第32話「祈りの火」
ロウは、パルマの門の内側で柵にしがみついていた。
指先が白くなるほど力を入れているのに、震えは止まらない。
寒いわけじゃない。
怖いからだ。
門の外、街道の先では、黒い波のようなゴブリンの軍勢が土煙を上げながら押し寄せている。
その前に、たった一人。
変なお面に、不思議な赤い服。
見たこともないパンツまで穿いている。
意味の分からない格好の男だった。
でも、ロウにとってはそんなことどうでもよかった。
マスクド・ブレイブ。
ユウヤ兄ちゃんだ。
「……すげぇ……」
思わず漏れた声は、すぐに止まった。
すごい。
でも、見ているだけで胸が苦しくなる。
痛そうで、怖くて、目を逸らしたいのに逸らせない。
ユウヤが飛んだ。
人間ではありえない高さまで跳び上がり、そのまま蹴りで軍勢の奥を狙う。
ボスを倒そうとしているのだと、ロウにも分かった。
だが、空に透明な板のようなものが何枚も現れた。
ドンッ!!
ドンッ!!
ドンッ!!
ぶつかるたびに砕けていく。
それでも、ユウヤの勢いは少しずつ止められていった。
「……止められた……?」
誰かの呟きが聞こえた。
ゴブリンの軍勢が一斉に動き出す。
ナイトが盾を構え、その前へホブゴブリンが出る。
後ろではメイジが杖を掲げ、空いた場所ができればすぐ別のゴブリンが埋めていく。
ただの魔物じゃない。
軍隊みたいに戦っている。
ユウヤは殴り、蹴り、炎で焼きながら、一撃で何体ものゴブリンを吹き飛ばしていった。
それでも、押し寄せる群れは止まらない。
確実に減っているはずなのに、あまりにも数が多すぎた。
ロウの隣で、デンが唇を噛んだ。
「ユウヤさん……」
ティナは両手を胸の前で握りしめ、祈るように戦場を見つめている。
後ろにいる子供たちも、泣きそうな顔で黙っていた。
大人たちも同じだった。
ギルド長たちや残ったハンターたちも必死に戦っている。
それでも、あの仮面の男が倒れたら終わる。
誰も口にはしなかったが、それくらいロウにも分かった。
ユウヤの身体が燃え上がる。
渦のような炎が広がり、ゴブリンの列をまとめて焼き払った。
熱風が門の内側まで届き、ロウは思わず腕で顔を庇う。
「うっ……!」
炎の向こうではゴブリンが転がり、ナイトの盾まで赤く焼けてひしゃげていた。
いける。
そう思った直後だった。
黒い軍勢の奥で、ゴブリンたちが左右へ分かれていく。
その間から、大きな影が現れた。
見ただけで分かる。
王だ。
あれがゴブリンキングだ。
ユウヤが突っ込む。
キングも動いた。
次に何が起きたのか、ロウには見えなかった。
気づいた時には、ユウヤが吹き飛ばされていた。
「え……」
地面を何度も跳ねながら転がり、土煙の中へ消える。
それでも立った。
ふらつきながら、またキングへ向かっていく。
そして今度は、はっきり見えた。
大きな刃が、ユウヤの腹に刺さった。
「――っ!!」
ロウの頭が真っ白になった。
隣でデンが息を呑み、ティナが悲鳴を上げる。
後ろからは、大人の声も聞こえた。
「もう無理だ……」
違う。
違う違う違う。
あそこで倒れたら終わる。
ユウヤが死んだら、みんな死ぬ。
キングに斬られ、魔法に貫かれても、ユウヤはまだ立とうとしていた。
周りの大人たちが俯く中、ロウは気づけば柵から身を乗り出していた。
握り締めた手のひらが痛む。
そんなことはどうでもよかった。
「がんばれぇぇぇぇぇッ!!」
喉が潰れそうになるほど叫んだ。
自分でも驚くくらい大きな声だった。
涙で前が滲む。
それでも、もう一度叫ぶ。
「頑張れ!! マスクド・ブレイブ!!」
その声に続いて、隣からも叫び声が上がった。
「負けるな!! ユウヤさん!!」
デンだ。
「ユウヤ兄ちゃん!!」
ティナも叫ぶ。
他の子供たちも、震える声を張り上げ始めた。
やがて、大人たちまで顔を上げる。
「立てぇぇぇ!!」
「マスクド・ブレイブ!!」
「まだ終わってねえぞ!!」
次々と声が重なっていく。
その時、戦場の真ん中で倒れかけていたユウヤの腰から光が放たれた。
*
……うるさい。
耳鳴りの向こうで、誰かが叫んでいる。
一人じゃない。
何人もだ。
口の中には土と血の味がする。
腹は熱いし、血も止まらない。
最悪だ。
(……終わったか)
そう思ったところで、
キィン。
ベルトが鳴った。
「……?」
意識が半分沈んだまま、俺は目だけ開けた。
視界の端に、透明なウィンドウが勝手に展開される。
『隠し機能を検知しました』
(隠し機能?)
