第21話「避難指示とひょっとこ」
扉を叩く音で目が覚めた。
「おにーさん!! おきて!! おきてってば!!」
布団の上で、俺の意識が一気に跳ねる。
「……っ、な、なんだよ……」
いつもの「朝だよ」じゃない。
声は裏返り、泣きそうなくらい必死だった。
ドアの向こうから、さらに声が飛んでくる。
「にげないと! みんな、にげてる!!」
「……は?」
眠気が一気に引いた。
上体を起こしたところで、外がやたらとうるさいことに気づく。
怒鳴り声や足音に混じって、荷車の軋む音や泣き声まで聞こえていた。
街が騒いでいる。
「……リリ!」
扉を開けると、看板娘のリリが立っていた。
髪はぐしゃぐしゃで、目は赤く、手まで震えている。
「ギルドから、にげろって……! ゴブリンの……キングが……!」
「……キング?」
その単語を聞いた瞬間、昨日洞窟で聞いた咆哮が頭に蘇った。
俺は服を掴んで適当に羽織り、階段を駆け下りる。
一階の食堂も、いつもとはまるで違った。
客の姿はなく、皿も片づけられないまま、宿の主人が荷物をまとめている。
「おい、何が――」
宿の主人が俺を見た。
「避難命令が出た。お前も逃げられるなら逃げた方がいいぞ」
「……逃げられるなら?」
「……避難って言っても、どうせ追いつかれるからな」
宿の主人は吐き捨てるように続ける。
「歩きの連中は無理だ。子供も老人も、街の外に出たところで終わりだ。逃げられるのは馬車持ちだけだ。金持ちだけが先に行ったよ」
(……そういうことか)
俺は外へ出た。
*
街では、逃げられる者だけが逃げていた。
荷車に布団を積んで急ぐ者もいれば、子供を背負って走る母親もいる。
あちこちから、誰かの名前を呼ぶ声が聞こえた。
その横を馬車が通り過ぎていく。
荷台に積まれているのは生活用品だけじゃない。
箱や樽、布で包まれた家具まで載っていた。
「どけ! どけってんだ!」
御者が怒鳴り、護衛らしい男が道を押し開ける。
馬車に乗っている連中は、少なくとも泣いてはいなかった。
(逃げられるやつだけ、逃げる)
残された者たちは、通りに立ち尽くしている。
「北門へ」と言われても、そこから先を歩いて逃げ切れる保証なんてない。
森に入れば魔物だっている。
「……どうせ無理だ」
「王都? 歩きで一週間だろ……」
「追いつかれて終わりだよ」
「勇者様がいたら……」
誰も反論しない。
できる状況じゃないからだ。
その中に、やけに子供の多い集団がいた。
先頭にはデンがいて、ロウもティナもいる。
「デン!」
俺が呼ぶと、デンが振り向いた。
「ユウヤさん!!」
「何が起きた」
デンは唇を噛んだまま答える。
「ゴブリンキングが出たって……! ギルドが避難指示を――」
ロウも必死に言葉を繋ぐ。
「みんな、にげるんだって! でも……!」
そこで言葉が止まった。
言わなくても分かる。
子供の足じゃ逃げ切れない。
街の外には魔物もいる。
「……どうせ、逃げても……か」
俺が呟くと、デンが顔を歪めた。
「……うん」
俺は息を吐き、頭を掻く。
「詳しい話を聞く。ギルドに行ってくる」
そのまま踵を返した。
*
ハンターギルドは、いつもとは別の場所みたいだった。
普段なら笑い声や軽口が飛び交い、酒の匂いまでしている。
今は人も少なく、武器や防具がぶつかる金属音ばかりが耳についた。
逃げたハンターも多いのだろう。
残っているのは、この街に根を張っている者か、そもそも逃げる手段がない者くらいだ。
その残った連中も、勝つための準備をしているようには見えなかった。
少しでも時間を稼ぐための準備だ。
カウンターの向こうにいたミレイが、俺を見つけて駆け寄ってくる。
「ユウヤさん!」
「状況を言え」
ミレイは一瞬だけ迷ったあと、はっきり答えた。
「ゴブリンキングが誕生しました。ゴブリンの群れが街に向かって進行中です」
その声の奥から、男の怒鳴り声が響く。
「全員、配置を確認しろ! 逃げるなら今だ! 残るなら――死ぬ覚悟を決めろ!」
恐らくギルド長だろう。
普段は事務しかしていないような、丸く見える男だ。
だが今は背筋を伸ばし、鋭い目でハンターたちを見回しながら次々と指示を飛ばしていた。
「元Bランクだ」と誰かが話していたのを思い出す。
現役を退いても、こういう時の動きは忘れていないらしい。
ギルド長がこっちを見た。
「お前がユウヤか」
「ああ、援軍は?」
「要請は出した。だが間に合う保証はない」
ギルド長の視線が、依頼板ではなく地図へ落ちる。
「だから、耐える。援軍が来るまで――街を潰させない」
無理があるのは、誰だって分かっている。
それでも、ここに残った連中は準備を続けていた。
その瞬間、ベルトが鳴る。
カン。
俺の視界に、透明なウィンドウが開いた。
『クエスト発生』
