第33話「英雄と蛇架」
門の上から、声が割れた。
「勝ったぞォォ!!」
「キングが倒れた!!」
「マスクド・ブレイブがやったァァ!!」
遅れて、地面が揺れるほどの歓声が来た。
泣き声と笑い声と、怒鳴り声が混ざって――パルマ南門の前は、もう祭りみたいにめちゃくちゃだった。
真っ先に飛び出したのは子供たちだった。
ロウが柵にしがみついたまま泣き、デンがそれを引き止め、ティナが両手で口を塞いで震えている。
そのすぐ前――
倒れているのは、ユウヤだった。
いや、正確には。
ベルトだけ残して、全裸になったユウヤだった。
「……え?」
空気が一瞬止まる。
だが次の瞬間、その“おかしさ”が逆に、みんなの涙をほどいた。
「生きてる!!」
「息してるぞ!!」
「英雄だ!!」
ハンターたちが駆け寄る。住民が駆け寄る。子供も駆け寄る。
そして――誰かが、気づいてしまった。
ユウヤは気絶しているくせに、股間だけは手でガードしている。
「……なんでそこだけ守ってんだよ……」
乾いた笑いが起き、泣き笑いになり、最後には拍手みたいな歓声に変わった。
「運べ!! 治療所だ!!」
「回復役! 前へ!!」
ミーナが急いで膝をつき、光を流し込む。
ギルド長が息を吸い、声を張った。
「前線は押し返せ! 残党処理を優先! 回収班は魔石と武器を確保しろ!!」
「——キングの魔石は最優先だ。勝手に触るな。俺の指示を待て!」
*
勝利の余韻は、すぐ“現実”に呑まれた。
ゴブリンの死体は山だ。
魔石、武器、鎧、盾、槍。まだ使えるものは全部が金になる。
そして何より――ゴブリンキングの魔石。
それは街一つが買える価値がある。
場合によっては国が動く。戦争が起きる。
ギルド長はキングの死体の周りに、信頼できる者だけを集めた。
「近寄るな。警戒を崩すな」
「回収班、準備」
「はい!」
その時だった。
「……ギルド長! ここです!!」
回収班の一人――若いハンターが、キングの近くに転がっている魔石に手を伸ばす。
勝利の熱で、判断が甘くなっている。
「待て!」とギルド長が叫ぶより早く、男は手を出した。
魔石を掴んだ瞬間――
ズブッ。
「——っ!?」
背中から、鈍い音。
回復役の外套を着た影が、背後にぴたりと立っていた。
男の胸から息が抜け、目が見開かれる。
口から泡混じりの血がこぼれた。
「……ぁ……?」
次の瞬間、背後に立っていた影が男の体を支える“ふり”をして、魔石を奪い取った。
黒いフード。
布で顔を隠し、短剣を二本、逆手に持っている。
「……やりやがった」
ギルド長の声が低くなる。
影は何も言わない。
ただ、魔石を握りしめたまま、地面を蹴った。
速い。
混乱の中、人混みに溶けるように走り、瓦礫の陰へ消える。
「追え!! そいつを逃がすな!!」
だが現場は混線している。
歓声、泣き声、負傷者、回収班、残党狩り。
統制が利く前に、影は“人の流れ”を利用して距離を稼いだ。
ギルド長は剣を抜き、ひとり追った。
(……人を使ってる場合じゃねえな)
*
影は、わざと人気のない方へ逃げた。
崩れた家の裏。荷車の置き場。乾いた井戸の脇。
“逃げ道”じゃない。“戦う場所”へ誘っている。
ギルド長は速度を落とさず、距離を詰めた。
(誘われてるな)
(……だが、逃がせねえ)
曲がり角の先。
瓦礫で行き止まりになった小路。
影が止まった。
魔石を懐へ押し込み、二本の短剣を構える。
片方は刃を短く見せ、もう片方は影に隠す。
フェイント前提の構えだ。
ギルド長は呼吸を整え、足だけを前へ出した。
「……その魔石は、あいつの物だ。返してもらおう」
影は、笑ったように肩を揺らす。
そして――無音で踏み込んできた。
速い。
短剣が二本、同時に飛ぶ。
喉、心臓、腹。致命点だけを狙う。
ギルド長は正面から受けない。
受けたら刃が滑る。
短剣は受けた瞬間に“もう一方”が刺しに来る。
だから、捌く。
剣の腹で流す。
足を使って角度をズラす。
体ごと半歩ズラして、攻撃線から消える。
カン、カンッ!