『観測:応援・祈り・希望』
『感情エネルギーの変換が可能です』
俺は一瞬、息を止めた。
門の方から、また声が飛んでくる。
「頑張れー!!」
「マスクド・ブレイブ!!」
「負けんな!!」
ロウにデン、子供たち。
その向こうからは、大人たちの声まで聞こえる。
……まだ、みんな見てやがる。
『一時解放機構【ヒーローズ・エール】を起動しますか?』
『警告:身体負荷 極大』
『警告:反動あり』
『補足:本機構はヒーローポイントを前借りします』
『Yes / No』
「……聞くまでもねぇだろ」
血の混じった息を吐き、俺は言った。
「Yesだ」
ベルトが、今までで一番澄んだ音を鳴らした。
キィーン――……!
胸の奥に、もう一度力が戻ってくる。
『ヒーローズ・エール 起動』
『前借り残高:100』
『希望エネルギー変換開始』
『損傷部位を一時補填します』
『限界を超えます。ヒーロー』
「……相変わらず言い方が雑だな」
腹の痛みが消えたわけじゃない。
それでも、動ける。
地面についた手へ力が戻り、足にも体重をかけられる。
視界も少しずつはっきりしてきた。
俺は立ち上がった。
ゴブリンキングの赤い目が僅かに細くなり、周りのゴブリンたちも動きを止める。
門の方から声が上がった。
「立った……!」
「マスクド・ブレイブが立ったぞ!!」
(……やめろ、期待すんな)
そう思っているのに、口元が勝手に上がる。
「見てろよ」
そう言ったつもりだった。
だが、口から出たのは――
「見てやがれい!」
俺はベルトを叩いた。
「火炎の舞!!」
『必殺技:火炎の舞』
『ヒーローズ・エール連動』
『出力制限解除(一時)』
身体が燃え上がった。
さっきまでとは比べものにならない火力で。
「あっちぃぃぃ!!」
本音は変わらない。
熱いもんは熱い。
だが、その熱に押されるように身体が動き始めた。
勝手に始まった回転も、さっきまでより遥かに速い。
炎の渦が二重、三重に重なりながら広がり、地面を舐めて前線を飲み込んでいく。
「グギャァァァ!!」
「ギィィィィ!!」
ホブゴブリンが燃え、ナイトの盾は真っ赤になって溶け始めた。
メイジの詠唱も悲鳴へ変わる。
十体近いメイジが一斉に水魔法を撃ち込んできた。
炎とぶつかった水が大量の蒸気になり、白い霧が立ち上る。
それでも火は消えない。
炎の量が違いすぎる。
俺は回転の勢いを無理やり前へ倒し、そのままメイジの列へ突っ込んだ。
目の前に障壁が何枚も現れる。
(またかよ)
一枚目へぶつかる。
バキィッ!!
そのまま二枚、三枚と突き破った。
今度は止まらない。
「邪魔だァァ!!」
炎の渦ごと障壁へ突っ込み、次々と叩き割る。
十枚全てを抜けたところで、メイジたちまでまとめて吹き飛ばした。
「メイジが……!」
「全部……!?」
門の方から誰かの声が聞こえた。
俺はそのままナイトの隊列へ突っ込む。
盾を掴んで捻り、そのまま持ち主ごと投げ飛ばした。
続けて拳を叩き込む。
「ブレイブパンチ!!」
衝撃と火が同時に弾け、ナイトの胸当てが砕けた。
吹き飛んだ身体が後ろの二体を巻き込み、そこへ火が燃え移る。
「ブレイブキック!!」
横薙ぎの蹴りを食らったホブゴブリンたちが、まとめて地面から浮いた。
落ちる前には身体へ火が移り、さらに周囲のゴブリンまで巻き込んでいく。
目に見えて数が減り、崩れた隊列はもう元に戻らない。
だが、ゴブリンキングだけは退かなかった。
炎の向こうで、大剣を構えたままこちらを見ている。
赤い目だけが、はっきり見えた。
(……やっぱり、お前か)
キングが地面を蹴る。
速い。
俺も踏み込んだ。
剣と拳がぶつかる。
ガンッ!!