『ゴブリン軍第一陣を撃退せよ』
『ゴブリン軍が街へ進行している』
『数:およそ500』
『指揮:ゴブリンジェネラル』
『主力:ホブゴブリン』
『グレン支部の戦力では迎撃不能』
『この街の未来は君にかかっている』
『報酬:ヒーローポイント20』
「……はは」
500。
おまけに、ゴブリンジェネラルまでいる。
笑うしかない。
(さすがに、逃げないと死ぬな……)
報酬が多すぎる。
それだけ危険だってことだ。
自分一人なら、モノサイクルで逃げられる。
俺が黙っていると、横から声がした。
「……逃げねえのか?」
ゴンズのおっさんだった。
包帯だらけの身体で椅子に座っているが、その目はまだ死んでいない。
近くにはレオン、カイル、ミーナ、それにガイもいた。
……残ってやがる。
俺は思わず舌打ちする。
「お前ら、若いんだから逃げろよ」
順番に顔を見る。
「わざわざ死にに行くようなもんだぞ」
レオンが真っ直ぐ俺を見返した。
「前の俺たちなら逃げてました」
いつもと違って、妙に落ち着いた声だった。
「でも、この間兄貴に助けてもらって思ったんです」
レオンは拳を握る。
「本当に辛くても、諦めなかったら……何かが起こる」
「奇跡は起きるんです」
「だから、街の人たちのために戦います」
「兄貴みたいになりたいです」
「……やめろ」
俺は顔をしかめた。
「俺を美化しすぎだ」
ガイが一歩前に出る。
その声は静かだったが、迷いはなかった。
「俺は……ティナと、デンと、ロウと……みんなを守るためにハンターになるって決めたんです」
「だから――」
ガイが息を吸う。
「死んでも逃げません」
(……こういうやつがいるから、俺は……)
俺は何も言えず、視線を逸らした。
この街に来てから、いろんなやつと知り合った。
ロウにデン、ティナ。
リリみたいな子供もいる。
ガイやレオン、カイル、ミーナ。
ゴンズのおっさんに、パン屋のおっちゃん、受付嬢のミレイ。
みんな、いいやつだった。
……ここで逃げたら、たぶん一生後悔する。
「ちっ……」
俺は小さく呟く。
「ヒーローなんて柄じゃねえんだがな……」
ベルトを叩いた。
カン。
「ショップだ」
『装備一覧を表示します』
『現在のヒーローポイント:10』
『購入可能(ver.2)』
・ひょっとこマスク(口から火を吹ける)必要HP:3
・赤い着物(防御++)必要HP:3
・ふんどし(防御++)必要HP:3
「……ひょっとこ」
俺は真顔になった。
「はぁ……なんでひょっとこなんだよ」
答えはない。
あるわけがない。
俺は息を吐き、諦めた。
「ひょっとこマスク。赤い着物。ふんどし」
言い切る。
「購入」
『ひょっとこマスクを購入しました(所持)』
『赤い着物を購入しました(所持)』
『ふんどしを購入しました(所持)』
『現在のヒーローポイント:1』
続けて表示が切り替わる。
『ver.2装備コンプリート』
『特典:必殺技を獲得しました』
『必殺技:火炎の舞』
『名乗りが変更されました』
『名乗り成功ボーナスが更新されます』
『名乗り成功:身体能力強化8倍(加算)+攻撃に火属性付与』
「……おいおいおい」
インフレが雑すぎる。
ベルトのアップグレードどころじゃない。
装備を揃えただけで、属性までついた。
そして、一番嫌なやつ。
「……名乗り、変更?」
嫌な予感しかしないまま、文言の確認を開く。
『新・名乗り』
『オイラはこの世界を守る熱い男。
悪党共には鉄槌を。
弱いものいじめもゆるさねえ。
天下無敵のマスクド・ブレイブだぁ』
「……嘘だろ……」
俺は天井を見上げた。
(ヒーローの前に、人格が変わってるんだが?)
背後で、レオンが目を輝かせる気配がした。
やめろ。
その目はやめろ。
俺は立ち上がり、ギルド長を見る。
「第一陣はどこから来る」
ギルド長が地図を指した。
「南西。森の道を抜けて――この街へ一直線だ」
俺は頷く。
少し離れたところでは、レオンたちがこっちを見ていた。
(こいつら、ついてきそうだな……)
「……そうか。……悪ぃけど、俺は抜けさせてもらうぜ、命が惜しいからよ」
一瞬、背後から物音が消えた。
周囲のハンターたちから冷たい視線を向けられたが、そのままギルドを出る。
何度も歩いた街を一人で進んだ。
外はまだ騒がしい。
馬車を持つ者は逃げ続け、逃げられない者は街に残っている。
俺はできるだけそちらを見ないようにして、叫んだ。
「カモン! モノサイクル!」
ぽん、と一輪車が現れる。
……やっぱり一輪車だ。
もう驚かない。
驚きたくない。
俺はそれにまたがり、小さく呟いた。
「……俺が死んだら、笑うなよ」
誰に言ったのかは、自分でも分からなかった。
そのまま一人で南西へ走り出す。
ゴブリン軍の第一陣を迎え撃つために。