金属音が短く、乾いて連続する。
影は攻めながら下がる。
誘導しながら、タイミングを測っている。
(技術がある。……ただの盗人じゃねぇな)
ギルド長は、踏み込んだ。
影の右手。逆手の短剣が引く瞬間。
その引きの一拍に、剣先を滑り込ませる。
——当たる。
だが影は、当たるのを怖がらずカウンターを合わせに来る。
布が裂け、血が薄く線になるだけ。
影が、片方の短剣を投げるように突いた。
狙いは胸じゃない。足だ。
ギルド長は足を引き、同時に剣を下へ落とした。
ガンッ!
短剣が弾かれ、影の体勢が僅かに崩れる。
その崩れを、逃さない。
ギルド長は体ごと詰め、剣を振らず、柄で殴った。
ドンッ!
影がよろける。
ギルド長は続けて、斜め下から切った。
狙いは脇。
短剣を二本使う相手は、腕の可動域が生命線。
その可動域を潰す。
ザクッ。
「……っ」
影が初めて声を漏らした。
布が裂け、脇腹が露出する。
そして――脇腹から刺青が、見えた。
十字架に、蛇が巻きついた刺青。
ギルド長の背中が凍った。
(……蛇架)
十年前。各地で爆破と虐殺を繰り返した教団。
目的は不明。だがやることは一つ――“恐怖”を撒く。
影の動きが、ほんの一瞬だけ焦る。
刺青を見られたと悟った顔だ。
「……やはり、貴様らか」
ギルド長が剣を構え直す。
「結界を割ったのも、ゴブリンを増やしたのも——」
影は答えない。
代わりに、短剣を交差させ、距離を取る。
そして、懐から小瓶を放った。
パァン!!
白い煙。
目と喉を焼く刺激臭。咳が出る。
「くそっ……!」
ギルド長が煙の中へ踏み込む。
だが影は、煙を壁にして既に動いていた。
足音が遠ざかる。
消えた。
煙が薄れた頃には、路地に残っていたのは血の線と、焦げた臭いだけだった。
ゴブリンキングの魔石も、消えていた。
*
ギルド長が戻った時、現場はまだ混乱していた。
「回復役! 刺された者を優先しろ!!」
「キングの魔石は——」
誰かが言いかけて止まる。
ギルド長は、低く言った。
「……盗られた」
ざわ、と空気が沈む。
だが、ギルド長は続けた。
「今は混乱を抑えろ。口外するな。——“蛇架”が絡んでる可能性が高い」
その言葉の重さで、数人の顔色が変わった。
そしてギルド長は、戦場の端で運ばれていく担架を見た。
全裸の英雄。
股間だけ隠したまま、また治療所へ運ばれていく。
(……全部、繋がってる)
勇者がこの地を去った直後。
結界を張って隠蔽し、ゴブリンキングが生まれ、3つの街が被害を受けた。
街の結界も割られた。
王都へ応援を頼んだ連絡役も、途中から音信不通。
そして、蛇架。
(勇者がいなくなったタイミングで――侵攻)
(偶然で片付く数じゃねぇ)
ギルド長は唇を噛んだ。
街は救われた。
だが“狙われた”のも確かだ。
英雄が生まれた日。
同時に、黒幕の影がはっきり形になった日。
そして――
その英雄は、まだ眠っている。