衝撃で腕が痺れた。
それでも今度は、キングの身体も僅かに揺れる。
(今までより押せる)
ヒーローズ・エールが効いている。
だが、まだ簡単に倒せる相手じゃない。
キングの剣を潜って躱し、蹴りを返す。
それを肘で落とされ、続けて打った拳も剣の腹で受け止められた。
近距離で何度も攻撃がぶつかり、そのたびに火の粉が散る。
「グォォォォ!!」
キングが吠え、大剣を大きく振りかぶった。
(来る――)
俺は下がらず、逆に前へ出た。
剣が落ちてくる直前、ひょっとこの口から火を吹く。
「ぶふぉっ!!」
至近距離の炎を浴び、キングの動きが僅かに乱れた。
その隙に懐へ潜り込む。
(今だ!)
「ブレイブパンチ!!」
拳が胸当てへ直撃し、キングの鎧にヒビが入った。
俺は右足へ全身の力を集める。
四十三倍の身体能力。
火属性。
ヒーローズ・エール。
全部まとめて、この一発に乗せる。
俺は跳んだ。
キングも気づき、大剣を構える。
真正面からのぶつかり合いだ。
門の方から声が飛んでくる。
「いけぇぇぇ!!」
「マスクド・ブレイブ!!」
「ユウヤさーーん!!」
俺はその声を聞きながら、右足を突き出した。
「ブレイブキイイイィィィック!!」
踵の周囲で炎が渦を巻く。
ドンッ――!!
キングの大剣とぶつかった瞬間、巨大な火柱が上がった。
刃が軋む。
そのまま力を込める。
バキィィッ!!
大剣が砕けた。
俺の蹴りはそのまま刃の向こうを突き抜け、キングの胸へ直撃する。
鎧が割れ、踵が胸を貫いた。
そこから拳ほどの大きさの赤い魔石が転がり落ちる。
キングの目から光が消えた。
「グ……ォ……」
巨体が膝をつき、そのまま少しずつ灰へ変わっていく。
残っていたゴブリンたちは、その姿を見て動きを止めた。
直後、隊列が一気に崩れる。
武器を捨てて逃げる者や、鳴き声を上げながら散っていく者まで出始めた。
そこへ待機していたハンターたちが飛び込む。
「今だ!! 押し返せぇぇぇ!!」
「一匹も街へ入れるな!!」
ギルド長の怒号に続いて、レオンやガイたちの声も聞こえた。
カイルの魔法が爆ぜ、ミーナの支援を受けたハンターたちが残ったゴブリンへ襲いかかっていく。
門の方からは、大きな歓声が上がっていた。
俺はその場で肩を上下させながら息をする。
(……勝った)
ベルトが静かに鳴った。
カン。
透明なウィンドウが出る。
『クエスト達成:ゴブリン軍から街を救え』
『ヒーローポイント50を獲得しました』
『獲得したヒーローポイントを返済に回しました』
『前借り残高:50』
続けて、もう一枚表示される。
『ヒーローズ・エール 終了』
『反動処理を開始します』
嫌な予感しかしない。
さらに表示が変わった。
『警告:前借り残高が0になるまで、ヒーローショップは利用できません』
「おい、待――」
追い打ちをかけるように、また表示が切り替わる。
『代償:ヒーローズ・エールの過負荷により、装備データベースが破損しました』
『ブレイブドライバーを除く、現在装備および所持装備データを全て消去します』
「……は?」
『補足:展開中の装備を強制回収します』
「ちょ、今それ――」
言い切る前に膝から力が抜けた。
一気に疲労が押し寄せ、視界も揺れる。
遠くで聞こえていた歓声まで小さくなっていった。
最後に見えたのは、門の上で泣きながら笑っているロウたちだった。
(……とりあえず、守りきれたか)
そこで、意識が途切れた。




