第36話「徒歩と熊とフルチン」
二日目は初日に引き続き、何もなかった。
ひたすら同じ景色を歩くだけ。
草。石。倒木。石。
遠くの森。近くの岩。
たまに風が吹いて、俺のやる気だけが削れる。
「ふざけんな! どんだけ歩くんだよ!
修行僧か! 景色も変わり映えしねえし!!」
「俺だってキツいんだよ!若えんだから黙って歩けや!!」
横を歩くギルド長が、こめかみをピクピクさせながら怒鳴る。
反論の余地ゼロの声だ。
「……なぁ、あとどのくらいで着くんだ?」
「何回聞いても一緒だ。徒歩ならあと五日はかかる」
「……マジで、やってらんねえわ」
この地獄があと五日。
足も疲れたし、暇だし、男二人きりだし、食料は干し肉と硬いパン。
歯が折れそうなパンを噛むたび、心も折れていく。
「モノサイクル無くなったの痛すぎる……」
言ってから、俺は自分に舌打ちした。
(思い出すと腹が立つやつだ)
「そういやギルド長。名前なんて言うんだ?」
「……まあまあ有名だと思ってたんだが……ディルクだ」
「……顔に似合わずカッコいい名前しやがって」
「褒め言葉として受け取ってやる」
(受け取るのかよ、そこ)
二人はひたすら歩き続けた。
⸻
三日目。
昼頃、俺が「石に名前を付ける遊び」を真面目に検討し始めた頃――
カン。
ベルトが鳴った。
「……来た」
ディルクが横目だけ寄こす。
「何だ」
「独り言だ。気にすんな」
視界の端に、透明なウィンドウ。
『クエスト発生』
『馬車の車輪が外れ困っている娘と老人を助けよ』
『付近に魔物が出没』
『報酬:ヒーローポイント 5』
(5ポイント……いいじゃねえか)
俺は咳払いして、普通の声で言った。
「この先、馬車が止まってる。人もいる」
ディルクが首を傾ける。
「……何も見えないが……」
「もうちょい歩いたらいるから。少し急ぐぞ」
⸻
道の脇に、馬車が沈んでいた。
「本当に馬車があるとは……なんで分かったんだ?」
「あ?……こいつのお陰かな……」
ベルトを叩いて言う。
馬車は片輪が外れて、車体が斜めに傾いている。
横で若い女がしゃがみ込み、荷台には年寄りが座っていた。足が悪そうだ。
女がこちらに気づいて、目を見開く。
「……ハンターさん……?」
ディルクが短く答える。
「通りがかりだ。何があったんだ?」
「車輪が外れて……修理する道具もなくて……」
声が揺れている。
ここは人の気配が薄い。助けが来なきゃ魔物の餌だ。
ディルクが一目で判断する。
「車輪が外れているだけみたいだな……これなら直せる」
「神かよ」
「ユウヤ。荷車を持ち上げろ」
「了解ー……ってこんなの持ち上げれるか!!」
ディルクが真顔で返す。
「……お前なら余裕だろうが」
「それは“変身”してる時だ!! 普段は普通の人間だっつーの!!」
「じゃあ、その“変身”しろよ」
「嫌だよ! 俺、今は絶対嫌だ!」
ディルクが少しだけ眉を寄せる。
「……なぜだ?」
「言わせんな!!」
一拍。
ディルクがため息を吐いた。
「仕方ない。俺が持ち上げる。お前は車輪をはめろ」
「いや、お前、持ち上げれるのかよ……!」
ディルクが馬車の端に手をかけ、ぐい、と持ち上げた。
車体が上がる。沈んでた分が戻る。現実感が消える。
若い女が、思わず声を漏らす。
「……え……」
「やばっ……ゴリラじゃん」
「喋るな。はめろ」
「はいはい……っ」
俺はしゃがみ込み、外れた車輪を抱えた。
(さすが元Bランク……)
車輪が意外と重い。
位置が合わない。
穴が見えない。
「無理無理無理! これめっちゃ硬えし……!」
「押せ。回せ。合わせろ」
「言うのは簡単なんだよ!!」
そのとき。
森の奥から、低い唸り声。
「グォォ……」
空気が変わった。
若い女が固まって、荷台の年寄りが震えた。
俺も止まる。
「……最悪」
ディルクは馬車を持ち上げたまま言う。
「車輪はあと少しだ。早くはめろ」
「なんで!?」
木陰に赤い目が二つ浮いた。
肩が高い。毛が硬い。牙が長い。
人間を“餌”として見ている目。
「入れぇぇ!!」
俺は車輪を押し込んだ。
ガチャン、と噛み合う音。
「……よし!!」
ディルクが馬車を下ろした瞬間、灰熊が一歩踏み込んだ。
カン。
腰が鳴る。
『観測されました』
『変身可能です』
(……来るなよ、ここで)
ディルクが俺を見た。
「ユウヤ、頼んだ」
「嫌だ!」
「若えんだから、さっさとやれ!」
「……ちっ、わかったよ。クソが!!」
俺は腕を振り上げる。
「変身!!」
光が弾け――収まった瞬間。
寒っ。
仮面も、着物も、ふんどしも無い。
ベルトだけ。
俺は………裸だった。
「寒っ!! おい!! 服は!? 俺の服はどこ行った!?
