第42話「パスタへの挑戦」
露店を畳んで宿に戻った頃には、もう空が赤かった。
初日は上出来も上出来だった。
手元には結構な量の大銅貨が集まっている。
やっぱり旨味はこの世界でも通用した。
薬草入りの売り文句も悪くなかった。
レオルドに助けられた気がして嫌な感じだが、とにかく売れた。
でも――
「スープだけじゃ弱いんだよな……」
俺が言うと、グレッグは鍋を洗いながら鼻を鳴らした。
「売れたじゃねえか」
「売れた。けど、腹が膨れねえ。単価も上げづらいし、毎日買いに来るにしても限界がある」
エマが売上を数えながら顔を上げる。
「それで、さっき言ってた“ぱすた”ですか?」
「そう」
俺は頷いた。
「小麦粉で作る麺だ。長くて、茹でて、ソースを絡めて食う。あのトマトスープを煮詰めりゃソースになるしな」
グレッグの手が止まる。
「麺?」
「そう。パンじゃない。伸ばして切って茹でる」
「……小麦粉を?」
「小麦粉を」
グレッグが露骨に嫌な顔をした。
「小麦粉はパンだろ」
「その常識をまず捨てろ」
「軽く言うな……」
俺は机の上の粉袋を叩いた。
「エマ。小麦粉、あるか?」
「パンを作るかと思って買ってました」
「さすがだな……」
俺は立ち上がった。
「作るぞ」
⸻
最初の失敗は、早かった。
「ベタベタじゃねえか……」
生地を指でつつく。
つついた指に、そのまま全部ついてくる。
グレッグが腕を組んだ。
「水を入れすぎだ」
「そんな気はしてた」
「じゃあなんで入れた」
「“こんくらいかな”で」
「料理人を舐めるな」
「パスタは家庭の味だろ!」
「どこの家庭だよ!!」
エマが少し離れたところから、生地を見て言った。
「……それ、食べられるんですか?」
「こりゃ無理だな」
「泥ですね」
「言い方」
ベタベタの塊は捨てた。
もったいない。心が痛い。
二回目。
今度は水を減らした。
減らしすぎた。
「ボソボソだな……」
「粉の塊ですね」
「粉の塊だな」
グレッグが額を押さえた。
「お前ほんとに作ったことあんのか?」
「食ったことはある!」
「作ったことは?」
「……ない!」
「やっぱりそうかよ!!」
エマが困ったように笑う。
「でも、ちょっとだけ楽しいです」
「俺は楽しくなくなってきたぞ」
「まだ二回目です」
「二回で心折れるには十分だろ」
⸻
三回目。
エマが、おずおずと口を挟んだ。
「……卵、入れてみたらどうでしょう」
「卵?」
「パンにはそんなに使いませんけど……繋がりは良くなるかもしれません」
グレッグが一瞬だけ目を細める。
「……悪くねえな」
「よし、採用」
「お前は偉そうに採用するな」
「発案者はエマだ。俺は責任者だ」
「責任者が全然仕事してねえな」
「うるせえ」
卵を割る。
粉に混ぜる。
少しずつ水を足す。
今度は、まとまった。
明らかに、今までよりいい。
「おっ」
「お?」
「おお?」
三人で同時に言って、ちょっと黙る。
グレッグが指で生地を押して、短く言った。
「……まだ早い。休ませる」
「休ませる?」
「すぐ伸ばしたら、また千切れるからな」
「生地も休みが必要なのか」
「料理ってのは、手を入れた後に放っとく時間が大事なんだよ」
「急に料理人っぽいこと言うな」
「料理人だよ」
濡れ布をかけて、少し置く。
待ち時間が、地味に長い。
俺は椅子に座って、ぼんやりと生地を眺めた。
「なぁグレッグ」
「なんだ」
「ほんとに麺ってないのか?」
「聞いたことねえな……小麦粉はパンにするもんだ。粥にするやつはいても、伸ばして切って茹でるなんて発想はなかったな」
「勿体ねえ……」
エマが小さく笑った。
「ユウヤさん、ほんとに“ぱすた”好きなんですね」
「好きというか……普通にあるもんだと思ってた。米がないのは諦めた。でも、麺までないのは痛い」
「米?」
「どうせ無いだろうからいい」
「ちょっと気になりますけど、今はパスタですね」
⸻
休ませた生地を、今度は伸ばす。
ここでまた詰まった。
「厚いな」
「そうなんですか?」
「たぶん厚いな」
麺棒で伸ばす。
でも均一にならない。
端が薄い。
真ん中が分厚い。
グレッグが舌打ちした。
「力の入れ方が偏ってんぞ」
「結構、難しいんだよ!」
