に良い物件でしたよ」
俺は一階と二階の様子をざっくり説明した。
店。厨房。二階の部屋が二つ。
そこまで聞いたところで、ルークが少しだけ考え込む顔をした。
たぶん住み心地を考えてるんじゃない。
出入口とか、人目とか、そういうのを考えてる。
やっぱり、ただの商人のガキじゃない。
リアは単純に嬉しそうだった。
「二階……住めるんですか」
「ああ」
俺は頷いた。
「エマとグレッグは今まで通り別だ。あそこに住むのは俺とお前らだけだ」
グレッグが鼻を鳴らす。
「そりゃそうだ。大人三人住むには狭すぎる」
「お前、絶対うるせえしな」
「てめぇもだろ」
エマも苦笑いした。
「私は今まで通り通います。祖父のこともありますから」
俺はルークとリアを見る。
「しばらくそこで寝泊まりできるってだけだ。落ち着いたら、その先はまた考えろ」
リアは小さく頷いた。
「……はい」
ルークも短く言う。
「分かった」
⸻
夕方には、最低限の荷物だけ持って新しい物件へ移った。
店の中は少し埃っぽい。
床も古い。
椅子も足りない。
でも、何もないわけじゃない。
鍋を置く場所がある。
火を使う場所がある。
寝る部屋がある。
それだけで十分だった。
リアは二階に上がって、小さく息を呑んだ。
「……ほんとに、ここ使っていいんですか」
「だからそう言ってんだろ」
「でも……」
「いいから使え。その代わり、勝手にどっか行くなよ。面倒だからな」
リアは少しだけ笑った。
「……はい」
ルークは一階と二階を一通り見て回ったあと、最後に窓の外を確かめるように視線を向けた。
警戒が抜けていない。
まあ、殺されそうになったんだ。当然か。
エマは窓を開けて、空気を入れ替えていた。
「少し掃除すれば、すぐ良くなりますね」
「掃除か……」
「やりますよ」
「だよな」
リアも箒を持とうとして、でも持ち方が分からず固まっていた。
エマが優しく教える。
その光景を見て、俺は入口のところに立った。
新しい店。
新しい拠点。
事情ありのガキ二人。
そして、頭金を払った上で残った、白金貨六十枚分の借り。
何も落ち着いちゃいない。
でも、露店で風に吹かれてた時よりは、ずっと先に進んでる気がした。
グレッグが厨房を一通り見回して、露骨に顔をしかめた。
「……あー」
「なんだよ」
「仕込みの量、増やさねえといけねえよな……」
「今さらかよ」
「今までは露店だったろ。店になると客数も増える」
「まあ、それはそうだ」
グレッグは流しの前に立ったまま、眉間に皺を寄せる。
「スープだけでも鍋を増やす必要がある。麺まで回すとなると、朝の仕込みがしんどすぎる。この厨房は悪くねえが、今のやり方のままだと営業前にバテるぞ」
エマも静かに頷いた。
「確かに……販売前の準備を、もう少し整理した方がよさそうですね」
俺が肩をすくめた、その瞬間。
カン。
腰のベルトが鳴った。
「……あ?」
視界の端に、透明なウィンドウが開く。
『クエスト : グレッグの悩みを解決せよ』
『仕込みの手間が多すぎて、営業前に疲弊している』
『効率よく仕込める方法を見つけよ』
『報酬:ヒーローポイント3』
「……やっぱそこ来るよな」
俺が呟くと、エマが首を傾げた。
「どうしました?」
「いや」
俺は新しい厨房と、そこに立つグレッグを見た。
「どうやら、次は店の回し方まで俺に考えろってことらしい」