マジでどうなってんだ!?」
若い女が、耳まで赤くして目を逸らす。
年寄りは口を半開きにしたまま固まっている。
ディルクが一拍置いて、淡々と言った。
「……なんで裸なんだ?」
「知らねえよ!!俺もビックリしてるよ!!」
灰熊と目が合う。
「グォォ!!」
突っ込んでくる。
「来んな!! 俺は今、それどころじゃねえんだよ!!」
仕方なく足に力を入れる。
俺は一歩で間合いに入った。
「……ブレイブパンチ」
拳が腹に刺さった。
ズブッ、という嫌な感触。
灰熊の腹に穴が空いて、巨体が崩れる。
ドサッ。
静かになった。
「……はい終わり!!」
俺は即座に叫んだ。
「変身解除!!!」
光が引いて服が戻る。
(安心感……)
ディルクが、灰熊を見て一言。
「凄い威力だな」
「もうやらねえからな!!」
⸻
若い女が深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。本当に……!」
言い淀んで、続ける。
「もし……よければ……王都まで行くので乗って行きませんか?」
(神)
俺は反射で「乗る!!」って言いかけて、ディルクを見た。
ディルクは馬車と二人を一瞥して、短く言う。
「条件がある」
若い女が息を呑む。
「夜は進まない。道を外れない。こちらが止まれと言ったら止まる」
「はい! はい、分かりました!」
俺は即答した。
「乗る!!おっさんと二人で歩き続けるなんて、地獄だったんだよ!」
ディルクが横目で刺す。
「おっさんで悪かったな」
「そんな怒んなよ……」
若い女が笑いかけて、慌てて口を押さえていた。
⸻
馬車は、きちんと走った。
ただし乗り心地は最悪だった。
ガタガタ、ゴトゴト。
揺れるたびに尻が跳ねる。腰が軋む。
「……これ、拷問具?」
「格安の馬車なので……」
「格安……まあ、徒歩よりはマシか」
御者台の横のディルクは無言で揺れない。石像か。
「なぁディルク。お前だけ揺れてねえのズルくね?」
「揺れない位置に座ってるだけだ」
「言って!! 最初に言って!!」
それでも歩かないだけで天国だった。
俺は干し肉を噛みながら、心底しみじみ言った。
「……徒歩がないだけで、干し肉うめぇ……」
⸻
日が傾いた頃、ディルクが言った。
「今日はここまでだ」
若い女が慌てて馬を止める。
「こ、ここで……?」
「夜に動けば魔物に寄って来いと言ってるようなものだ」
焚き火は小さく。煙も薄く。匂いも少なく。
ディルクの手際が良すぎる。
(キャンプ職人だな……)
火が落ち着いた頃、ベルトが鳴った。
カン。
視界の端にウィンドウ。
『クエスト達成』
『ヒーローポイント 5 を獲得しました』
『獲得したヒーローポイントを返済に回しました』
『前借り残高:45』
(これ……もしかしなくても、ショップが復活するまでフルチンなんじゃ……)
俺は死んだ目をしたまま、干し肉をもう一口噛んだ。
ディルクが言う。
「どうした」
「なんでもねぇ。……寝る」
「寝ろ。明日も動く」
「はいはい……」
荷台の端で横になると、馬車の木の匂いがする。
地面じゃない。奇跡だ。
目を閉じる直前、若い女の小さな声が聞こえた。
「……助かりました。本当に……」
俺は返事をしないで、片手だけ上げた。
(旅が、ちょっとだけマシになった)
徒歩地獄は終わった。
でも、フルチン地獄が始まった。