「下手くそだな……変われ。ったく、これだからハンターは……」
「うるせぇ! これなら、できると思ったんだよ!」
エマが吹き出した。
「ふふっ……」
「笑うんじゃねえ!」
グレッグがなんとか薄くして、折って、切る。
……太い。
どう見ても太い。
「……うどんだな」
「うどんってなんだ」
「俺の国の麺」
「じゃあ成功じゃねえのか?」
「違う!!」
俺は机を叩いた。
「もっとこう……ソースが絡む感じの……長くて、細くて、つるっとしてて、食ったら“ああこれだ”ってなるやつなんだよ!」
「説明が全部感覚じゃねえか!」
グレッグが呆れながらも、切った麺を湯に入れる。
しばらくして引き上げる。
食う。
「……」
「……」
「……うどんだな」
「だからうどんってなんだよ!」
でも、まずくはない。
むしろ普通にうまい。
旨味のある鳥スープに入れると、それっぽい。
赤い方に絡めても、それなりにいける。
エマが少しだけ嬉しそうに言った。
「これ、私は好きです」
「俺も嫌いじゃねえ」
「じゃあいいじゃねえか」
「よくねえ! パスタじゃねえ!」
「知らねえよそんなもん!」
⸻
もう一回。
今度はもっと薄く、もっと細く。
でも、切った瞬間にくっつく。
粉を打つ。
伸ばす。
切る。
茹でる。
今度は前よりいい。
でも、まだ何か違う。
グレッグが腕を組んで言う。
「お前の言う“パスタ”が何者かは知らねえ」
「けど、この粉じゃ限界がある。挽きも粗いし、粘りも弱い」
「だよな……」
「ただ」
グレッグが細い木の棒で麺を持ち上げる。
「これは売れる」
「は?」
「平たい麺だ。食いごたえがある。腹にも溜まる」
「スープにも、赤い方にも合う。名前は知らんが、客は“うまいかどうか”しか見ねえ」
エマも頷いた。
「はい。私も、これは売れると思います」
俺は皿の上の麺を見た。
理想とは違う。
全然、思ってた“パスタ”じゃない。
細くない。
ちょっと太い。
見た目はどう見ても“初めて麺を作った人間の麺”だ。
でも――うまい。
「……名前どうする」
「パスタでいいだろ」
グレッグが言う。
「いや、違うんだよ。俺の知ってるやつとは……」
「でも、お前が作りたかった麺なんだろ」
「……まあ、そうだけど」
エマが、楽しそうに言う。
「じゃあレグナ麺でいいんじゃないですか?」
「ん?……結構いいかも」
俺はため息を吐いた。
「……よし。とりあえず、これでいく」
グレッグが口角を上げる。
「妥協したな」
「違う。前進だ」
「言い方だけは立派だな」
⸻
エマが明日の売り方を考え始める。
「スープに入れて出すか、別皿にするか……赤い方は煮詰めて絡めた方がいいですよね」
「そうだな」
俺も頷く。
「鳥の方は優しい味。赤い方はパンチのある味。麺を入れれば、腹持ちもよくなる」
グレッグが鍋を見て、少しだけ真面目な声になった。
「……なあ」
「ん?」
「これよ。うめえけど、手間がかかりすぎじゃねえか?」
俺は顔を上げた。
グレッグは麺を指でつまんで、軽く揺らした。
「粉をこねて、休ませて、伸ばして、切って」
「こんなの、毎日何十人分も作るとなると面倒だぞ?」
「……まあ、そこは確かに」
「美味い。売れる。そこまではいい」
「でも、朝から仕込む覚悟はしとけって話だ」
エマも静かに頷く。
「販売の前に、仕込みの時間が必要になりますね……」
俺は麺を見ながら、ゆっくり息を吐いた。
「……やるしかねえな」
グレッグが鼻を鳴らす。
「ようやく腹が決まったか」
「最初から決まってる」
「旨味は通った。次は“腹に溜まる主食”で勝つ」
エマが嬉しそうに笑った。
「じゃあ、明日はスープと新作麺ですね」
「そうだ」
俺は皿の上の麺を指で叩く。
「スープで足を止めて、麺で腹を掴む」
グレッグが口角を上げた。
「物騒な言い方だな」
「褒め言葉だ」
窓の外は、もう暗くなっていた。
でも、机の上の麺は、まだ少し湯気を立てている。
完璧じゃない。
理想通りでもない。
それでも――
「……勝てるな」
俺が呟くと、エマが小さく頷いた。
「はい」
グレッグも短く言った。
「勝てる」
俺は皿の上のレグナ麺を見下ろした。
パンが主流の国に、新しい主食の種が生まれた。




